7.シング・ア・ラブソング!


 ついに本番の日がやってきた。

 文化祭一日目の土曜日。二日間ともステージイベントはあるが、私の出番は今日だった。


 ステージ裏の待機スペース。一つ前のバンドが楽器の片づけを始めている。私がステージに上がるまで、あと一分もない。


「どうしよう……」

 藪本やぶもとくんは落ち着かない様子でつぶやく。一時間前からこんな感じだ。


「ちょっと、なんで藪本くんが緊張してるの? 歌うのは私なんだけど」

「だって、こんなたくさんの人の前で、自分の曲が流れるんだよ。ネットで発表するのとはまた違うし……」


 ネットの方がたくさんの人に聴かれると思うんだけどな……。けれど、クリエイターにとっては、それとこれとはまた別の問題なのだろう。藪本くんの繊細な一面を知る。


「大丈夫だよ。それよりさ、例の中学のときの友達は来てくれるって?」

「ああ、うん。昨日、メッセージ送ったら、行くって返事来たし。たぶん観客の中にいると思う。文化祭が終わったら、あのときのこと、改めて謝ろうと思ってる」


「死亡フラグみたいになってるね」

「……なんか上手くいかない気がしてきた」


「わー、ごめんって! もうちょっと自信を持ちなよ。藪本くんの曲、私は好きだし」


 藪本くんの作る音楽を、良い曲だとかすごいねとか、そういうふうに褒めたことはあったけれど、好きかどうかは、ちゃんと言葉にしていなかったことに気づく。


 それを聞いた彼は、目を大きく見開いて言った。

「ありがと」


 初めて見る、照れたような彼の笑顔に、私の胸は高鳴った。

 ヤバい。歌う直前なのに、なんだかふわふわしてきた。藪本くんのばか。


 お互いに何を言えばいいかわからなくなって、二人して黙っていると、

「二年D組。水岡みずおか光莉ひかりさん。お願いします!」

 ステージの上から、私を呼ぶ声がした。


「あ……。呼ばれた。じゃあ、行ってくるね」

「うん。行ってらっしゃい」


 激励でも期待でもなく、ただ背中をそっと押してくれる彼の声が、今はちょうどよかった。

 深呼吸をすると、不思議と落ち着いた。


 私はステージの上に立つ。

 一つ前のバンドの熱がまだ残っているみたいで、客席は盛り上がっていて。

 私のことも拍手で迎えてくれた。


 見たことのない景色に、圧倒される。

 けれど、緊張も不安もなかった。


 藪本くんは、紛れもなくすごい人だ。そんなすごい人の作った素敵な曲を、今から私は歌う。


 こんな素敵な曲を歌えるのは、本当に幸せなことだ。

 そういう気持ちだった。


 彼が褒めてくれた声を響かせるため、息を吸った――。


   強い君を見て

   恋が始まった

   弱い君も知って

   胸が高鳴った


 藪本くんのことを思い浮かべながら、私は藪本くんの言葉を紡いでいく。


 困っている私に手を差し伸べてくれたときのこと。


 いきなり歌ってほしいと、意味のわからない要求をされたときのこと。


 私の声を褒めてくれたときのこと。


 格好良いと言ってくれたときのこと。


 過去を打ち明けて、弱さを見せてくれたときのこと。


 文化祭の準備で、理不尽に責められていた私を助けてくれたときのこと。


 そんな藪本くんが好きだな、と思ったときのこと。


 その一つひとつの場面を思い浮かべながら。


 藪本くんに理想だと言ってもらった声を、思いっきり響かせる。


 歌い終わって一礼すると、大きな拍手が降り注いだ。


「水岡さん!」

 ステージから降りると、舞台裏には藪本くんが待っていた。

 こちらに向かって駆け寄ってくる。


「藪本く――」

 言い終わらないうちに、私は彼の腕に包まれていた。


 どうやら、私は藪本くんに抱きしめられている……らしい。

 待って待って。お願いだから離して。ヤバいって。心臓の音、聞こえてないかな。まあ、このドキドキはたくさんの人の前で歌ったせいなんですけどね! たぶん……。


「すごいよ! 最高だった!」

「ちょ……。藪本くん?」


「あっ、ごめん……」

 私は藪本くんの腕から解放される。名残惜しさなんてない。断じて。


「ううん。大丈夫」

 嘘。大丈夫じゃない。心臓がバクバク鳴っていて、今にも口から飛び出そうだった。


「やっぱり好きだなって思っちゃって、つい」


「え?」

「え?」

 藪本くんは自分で発した言葉に、自分で驚いているようだった。


 けれどすぐに、いつも通りの表情に戻って。

「み、水岡さんの声のことね」

 発した台詞は、いつもよりもちょっとだけ早口になっていた。


「そそそ、そっか。あは……あはははははは」

 私も呂律が上手く回っていない。


 藪本くんのスマホが震えた。ナイスタイミング。

「あ、メッセージだ」


「例の友達から? なんだって?」

「えっと……。『すごく良い曲だった』って。それと、この後、会ってくれるみたい」

 嬉しそうな顔で彼は言う。私も安堵した。


「そう。よかったね」

「うん。なんか、ただ掃除を手伝っただけなのに、こんな大きいことまでしてもらっちゃって……。えっと、本当に感謝してる。ありがとう、水岡さん」

 いつも通りの口調に戻って、藪本くんが言った。


「じゃあ、私も何かお礼してもらっていい?」

「僕にできることなら」

 軽い調子で藪本くんは答える。


 かなり頑張ったから、まあまあ贅沢な要求をしてもいいのかもしれない。

 けれど――。


「明日、一緒に文化祭を回ってほしいんだけど」

 今の私には、これが精いっぱいだ。


 これからも、藪本くんの歌を歌いたい。それはまた明日、言おうと思う。

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シング・ア・ラブソング! 蒼山皆水 @aoyama

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