第3稿 悪魔の囁きと神々の騒めき(問題編)(4)
「ふぅ、疲れた。山に登る前からでも、結構疲れるもんだな」
俺の台詞に七条君がいつもの嫌味を返す。
「先輩、まだ仁王門ですよ。こんなとこでへばってるのは先輩くらいですよ。運動不足じゃないですかね」
確かに、ここはまだ仁王門。しかも、門をくぐってさえいない。今、八神さんが愛山費の三千円を出しているところだ。(愛山費は一人三百円)
「そういえば狛犬じゃなくて虎なんですね」
山田?が虎の石像を眺めながら呟いた。すかさず、姉小路が説明してくれる。
「鞍馬寺の本尊が毘沙門天だからね。毘沙門天に助けられたのが寅年、虎日、虎刻だったことから、毘沙門天の神の使いってことで境内に虎の像が置いてあるんだよ」
おぉーと会員から感嘆の声が上がる。俺もその知識は知っていたが、先に説明役を奪われてしまい拗ねるしかなく、悲しくなった。
「じゃあ、一旦集まって! ここからの予定を説明するから!」
受付を済ませた八神さんが俺達に声をかける。受付のすぐ目の前にある観音・還浄水、その横にある朱色の灯篭の前に俺たちは集合した。
「ここからは手分けしてツチノコを探すわよ。まず、
「歩き組とケーブルカー組の班分けはどうするんです?」
七条君の質問に姉小路が答える。
「どっちの班にも班長が必要だからな。僕と八神さんでじゃんけん。他の皆でじゃんけんってことにして、負けた人が歩き組ってことにしよう」
早速、俺たちはじゃんけんに取り掛かった。結果は……
「歩きだけでも辛いのに……。N先輩のお守りもしなきゃいけないんですね……」
「不満そうな顔をするな、七条君。不満なのは俺も一緒だ」
八人中、俺と七条君だけがチョキ、それ以外がグーを出した。
「で、あんたらと一緒なわけね。先が思いやられるわ……」
八神さんが溜息をつく。八神さんがパー、姉小路がチョキで勝敗はあっさりと決まった。
姉小路と俺達三人以外の会員はケーブルカーに乗ることができると嬉しそうだ。一方、俺達の顔には漫画で見るような縦線が何本も入っていることだろう。この猛暑日に鞍馬の道を歩くなんて冗談じゃない。
「先輩、ここは観念して受け入れましょう……」
七条君の言葉に俺は黙って頷くしかなかった。
「そういえば八神会長。まだ話していないことがありますよね」
七条君が八神さんに問い詰める。八神さんは首を傾げた。
「何の話?」
ちなみに、ここは放生池。もうすぐ由岐神社に辿り着くところだ。有名な大杉もここから見ることができる。俺達は全員で普明殿まで行ったが、ツチノコどころか蛇一匹見つけられなかった。藪蚊が極端に多く、七条君が虫よけスプレーを貸してくれるまで会員全員があちこち刺されまくった。さらに酷かったのは、ツチノコの尻尾かと思って掴んでみたのがヤマビルだった件だ。驚いてヤマビルを放り投げてしまったら八神さんの顔に当たってしまい、姉小路が何とか取り成してくれるまで俺はずっと八神さんに引っ掛かれ続けた。藪蚊による虫刺されと八神会長による蚯蚓腫れ。まだ登り始めて間もないのに、既に俺は満身創痍だ。
そんなこんなでケーブルカー組を見送り、俺達は本殿に向かって歩き続けていた矢先の出来事である。
「
俺も思い出した。あの時、八神会長は確かにそう言っていた。
『二つの事件を調査してもらいます! 一つはツチノコの捕獲。もう一つは丑の刻参りの犯人の捕獲!』
「丑の刻参り」、知らない人の方が少数派である有名な呪いの儀式。白装束で頭に蝋燭を巻き、五寸釘を藁人形に突き刺し木に打ち付ける。そして、儀式を目撃されると呪いは術者の元に返ってくるので、目撃者は確実に殺さなければならない。そんな危ない儀式をする奴を捕獲? どういうことなのだろう?
「あぁ、そのことね。すっかり忘れてたわ。本当は当事者から説明してもらった方がいいのだけれど……」
忘れてたのかよと心の中でツッコミを入れつつ、俺は八神会長に聞いた。
「当事者って誰です?」
「姉小路君よ」
驚いた。あんな爽やかなイケメンとオカルト話ほど釣り合わない物は無い。姉小路のことだから、そこらのユーチューバーみたいな「やってみた」感覚で話を持ち掛けることはないだろう。そこまで考えた時にふと彼の言葉が頭を過った。
『実習先でちょっとトラブルがあってね……』
七条君も思い出したようだ。
「会長、それって姉小路先輩の実習先のトラブルに関係があるんですか?」
八神会長は頷いた。
「そうね。その話から始めましょうか。N、あなたは姉小路君の実習先が精神病棟ってことは知ってるわよね」
俺は頷く。七条君も
「そういえば、そんなことを言ってましたね。正確には閉鎖病棟って話でしたけど」
と律義に訂正する。
「そうよ。閉鎖病棟って文字通り閉鎖されているの。家族と面会することは許されない。ましてや、外に出るなんて絶対に出来やしないの。でも……」
「その言い方だと、まるで誰かが脱走したみたいな言い方ですね。まさか!」
八神さんは頷き、声を潜めて話す。誰かに聞かれたくないのだろう。
「えぇ、二週間程前に脱走した人が居るのよ。しかも、その人はウチの大学の学生だったの。名前は田中瀬織。私やN、姉小路君と同学年で学部は工学部。弓道部の部長でもあったわね」
「あぁ! その人なら名前は聞いたことがあります。あちこちの弓道大会で優勝した人で、特に三十三間堂で行われる大的大会の成人女子の部で優勝したっていう噂は有名でしたけどね。そういえば、あの大会から噂を聞かなくなりましたね」
急に七条君が話に割り込んできた。咎めることなく八神さんは話を続ける。
「そうね。むしろ、その大会のせいでって言った方がいいかもしれない。家に見ず知らずの人、多分、他校の学生だと思うけど、そういった人から手紙が大量に届くようになったの。嫉妬の内容の手紙がね。ウチの大学では、そういった目で見られることは無かったらしいけど。一方で、部員から過度な期待をされるようになったみたい。元々、彼女は普段は大人しめの性格だったから、良い噂か悪い噂かにかかわらず、あちこちで騒がれるのが相当、苦痛だったらしいわ。それで、先月の初めくらいに精神病院に入院することになったの。統合失調症って診断されたみたい」
「で、その人が脱走したってわけですね。でも、閉鎖病棟から出たんですよね。脱出した方法は分かっているんですか?」
俺の質問に八神さんは複雑な表情になる。どう答えたらいいのか分からないという顔だ。
「それが全く分からないのよ。病院の監視カメラにも映っていなかったし、警備員も怪しげな人は見かけなかったって言ってる。とにかく、彼女の捜索やら対応やらに追われて実習どころじゃないってことで、実習生は皆、帰らされたみたい。代わりの実習先が見つかるまでは暇してるって姉小路君は言っていたわよ」
成る程。姉小路の言っていたトラブルの内容は分かった。だが、それがどのように「丑の刻参り」に繋がるのか分からない。俺の表情を読み取ったのか、八神さんは再び話し出す。
「今のは姉小路君からの情報よ。で、ここからが丑の刻参りの情報。私の知り合いが貴船神社で巫女をやっていてね。その子からの情報なの」
「その知り合いの巫女さん、美人ですか?」
俺の質問は八神さんに華麗にスルーされる。
「彼女によると、5月から6月の約二ヶ月間くらいだったかな。週に一度くらいの頻度で、貴船神社の奥宮で奇妙な出来事が起こるようになったらしいの。彼女は『姿無き刻参り』って言ってたけど」
「『姿無き』って、どういうことなんです?」
俺は気になって訊ねた。
「そのまんまの意味よ。本当の丑の刻参りなら白い着物を着た人間や釘を木に打ち付ける音が聞こえてくる筈よね。実際、そういう格好で深夜に境内付近をうろつく人も何人か居たらしくて、見つけ次第、警察に通報していたらしいわ。でも、今回の刻参りは違う。白い着物の姿もないし、金槌で木を叩く音も無い。でも、翌朝に奥宮の境内を見回ってみると、五寸釘が刺さった藁人形が木に打ち付けてあったり、木の下に落ちていたらしい。不定期にそういうことがあったらしいの。でも、6月末くらいにピッタリと止んだ」
「質の悪い悪戯ですよ。二ヶ月くらい、丑の刻参りごっこして遊んでたけど、飽きちゃったんですね。今更、犯人を見つけようとしても無駄ですよ」
七条君の呑気な意見に、八神さんは首を横に振った。
「それがね、今月になって再発したのよ。二週間前くらいにね。今度は本宮の方らしいんだけど、絵馬や手水舎の辺りに五寸釘が刺さった藁人形が落ちていたらしいの。一度だけ、桂のご神木にも刺さってたみたい。でも、白い着物の人物や怪しい音なんかは誰も見聞きしてない。間違いなく、姿無き刻参りが復活したんだわ」
今度は俺が質問する。
「同一犯である根拠は? 先程、会長は怪しい奴が何人か現れたことがあるって言ってましたよね。丑の刻参りのやり方は、そういう怪談を聞いたことがある奴なら大まかな事は知っています。姿が見えないって共通点だけじゃ、どちらの件も神主さんや巫女さんが見逃した可能性があるでしょ」
この質問にも八神さんは首を横に振る。
「言い忘れていたわ。どちらの件でも五寸釘は藁人形だけでなく、妙な紙も貫いていたの。紙にはたった一文字の漢字が書かれていたそうよ。『申』ってね。だから、同一犯だと分かったの」
「
俺は黙り込む。何だろう、何故か不安になる。「申」という一文字を残して、犯人は何を伝えたいのだろうか? この事件はヤバイ。本能が自身にそう言い聞かせている。
空気をぶち壊すかのように、キョトンとした顔で七条君が八神さんに訊ねた。
「あの、会長。『姿無き刻参り』と姉小路先輩の実習先の件、どのような関係があるんですか?」
俺と八神さんがずっこける。何とか体勢を立て直した俺達は呆れた目で七条君を見る。
「あのね、七条君。ちゃんと話を聞いていたかい?」
「失礼ですね! そういう先輩こそ、ちゃんと聞いていたんですか? 今のは明らかに八神会長の説明不足じゃないですか!」
「じゃあ、聞こう。今日は何月何日だ?」
七条君はデジタル式の時計を確認する。最近のデジタル時計は年月日が表示されているのだ。
「8月17日ですけど……」
「じゃあ、田中瀬織さんが精神病棟に入院することになったのは
「先月の初めって言ってましたね。7月の上旬くらいですか?」
「じゃあ、脱走したのは?」
「二週間前って言ってましたね」
「よし、じゃあ、丑の刻参りが一度止んだのは何時だ? そして、何時、復活した?」
「えっと、確か・・・・・・。あっ!」
ようやく気付いたか。俺は七条君の代わりに話を進めた。
「そう、一度止んだのは6月末。復活したのは二週間前だ。偶然にしちゃ、出来過ぎないか? 閉鎖病棟に入っていたから、その期間は丑の刻参りが行えなかった。しかし、脱走したことで再び儀式を始めることが出来た。これなら辻褄が合う」
八神さんも頷きながら、俺の意見を補足する。
「それに、田中さんには動機があるわ。大的大会の件で、周囲から羨望と嫉妬の目で見られ、精神的に追い詰められていた。丑の刻参りで誰かを呪い殺す動機はあるわね」
ようやく、七条君は納得したようだ。
「成る程。じゃあ、今回の目的はツチノコの捕獲とは別に、田中さんを現行犯で捕える訳ですね。面白そうですね! ウチの部員、全員で飛び掛かれば女性一人くらい楽勝ですよ!」
「う~ん、それなんだけどね……」
八神会長が何か言いにくそうな様子でスマホを取り出し、誰かと電話をし始める。小声でやり取りをしながら、云々と頷き、何か返事をしている。そして、こちらに向き直る。
「ごめん! 丑の刻参りの方は人数が減りそう!」
「「えぇっ!」」
七条君だけでなく、俺も驚いた。丑の刻参りは目撃者を殺害しなければならない制約がある。当然、犯人は凶器を所持している筈だ。十対一ならば数の差で優位に立つことが出来るが、人数が減れば、当然、凶器を所持している方が強い。
「何で人手が減るんです?」
俺の問いに、八神会長はてへぺろの表情で返した。
「言い忘れてたけど、深夜二時くらいまで張り込むつもりなのよ。だから、一回生と二回生は希望制にしようかなって思ってね。当然、Nは三回生だから強制参加だけど、七条君は帰ってもいいわよ。お家の都合もあるでしょうし。あ、ちなみに
その言葉で一気に顔が青ざめていく俺と七条君。俺のすがるような目線に気付いた七条君は、俺の目を見てニヤリと笑う。まさか、「N先輩だけ置いていくんで帰ります」と言うのだろうか……。俺の心は不安で満たされていく。
「N先輩……」
「な、何だ……?」
「一つ、貸しにしておきますね」
七条君は八神会長に向き直り「参加します!」と答えた。
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