第3稿 悪魔の囁きと神々の騒めき(問題編)(2)

 ドアが開く。叡山電鉄の白いボディに緑色の線が入った車両(後で調べたがデオ710形と言うらしい)。降りてすぐに目に入るのはレトロな駅舎と天狗の面が一つ、二つ、三つ……。其処彼処そこかしこに赤い顔と尖った鼻がこちらを向く。

 俺が降りた後から、わぁわぁとはしゃぎながら大勢の子供が、さらにその後から保護者と思わしき人達が、あと女子高生や女子大生らしき若い女の子も車両から降りてくる。

「ねぇ、ホンマに出るん?」

「さぁ、彼氏から聞いた話やし。でも、金魚か鯉の餌が必要らしいって」

「捕まえたら、大儲けやな。来年の祇園祭で箸まき何個買えるやろ」

「夢、ショボ過ぎ!」

 俺の前を通り過ぎて行った女の子達の会話だ。意味不明だ。天狗でも捕まえる気なのだろうか?

 駅の描写でお分かりになった方もいるだろうが、俺は現在、鞍馬にいる。勿論、山に登るつもりだから登山に適した格好だ。歩きやすい山用のスニーカー、飲み物や懐中電灯、その他諸々の装備がこれでもかと詰め込まれているナップサック。夏だから暑いし、重いし、最悪だ。鞍馬はこんな猛暑日に来る所じゃない。

 駅舎を出ると、巨大な天狗の顔の像(顔の下の土台に大きく鞍馬と書いてある)の前に、既に九人のメンバーが集まっていた。どうやら、俺が最後のようだ。

「また、N先輩が一番遅れですね。家が遠いから、こういう集合の時になると、いつも遅いんですよね。しっかりしてくださいよ……」

 開口一番、腹が立つ台詞を投げかけてくるのは俺の後輩で文学部一回生の七条葵だ。実家が老舗の料亭で左京区に住んでおり、洛外を馬鹿にする傾向がある。なので、この台詞はどう考えても俺に対する挑戦だ。

「おい、七条君。また、洛外いじりが始まるのか? 遅れたのは悪かったが、いい加減しつこいぞ。宇治に何の恨みがあるってんだ」

 憤慨する俺。しかし、俺の台詞に返したのは七条君ではなかった。

「宇治を馬鹿にするつもりはないけど。でも、毎回遅刻する貴方には反省ってものは無いのかしら? メンバーの中で一番、家が遠くにあるのなら、家を出る時間を早くするなり対策してしかるべきね」

 透き通った氷柱のような口調。推理小説研究会の会長、経済学部の三回生、八神叡瑠やがみえいるさんだ。しっとりとした艶のある肌、黒髪ロングで上向きのまつ毛とやや切れ長な眼に澄んだ瞳、そして巨乳! モデルのように素晴らしくプロポーションの良い体型に、会長らしい凛とした態度と佇まい。まるでラノベかアニメの中からそのまま現れたかのような女子大生だ。今回は登山に適した服装で露出は少ないが美しさは変わらない。七条君に先述の台詞を言われたのであれば頭を引っ叩いたところだが、会長の台詞であれば俺は素直に頭を下げる。

「そうでしたね、姉御。今度からは本当に気を付けますから。今回は寛大な御心で許していただきたく……」

「私のことを姉御と呼ぶなって、いつも言ってるでしょう!」

 白く透き通った肌が急に赤くなり、会長が声を荒げる。

「まぁまぁ、京都は交通手段が観光客のせいで大幅に遅れますからね。普段より早く家を出ても、どうしても宇治からだと遅くなっちゃいますよ。Nも反省してるみたいだし、許してあげたらどうです?」

 穏やかな声が会長を諫める。横から仲裁に入ったのは副会長の姉小路右将あねのこうじ みぎまさだ。俺と同じ社会学部福祉コースの同級生。顔は七条君とタイマンを張れるレベルのイケメン。だが、パリピっぽい七条君とは対照的に、姉小路は誠実そうな七三分けの髪型で知的な美青年という印象だ。性格も穏やかで、会長や会員が暴走した時にブレーキ役になるのは彼である。将来は福祉に携わる仕事をしたいらしい。優しく陽だまりのような彼にピッタリだ。数週間前から実習にも参加しているらしいが……。

「あれ? 姉小路。今日は実習は大丈夫なのか? 精神病院の閉鎖病棟に夏休み期間中はずっと居るって聞いたけど……」

 一瞬、彼の顔に暗い影のようなものが出来た……ような気がする。でも、妙な面影は消え、彼は穏やかな笑顔で返答した。

「実習先でちょっとトラブルがあってね。病棟担当の学生は全員、実習中に帰らされたんだ。まぁ、会長の話の後に話すよ」

「そういえば……!」

 メンバーの一人、確か、名前は佐藤だった気がする。合計十人のサークルとはいえ、全員の名前は把握しきれていないのだ。勘弁してほしい。とにかく、そいつが急に声を上げた。

「会長! 夏休み中に急に会員を集めて何なんですか? 全員、暇だったから良かったけど。昨日の夜にいきなり、『翌日、鞍馬に集合』なんてメッセージが届いたからビックリしましたよ!」

 そのメッセージは俺にも届いた。正確な文面は『翌日、午前10時に鞍馬に集合! 登山に適した格好でヨロ! 具体的な話は現地で。㊟金魚の餌を持っている人は持ってくること』。

「そうですよ! 一応、持ってきましたけど……。金魚の餌ってどういうことです?」

 今度は田中だったか田辺だったか。女子が会長を問い詰める。しかし、八神会長は慌てたり怯んだりすることもなく答えた。

「そうね、その説明からしましょうか。でも、今日は暑くて日射病の危険もあるから駅舎の中で話しましょう」

 確かに、今日はすごく暑い。ニュースでは歴史上に稀に見る猛暑とか言っていた気がする。会長の意見には異論は無く、推研一同はぞろぞろと駅舎に戻っていった。

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