第3稿 悪魔の囁きと神々の騒めき(問題編)(5)

 鞍馬山は曲がりくねった参道が義経供養塔の辺りから本殿金堂まで続いており、普通に登るだけでもきつい。ましてや、脇道や山の斜面に何か居るのではないかと神経を張り詰めて探索しながらとなれば何倍も辛い。おまけに、茹だるような暑さをツチノコ目当ての大勢の人が助長している。行列というレベルではないが、前にも後ろにも四、五組のグループがのんびりと歩いている。

「この調子だと、本殿に到着する時間は大幅に遅れそうね。向こうの七人には先に本殿近くの探索をしてもらいましょう」

 イライラした口調で八神さんはポケットからスマホを取り出して、姉小路と連絡を取り始めた。ふと、隣を見ると、七条君の額にも玉の汗が浮かんでいる。当然、俺も八神さんも汗だくだ。

 現在、時刻は12時10分。俺達は中門をくぐった場所に居る。あれから、義経公供養塔やいのちの像付近を熱心に探索したが、ツチノコどころか爬虫類は一匹も姿を現さなかった。藪蚊だけは呼んでもないのに数多く現れ、滅茶苦茶刺された。七条君のスプレーが無ければ、この倍は刺されていただろう。しかし、今日は妙に藪蚊が多い。数年前の夏に鞍馬に来た時はこんなに藪蚊に刺された記憶は無い。

「N先輩、会長、ちょっと提案なんですけど……」

 七条君がゼェゼェ息を吐きながら弱々しく発言する。流石に疲労が溜まってきているのだろう。

「このまま当てずっぽうに探していても非効率ですよ。それよりも、詳しい人に聞いてみるというのはどうです?」

「詳しい人? ツチノコ博士が都合よく周囲に居るとは思えないけどなぁ」

 俺の台詞に、七条君は人差し指を左右に振る。

「違いますよ。鞍馬寺の職員に話を聞くんです! 普段から此処で働いている人なら、ツチノコみたいな爬虫類がどの辺に居るのか詳しい筈です」

 成る程、的確な意見だ。八神さんも七条君の意見に深く頷いた。

「そうね。あの人に聞いてみようかしら」

 八神さんが指を指す。中門をくぐると右に道がずっと続いているが、そこで寺務員が箒で掃除している姿が目に入った。

 俺と七条君は寺務員の人に近づく。八神さんが代表して話しかけた。

「あの、すみません。鞍馬寺の寺務員の方ですか? 少々、お聞きしたいことがありまして……」

 八神さん程の黒髪巨乳美人が話しかけてくれたというのに、眼鏡をかけて作務衣を着た中年の男性は笑いもせず、いや、むしろギロリと睨んできた。

「あんたら、さてはツチノコ目当ての入山者か?」

 ギクリ。背筋が強張った。どうやら、ツチノコ目当ての客はお寺の関係者には歓迎されないらしい。咄嗟に七条君が空気を読み、割って入った。

「いえいえ、僕たちは研究に来た大学生ですよ。鞍馬山の自然環境や生態系を調査しに来ましてね。フィールドワークってやつです」

 その言葉を聞いた寺務員の顔から敵意が消えた。

「そうかい。学生さんが真面目に勉強するのは良いことだ。頑張りなさい。まぁ、この状況じゃ自然環境もへったくれもないだろうが」

「どういうことです?」

 俺の質問に寺務員さんは黙って下を指さした。見ると、あちこちに妙な茶色の粒が散らばっている。砂利よりもかなり小さい粒だ。かすかに変な匂いも漂う。

「金魚の餌だよ。どこぞの馬鹿が変な事を言い出したから、山の中が餌だらけだ。本殿の境内にもばら撒く奴が居たらしくて、住職も迷惑しとる」

 サッと八神会長が金魚の餌入りビニール袋を背中に隠した。幸い、寺務員はその様子に気付かなかったようだ。彼は深いため息を漏らした。

「それだけじゃない。過剰な観光客は藪蚊を多く呼び寄せる」

「藪蚊ですか……?」

 七条君の不思議そうな声に、寺務員は頷く。

「そうだ。猛暑日に観光客が密集すると汗が蒸れる。それに普段から山に登らない奴が急に登山するから息が上がる奴が多くなる。汗の匂いや吐いた息に含まれる二酸化炭素に藪蚊は引き寄せられるんだ。だから、最近の鞍馬は去年以上に藪蚊が多くなっている。迷惑な話だよ」

 俺は何だか申し訳ない気持ちになった。観光客にとっては楽しいことでも、地元の人にとっては不快に感じることがある。せめて、俺達だけでも金魚の餌を参道にばら撒くような迷惑な真似はやめようと思った。無論、寺務員にツチノコの居場所を聞く気も失せた。

 礼を言って、その場を離れようとした時だった。

 ~♪

 突如、響き渡る電子音。

「失礼」

 八神さんはそう言ってスマホを耳に当て、その場を離れた。しばらくして、

「えぇっ! それは本当なのね。うん、分かった。今すぐにそっち行くから待ってなさい!」

 と声を張り上げると、寺務員に会釈し、俺と七条君の手を引っ張った。

「ちょっと、急に何なんですか!」

 いきなり手を引っ張られて不機嫌そうな七条君。すると、八神さんは寺務員に聞こえないように、俺と七条君にだけ聞こえるよう声を潜めた。

「驚かずに聞きなさい。ついにやったわ! 姉小路君からの連絡があって、部員の一人がツチノコに遭遇したのよ! しかも、そのツチノコは何と『喋る』らしいわ。ますます、捕まえ甲斐がでてきたわね」

(ツチノコが喋る? そんな、まさか……)

 俺と七条君は思わず顔を見合わせた。そんな馬鹿な事があるはずがない……。

 俺達は全速力で洗心亭へと向かった。 

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