第1稿 悪魔の囁きと奇妙な男(4)

「さて、七条君。君は男の行動の奇妙な点を四つにまとめていたね。そのうちの一つは憶測でしか語れない。しかし、他の三つの行動についてはある程度、真相を追究することができるんだよ」

「え? どういうことですか?」

 態度を落ち着かせた七条君は部室の椅子に腰かけながら、訳が分からないという顔をする。

「まぁ、待て。ちゃんと順を追って話すから。まず、憶測でしか話せないのが大量の本を持ち歩いている理由だ。まぁ、これについても考えはあるけど後で話そう。先に話さなければならないのは、慌ただしい一気飲み、本を磨き上げる行為、更衣室とシャワー室に向かった理由だ」

「最後のは明らかに犯罪じゃないかと思うんですけどね……」

 まだ、納得できなさそうに俯きながら、七条君はブツブツ呟く。

「いや、その行動にもれっきとした理由があるんだ。例えば、更衣室やシャワー室に必ず備えられている物が必要だった……とかな。七条君はこういう部屋を使う機会が今までにあったかな?」

「えぇ、その施設なら体育で使いました。サッカーで汗だくになった後、シャワーを浴びて汗を流しましたね。で、タオルで体を拭いて……」

 途端に何かを思い出したように、椅子から跳ね起きる。

「もしかして、ドライヤーですか?」

 その答えに俺は大きく頷いた。

「その通り。更衣室やシャワー室には必ずドライヤーが備え付けられている。ところで、君に再び質問なんだが……。どうして、君はガタイの良い学生を瞬時にラグビー部だと判断したんだい? ガタイの良い奴が大勢居る部活やサークルなんて他にも沢山たくさんあるじゃないか?」

 その質問に一瞬、七条君は戸惑いを見せたが、返答に時間はかからなかった。

「それは簡単です。ユニフォームを着てましたから。あれだけ大きくラグビー部の文字が書いてあれば、ここの学生でなくとも彼がラグビー部員であることは瞬時に理解できますよ。それがどうしたんです?」

 俺はその答えに指をパチンと鳴らした。

「そう! そして、そこに大きな意味がある。更衣室やシャワー室を主に使用するのは、君のような体育を終えた学生か運動部の部員だ。だが、体育を終えた学生なんてピンポイントで探しづらい。ユニフォームを着たラグビー部なら素人目でも分かるし、外部の人間でも『運動部員なら更衣室やシャワー室の場所を知っている』ことは判断できるだろうね。その男は面識の無いラグビー部員に場所を聞く程、ドライヤーを使う必要があったんだ。ある物を乾かす為に」

「ある物って……」

「大量の本だよ」

 俺は部室のテーブルの上に置かれていた、キャップが閉まるタイプのコーヒー缶を七条君に見せる。

「男が鞄から取り出した抹茶オレの缶はこの形状だったんだね?」

「はい、ちょうどそんな形でした。中身は半分くらい入っていて……」

 俺はその言葉を遮るように話を切り出した。

「君は半分くらいといったが、言い換えれば取り出された缶の中身は半分程しか入っていなかったのだろう? ちなみに、俺の手にある同タイプのコーヒー缶は285cc内容量と書いてある。半分は約142ccだ。枡一つの容量が180ccだから、それに近い」

「何が言いたいんですか? まさか……」

 七条君のその台詞に、俺は確信を持って次の台詞を口にした。

「そう、男は不思議な行動なんて取ってないんだ。のだから。休憩所で抹茶オレを飲んで一息つこうと思った男は、そんな状態の鞄を見て慌てただろうね。鞄だけならまだしも、中に入っていた十冊の本にも、枡一杯に近い量の液体がかかってしまった。抹茶オレなんて濡れるだけではなく、色や匂いも付く飲み物だ。一刻も早く、抹茶オレの缶を処分して本の応急処置に動かなければならない」

 成る程と七条君は頷く。

「だから、一気に缶の中身を飲み干して処分したかったんですね。本や鞄をこれ以上、汚さない為に」

「そうだ。そもそも、仮に男が本を大量に持ち歩く趣味を持っていたとしても、大学の休憩所という場所で見せびらかすように全部の本を出す必要はない。自分が読む一冊を取り出すだろう。十冊全部の本を外に出したのは、濡れた本を外に出して乾かす為だ。ハンカチで本を磨いていたというのも、実は濡れた本をハンカチで拭いていただけ。本が新品のように綺麗に光っているように見えたのは、本の表紙に付いた液体の水滴が照明の光に反射したからだ」

「じゃあ、本をしまう際にレジ袋に入れ直したのはどういうことです?」

七条君から唐突に質問が来たが、その質問も想定内。

「鞄も濡れていたからだよ。ひとまず、ハンカチで拭くなり外に出すなりして、ある程度は乾いた本を湿った鞄に入れたくはない。偶然持っていたレジ袋で本を覆って、再び本が濡れる事態を防いだんだ。だが、一度濡れた物を手作業で完全に乾かすことは不可能。そこに一目でラグビー部員だと分かる人間が現れた。男はこう考えただろう。『運動部の更衣室かシャワー室ならドライヤーがある筈。何とか借りられないものか』とね」

 俺の話を聞いた七条君は小さく頷いた。先程までの懐疑的な表情はすっかり消え去っていた。

「そして、男はラグビー部員にドライヤーのある場所を聞き、濡れた鞄を見せて、使っても良いかどうかを確認した。納得したラグビー部員はすぐに場所を教えて、男は濡れた物を乾かすべく足早に更衣室へと去っていった……」

 そして、パチパチと手を叩き拍手した。

「お見事な推理です。どうやら、僕の推理は少し飛躍し過ぎていました。警察を呼ぶ必要はないですね」

 彼のその言葉に俺は安堵した。ひとまず納得してくれたようだ。

 すると、今度は何かを期待したような目でこちらを凝視してくる。何だろうと思っていると。

「N先輩、男が大量の本を持っていた理由は何です? 一応、考えはあるんですよね?」

 そういえば、その説明を忘れていたことに気づく。俺はコホンと咳ばらいをして、推理を再開した。

「あぁ、それに関してはあくまで想像するしかない。でも、君の述べた状況説明と周囲の環境を考えれば、ある程度の予想はできる」

「周囲の環境……ですか?」

 訳が分からないという顔の七条君に俺はある事実を突きつけた。

「今、俺たちがいるのはだ。そこまではいいかい?」

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