第3稿 悪魔の囁きと神々の騒めき(解決編)(1)

 洗心亭から本殿金堂へと向かう道は短く、階段を何段か登れば直ぐに到着する。しかし、蒸し暑さと人の多さのせいで階段は何百段もの段数に感じられた。

 階段を登り切り、やっと本殿が目の前に見えた。ようやく、本殿金堂に到着する!―――という達成感が俺の頭を過ぎった時、ふと視界の右端に気になる物を捉えた。

「ん?」

「N先輩、どうかしたんですか?」

 俺に合わせて七条君も本殿の入り口付近で足を止めた。俺が目を留めたのは掲示板だ。鞍馬の様々な情報紙が画鋲で止めてある。しかし、俺達以外の人間は足を止めない。早くツチノコを探したくてたまらないといった表情で足早に進む。

「僕達も早く行きましょうよ~」

 七条君も後から付いてきた八神さんも退屈そうな不機嫌そうな表情で俺を見る。

 掲示板の下の方には鞍馬山の自然に関する「蜂からのお願い」、「不思議な音の正体は?」、「ナメクジかと思いきや」という題名の三枚の掲示物が張られていた。さらに上の方には「私に触らないで…」と書かれた掲示物もある。

 「蜂からのお願い」には蜂に刺されない為の対策や刺された時の対処法が、「不思議な音の正体は?」にはタゴガエルという奇妙な鳴き声を発する蛙の習性(『コッ、コッ、コッ、コッ』、『クキュウゥゥゥ……』、『ミャー…』という求愛の声を出すそうだ)、「ナメクジかと思いきや」には頭に角のような長い突起物が生えているスミナガシという蝶の幼虫についての情報が載っていた。そして一番気になったのは「私に触らないで…」だったが、どうやらカエンタケという赤いサンゴのような形をした毒キノコに触ると皮膚が爛れるという内容だった。

 普段の俺の活動領域ではお目にかかれない生物や植物ばかりなので、興味深く読ませてもらっていると、コホンと俺の背後から空咳が聞こえた。振り向くと、多くの人が迷惑そうな表情で並んでいる。どうやら、俺が道を塞いでしまったらしい。

「先輩、早くしてくださいよ!」

 七条君と八神さんは既に本堂の入り口近くに居た。俺は後ろの人達に軽く頭を下げ「ごめんなさい」と謝り、足早に本堂の方へ駆けて行った。


「まったく、あんたは……。団体行動をきちんと心掛けなさい」

「すみません、会長」

 会長からのお叱りを受け、俺は素直に謝罪する。その様子を見て、七条君がニヤニヤ笑う。腹立たしい奴だ。

 俺達三人は本殿でお参りをした。人が多いとはいえ大半の観光客がツチノコ目当てなので、本殿へお参りする人は少数だった。特に並ぶことは無く、俺達三人はすぐにお参りをすることが出来た。

「七条君。何を買っているんだ?」

 本殿の中の売店で七条君が買い物をしていた。彼が手に持っていた品物を見ると木刀だった。木刀といっても、お守り用の小さなサイズで、柄の部分に紙切れが巻いてある。「源義経公 降魔必勝の小太刀」と書かれてあった。俺も買いたかったが、二千円と書かれていたのでやめておいた。

 それでも、何か記念に買っておきたかったので、試しにおみくじを買ってみた。結果は「凶」。

「先輩、今日だけ、コレ貸しますよ。コレで厄を落としてください」

 俺が「凶」のおみくじを片手にガックリと肩を落としていると、七条君が先程の木刀を見せつけてくる。

「じゃあ、今日だけ借りさせてもらうよ。ありがとう」

 俺はその木刀を受け取り、ナップサックの外側のポケットにしまった。

「貴方達、そろそろ外に出るわよ」

 八神さんに声を掛けられる。どうやら、彼女は何も買わなかったらしい。俺達は彼女に急かされるまま、本殿を後にした。


 時刻は午後1時半。俺と八神さんは本殿の外にある瑞風庭近くの休憩所らしき建物で、少し遅めの昼食を摂っていた。七条君は本殿のすぐ目の前にある金剛床という床に立ってみたいと長蛇の列に並んでいる。大きな円の中心に小さな三角形の模様が描かれている床で、中心に立つと宇宙からのパワーが得られるのだとか。

「先輩も行きましょうよ! 宇宙からのパワーって凄いですよ!」

 とキラキラ目を輝かせている後輩の申し出を断り、俺と八神会長は持参してきた弁当を鞄から取り出す。

「二人っきりね」

 八神会長がポツリと呟く。確かに、この場は現在、会長と俺しかいない。昼飯時を少し過ぎているので、この休憩所を利用する観光客は居ない。左側からは広大な山の景色が美しく見えている。ベンチも幾つかあるが、ツチノコ探しに夢中の観光客はそこでのんびりと休んでいる暇は無いのだろう。

 美しい景色&美女と二人きり。最高のロケーションであり、最高のシチュエーションだ。俺は心の中で歓喜に震えた。半ばドギマギしながら、俺はカロリーメイト(チョコレート味)の封を開く。

「貴方、そんな簡単な食事でこの後を乗り切れるわけないでしょ。貴船でも調査があるんだから。ほら、これでも食べなさい」

 八神会長がおにぎりを差し出してくれた。

「あ、ありがとうございます! 会長のお手製ですか!?」

 彼女はコクリと頷く。その言葉に俺は会長の手に飛び掛かるようにおにぎりを受け取った。一口、食べてみると「おかか」味らしい。会長がその白く麗しい手で優しく包み込んだおにぎりであるということを頭の中で想像し、口一杯に頬張る。最高の味だ。

 八神さんは呆れ顔で自分の水筒から紙コップにお茶を注ぎ、俺に手渡してくれた。

「ねぇ、N。貴方、体調は平気なの?」

 唐突に聞かれて、俺は戸惑った。今日は別に体調は悪くはないし、そんな素振りを見せた覚えもない。そう言うと、彼女は首を横に振った。

「私の言い方が悪かったわね。七条君から聞いたけど、あなた、事件を解決する時に妙な眩暈を起こすらしいわね。最近、妙な夢も見てるって聞いたけど……。今日はどう? 体に変化は無い?」

「さっきも言いましたけど、今のところは大丈夫ですね。ただ……」

 俺は何と答えたら良いのか分からなかった。確かに、「奇妙な男」事件の時も「悪魔憑き」事件の時も謎を解く前に妙な眩暈に襲われた。そして、確か「奇妙な男」事件からだった。妙な悪夢を見始めたのは……。

 あれがただの夢じゃないことは分かっている。まるで、現実味リアリティのある悪夢。今朝方の夢もそうだ。自分の妄想の産物とは言い切れない、謎の人物。あの話を彼女にするべきだろうか。

「あの―――」

 俺が口を開きかけた瞬間だった。

「ねぇねぇ、そこのお姉さん。俺達とお茶しない?」

「下の売店みたいな所でもいいし。何なら貴船の方まで一緒に行こうよ」

 俺の隣に居る八神さんに、高校生らしき男性二人が話しかけてきた。一人は金髪でもう一人はニット帽に鼻ピアスの男。どちらも見るからに柄が悪そうだ。俺には目もくれない。どうやら彼氏だと思われていないか、彼氏だったとしてもコイツは相手にならないだろうとナメられているかだ。どちらにしても腹が立つ。

 八神さんも彼らの軽薄な態度に腹が立ったらしく

「悪いけど、よく知りもしない人に付いて行ったりはしないわ。大体、今時、ナンパなんて古いわね。ナンパしないと彼女も出来ない程、追い詰められているのかしら? だったら、そんな売れ残りみたいな人と一緒にお茶はしたくないわ」

 と端から聞いている俺でもグサリとくるような言葉を、暴風雪ブリザードのように冷たい声で言い放つ。一瞬、気圧された二人だったが、

「は? ちょっと声かけただけなのに、何でそこまで言われなきゃいけねぇんだよ」

「ふざけんなよ! コラァ!」

 二人は八神さんの周りを取り囲んだ。鼻ピアスの方が八神さんの腕を掴もうとした時だった。

「はい、ちょっとごめんなさい」

 ナンパ二人組の間に体を割り込ませたのは、先程まで金剛床を楽しんでいた後輩だった。七条君が鼻ピアスよりも先に八神さんの腕を掴んだ。そして、俺に顔を向ける。

「二人共、こんな所で長時間、休まないでくださいよ。姉小路先輩が合流しに来ましたよ」

 その背後から

「お待たせしました、会長。Nも待たせたね。一旦、結果報告に来たよ」

 と姉小路が姿を現す。突然のイケメン大学生二人の来訪は彼等も予想していなかっただろう。容姿も喧嘩も勝てそうにないと判断した二人組はそそくさと逃げ出していった。

「何だったんです? あれ?」

「ただのナンパだよ。君達が来てくれて助かった」

「ありがとう。七条君、姉小路君。あなた達のお蔭で助かったわ」

 俺と会長は素直に礼を言った。七条君は少し誇らしげで、姉小路は照れくさそうに頬を掻く。同じイケメンでも対照的だ。

「ところで、姉小路君。何の報告に来たの?」

 会長の問いに姉小路はスマホを取り出して見せた。どうやら今日、鞍馬山に来ていた観光客のインスタグラムだった。何やら写真も投稿されていた。社に囲まれる形で少し大きめな池が広がっており、池の中央にポツンとが泳いでいた。

「この人は先程、下山したみたいですね。勇んでツチノコ探しに来たようですが、見つからなかったみたいです。ほら」


「ツチノコ居ませんでした(´;ω;`) でも、大きな金魚は発見したよーカワ(・∀・)イイ!! 広い池で優雅に泳いでます(⋈◍>◡<◍)✧♡ 残った餌は無駄になっちゃうので金魚ちゃんに全部あげました°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°」


 グラッ

 視界が少しブレる。また、この感覚だ。でも、まだ何かが足りない。いつもの天地がひっくり返るような眩暈ではない。頭の中のジグソーパズルのピースがなかなか動かない。


「で、姉小路君。これが何なの? 頭のおかしいパリピギャルの投稿にしか見えないんだけど……」

「あぁ、僕が言いたかったのはですね……」


 駄目だ……。頭が割れるようだ。目が霞む。吐きそうだ。気持ち悪くて、胃がムカムカする。


「つまり、この付近にはもうツチノコが居ないんじゃないかと思いまして。多分、鞍馬山から生息地を移したんじゃないでしょうか。これ以上、探しても無駄ですよ」

「一人の投稿だけじゃ、断言は出来ないわね」

「いえ、この人だけじゃなく、他の人のSNSの内容もそんな感じですね。ガセネタ掴まされたって怒ってる人も居ますし」


 何なんだろう……。何かを忘れているような、喉に魚の小骨が引っ掛かったような感覚。あと、ちょっとで出てきそうな―――。


「それに常識的に考えて、住んでいる土地を何日も人が踏み荒らしてたら、どんな生物だって居着くわけありませんよ。多分、若丸が一週間前に発見したことで鞍馬山に人が増えたから、臆病な性格のツチノコが生息地を変えたんですよ」

「いえ、姉小路先輩。それは無いと思いますよ」


 唐突に七条君が話に割って入った。そして、彼もポケットからスマホを取り出す。画面には映像が映し出されていた。半袖半ズボンで丸眼鏡の男の子。膝や肘、両腕や手足のあちこちが泥や擦り傷に塗れている。

『はーい!どうも、皆さま、こんにちは。小学生ユーチューバーの若丸でーす! 昨日のツイートを見てくれた皆様なら分かると思うけど……。そう! 此処、鞍馬山にはツチノコが居るんだよね! 僕はそれを見つけちゃった訳だけど、逃げられちゃいました! なので、今回はリベンジってことで、鞍馬山でのツチノコ調査をお送りしたいと―――』


「少し調べてみたんですが、若丸は一週間前から、こういった調査の動画を毎日、投稿しています。ツチノコの住んでいた穴やツチノコが獣道を通った痕跡、昨夜にも動画を出していましたけど、これなんかツチノコが虫を捕食した跡らしいですよ。この一週間で大勢の人が鞍馬であちこち探索してますけど、そのくらいでツチノコが居なくなるなら、こんなに真新しい証拠が次々と出てきますかね? まだ、ツチノコは鞍馬に居ます!」

 成る程と納得したように八神さんは頷く。一方、姉小路は苦笑いをしながら首を横に振る。

「いや、残念だけど、それは彼の自作自演だろうね。ほら、彼の体のあちこちが泥だらけだ。少し山道を探索しただけなら、こんなに体が汚れることはないよ。それらしく穴を掘ったり、獣道の草を刈ったり、虫の死骸を見つけてきたんだろうね。まぁ、彼もユーチューバー。チャンネルの登録者数を稼ぐ為にはどんなことでもするだろう」


 いや、泥だけじゃない。彼の膝や腕。分かりにくいが、泥や擦り傷に混じって何かが……。


「じゃあ、私達はまんまと騙されたというわけね」

 悔しそうな顔の会長。七条君と姉小路が慰める。

「ユーチューバーって、そういうものなんですかね。妹と毎日、投稿されている動画を見ていて、小学生でも本当に動画作りに命かけてるんだなって感動したんですけどね……。やっぱり、お金目当てだったんでしょうか」

「炎上商法って言葉もあるし、ユーチューバーの中には多少のデマも仕事の内と考えている人が居るんだろうね。まぁ、仕方ないさ。今回が外れでも、日本の何処かにツチノコが居るかもしれないって希望を持とう」



              グラリ


「N先輩?」

「N、どうしたの? まさか……」

「おい、N。顔が真っ青だぞ。大丈夫か?」


 目の前の山の景色、朱色の柵、三人の顔、本殿、床の丸や三角の模様

 全てが反転する。空と大地が逆になる。

 つっかえていた何かが、スッと消える。

 頭の中でジグソーパズルのピースが正しい位置に嵌まる。

 ヒントは既に出揃った。


「N先輩!」

 七条君が叫び、俺に手を伸ばす。



(成る程、そういうことか)

 俺が言葉を発しようとした瞬間。




 ―――俺の視界は黒に染まった。

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