第1稿 悪魔の囁きと奇妙な男(3)

「へぇ、成る程ね」

 七条君の長い話がやっと終わった。まぁ、奇妙といえば奇妙だが、取り立てて気にするような出来事ではないと思う。俺がその考えをそのまま口にすると、七条君はギロリとこちらを睨みつけた。

「推理小説研究会会員が、そんなことでどうするんですか! もしかしたら、犯罪に発展するかもしれないんですよ!」

 犯罪? 七条君の言葉に俺は耳を疑った。慌てて七条君を問い詰める。

「待て待て! 君は今、犯罪って言ったけど、どうしてこの件が犯罪に発展するんだ?」

 俺の疑問に、七条君はやれやれと呆れたように溜息をついた。

「そんなことも想像できないんですか? 仕方ない。僕が順を追って説明してあげますよ」 

 そう言って、偉そうに人差し指を立てながら部屋の周りを徘徊し、語り始めた。

「まず、男の奇妙な行動は四つに分類できます。一つは、休憩所に一休みに来たにもかかわらず半分も残っている飲み物を一気に飲み干したこと。一息つきたいだけなら、あんな慌ただしい飲み方はしません。飲み方だけでなく、鞄から飲み物の缶を取り出した時も慌ただしい素振りでした」

「それなんだけど。その行動って、そんなに奇妙か?」

「どういうことですか? 先輩」

 俺の突然の意見に七条君は戸惑いを見せた。

「休憩するなら飲み物を一気飲みしてはならないなんて法律は無い。もの凄く喉が渇いている人だったら一気飲みくらいするだろう。それに、持参していた飲み物が温くなって味が落ちてしまい、飲む気が失せてきた。そんな時に大学の休憩所に立ち寄ると、冷たくて美味な飲み物を売っている自販機が……。男は一気にまずい抹茶オレを飲み干し、新しい飲み物に乗り換えようとしたっていう筋書きだって考えられるだろ」

 俺の意見を聞いた七条君は残念そうな顔で首を横に振った。

「もの凄く喉が渇いている人なら、わざわざ休憩所に入ってくる必要がありませんよ。ここは大学構内。自販機やゴミ箱は校舎のあちこちにありますし、男の持っていた飲み物の缶はキャップ付きなんだから、任意の場所で立ち飲みや持ち歩き、廃棄が可能でした。それに、実は先刻言い忘れたんですが休憩所には水道と洗面台もあったんです。飲み物が気に入らなければ、そこに中身を流すこともできました。そして、男は抹茶オレの缶を捨てた後、新しい飲み物の購入はしていません。先輩の考えは的外れですよ」

 成る程。悔しいが正論だ。しかし、水道と洗面台のことを後出しにするとは卑怯じゃないか。

「二つめは、大量の本を持ち歩いていたこと。先程も言いましたけど、外出中に読み切れないし、重くてかさばるし、電子書籍が普及している現代では十冊の本を持ち歩くというのは異常な行動です」

「本屋で十冊買って、そのまま休憩所に来た可能性もあるんじゃないのか?」

 二回目の俺の反論にも、七条君は余裕の笑みで答えた。

「先輩、ちゃんと話を聞いてました? 本屋で買ってきたばかりなら、本屋の袋から取り出す筈でしょう。さっきも言いましたけど、十冊の本は全部、袋もカバーも無い、素の状態で鞄に入っていたんですよ」

 これまた納得せざるを得ない。しかし、やっぱり此奴の言動はどことなく腹が立つ。

「話を続けますよ。三つめは本を磨くという行為。何故、男は外出先で本を綺麗に磨き上げる必要があったのでしょう?」

「本を売り歩いている人がこの大学で取引の予定があり、依頼人に渡す前に綺麗にしておきたかった……というのは?」

 俺は何とか、それらしい意見を捻り出した。

「違法薬物とかならともかく、本を売り歩いている人なんて聞いたこともありませんよ。普通に本屋に行けば済むことですし。希少本だったとしても、ア〇ゾンやメル〇リ、それにここの人間なら古本市で手に入れられます。そんな需要の無い商売をする奴は居ませんよ。先刻さっきから、変な横槍いれないでください」

 俺の考えが「変な横槍」扱いされ、悲しくなる。

「気を取り直して四つめは男がラグビー部員に更衣室とシャワー室の場所を聞いた件です。首から一眼レフを掛けており挙動不審。しかし、そんな男が部員に何かをゴニョゴニョと話したら、部員は部外者兼不審者にあっさりと部室棟の場所を教えてしまったんです。一見、不可解に見えるこれらの行動……。しかし、これらの四つの点を繋ぎ合わせれば真実は明らかになるんです!」

「真実って?」

 俺の問いに七条君は自信満々に頷いた。

「そう、男は万引き犯&盗撮魔&下着泥棒だったんですよ!」

「は?」

 俺の気の抜けた声に、七条君は「こんなことも分からないのか」と言いたげにこちらを一瞥する。

「まず、男が休憩所に来た理由ですが、犯罪と犯罪の合間に小休止を入れる為です。男は休憩所に来る前に本屋で万引きをしてきたんですよ。だから、本がカバーや袋も無く、大量に鞄に入っていたんです。

 次に大学で盗撮と下着ドロをしようと思い立った。でも、本屋から急いで逃げてきた男は喉がカラカラ。だから、喉を急いで潤す為に、そして犯罪で昂った心を落ち着かせる為に一気に飲み物を飲み干したんです。

 本を磨いていたのは、万引きした本を出来るだけ綺麗な状態で転売する為です。汚れていたら、価値が下がって安く買い叩かれますから。

 次に男は盗撮と下着ドロに向かいますが、初めて来た場所で何処を狙うべきかが分からない。そこに、男にとっては有難いことにラグビー部員が休憩所に入って来たんです。男はラグビー部員に取引を持ち掛けた。『この大学の更衣室とシャワー室の場所を教えてくれれば、お宝写真と盗んできた戦利品を君に分け与えよう』とね。交渉は成立。男はラグビー部員からまんまと運動部の部室棟の場所を聞き出したんです! どうです! 完璧な推理でしょ!」

 胸を張る七条君。その態度に俺は辟易する。

「まぁ、辻褄は合っているけども……。少し強引な推理なんじゃないか?」

 その言葉に七条君は憤慨した。

「何を言うんです! 失礼な! じゃあ、僕の推理が正しければ、今頃、男が更衣室とシャワー室を物色している筈です。確かめに行きましょう!」

 その発言だけならば適当に受け流すことができた。しかし、次の瞬間、此奴はとんでもないことを言い出した。

「あ、そうだ! 相手は犯罪者ですからね。警察を呼びましょう! それが良いでしょう! 早速、110番を……」

 スマホを手に持ち、部室を出て行こうとする七条君を俺は全力で引き留めた。

「ちょっと待ってくれ! 確証も無いのに警察沙汰にする気かよ!」

 俺はこう見えても大学三回生、就活を控えている身だ。警察沙汰を引き起こして、挙句に勘違いでしたなんてことになったら……。退学程度じゃ済まない。確実に今後に響くだろう。だが、そんなことは知ったこっちゃない一回生の七条君は、俺の掴んだ手を振り解こうと暴れる。

「先輩、今の話をちゃんと聞いていたんですか? 大学で犯罪行為が行われようとしているんです! それとも、先輩は犯罪行為を見過ごすような最低な人間なんですか?」

「ひとまず、落ち着いてくれ。警察を呼ぶのは早すぎる! もう少し、様子を見て……」

「もういいですよ! 僕が行きますから。手を離してください!」

 ドン!

 と何かが俺の肩にぶつかり、その衝撃で俺の体は後ろによろめいた。何だろうと思って前方を見ると、「やってしまった……」という血の気の引いた顔の七条君が。彼の左手は前方に突き出しており、俺は彼に突き飛ばされたのだと理解する。俺は思いっきり、後ろの壁に激突した。

 そして眩暈。視界がぐらっと揺れ、目に見える景色が万華鏡のように乱反射した。同時に妙な感覚にも襲われた。自分はこの出来事を一度体験しているような感覚。既視感デジャヴのような妙なイメージ。

 途端に頭の中でジグソーパズルの最後のピースが完全に嵌まったような気がした。

「先輩、大丈夫ですか! つい、勢い余って。本当にごめんなさい!」

 今にも泣きだしそうな顔で俺を心配してくれる七条君。そんな彼に俺は優しく声をかけた。

「いや、俺は大丈夫だ。気にするな。それより、今回の件だが、警察を呼ぶのは俺の推理を聞いてからでも遅くはないんじゃないかな?」

 この台詞に七条君はピタッと動きを止める。

「N先輩、何か分かったんですか?」

 俺は頷く。

「あぁ、君の話を聞いてて少し考えたことがあるんだ。言うなれば、俺の中に居る推理の悪魔が囁いたってやつだな。聞いてくれるか?」

 七条君は少し考えるような素振りを見せたが、はぁっと溜息を吐いた。

「まったく。また、いつもの先輩の中に居る悪魔ですか? でも、まぁ、先輩の推理もちょっと聞いてみたいですね。推理の悪魔のお手並み拝見といきましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る