5.過去


「ちょっと休憩しようか」

 焦る私を見かねたのか、藪本やぶもとくんが言った。


「うん。そうする」

 私たちの間には、なんとも言えない気まずさみたいなものが漂っていた。


「……お茶のおかわり、持ってくるね」

 藪本くんは部屋を出て行った。


 私は再び一人になった。改めて、先週までまともに話したこともなかった男子の部屋にいることを意識してしまう。


「お待たせ」

「ありがとう。ちょっと休憩したら、もう少し歌うから」

 藪本くんからグラスを受け取ってお茶を飲むと、私は言った。


「うん。でも、無理はしないで。水岡みずおかさんは納得いってないって顔してるけど、十分、上手いと思うよ。少なくとも、僕は感動してる」


「それは、自分が作った曲に声が入ったからでしょ。満足はしてる? ステージで、私がこのクオリティで歌ったとして、やり切ったって言える? 今の私の歌は、完璧に藪本くんのイメージ通りなの?」


 苛立ちを感じて、私は言った。その苛立ちが、気を遣って優しい言葉を選ぶ藪本くんに対するものなのか、それとも、上手く歌えない自分に対するものなのかはわからなかった。

 いつの間にか、こんなにも歌うことにのめり込んでいる。


「それを言われると、そうだね……。まだまだかもしれない」

 藪本くんは困ったように後頭部をかいた。正直者だ。


「だったら、納得いくまでやらなきゃ。もっと、藪本くんの意見を聞かせて。どれだけ厳しく言われても、私は最後まで歌うから」

 言い終わってから、責めるような口調になってしまっていたことに気づく。


「……うん。ありがとう」

 部屋の空気が、重く、苦しいものになってしまったような気がした。


「ごめん……」

「どうして水岡さんが謝るの?」

「上手く歌えなくて、少しイライラしちゃったから」


「ううん。ちゃんと本気で歌おうとしてくれて、すごく嬉しい。僕の方こそ、少し遠慮しちゃってたところがあった。ごめん」


「……私、格好悪いね」

「水岡さんは、格好良いよ」


「そんなことない」

 藪本くんは、私のことなんて何も知らないくせに。なんて言ったら、また空気が重くなってしまう。


「この前もさ、野島のじまさんにビシっと言ってたじゃん。あれ、すごく格好良かった」


 藪本くんのその発言に、私は驚く。見られてたんだ……。

 それは、私が柚子ゆずこに嫌われるきっかけになった出来事だ。


 一週間くらい前の昼休み。柚子が友達の悪口を言っていた。私も仲良くしている子だったので、気分は良くなかったけれど、女子の間ではよくあることなので、私は適当に聞いていた。

 どうせその子が近くにいるときは、別の誰かの悪口で盛り上がるだけだ。


 だから「あいつ、無視しない?」と、柚子がそう言い始めたときは、ヒヤッとした。それをしたら、明らかに一線を越えてしまう。


 そういうのは、ちょっとよくないんじゃない。やめようよ。

 なるべく柔らかく、けれどはっきりと、私は拒絶し、否定した。

 その一言で、標的は私になったのだ。


「あれは、私がただ嫌だなって思ったから……」

 藪本くんに見られていた恥ずかしさに、私は口ごもる。


「思ってても、ああいうふうに自分の意見を口にできるのはすごいことだよ」

「そう……かな」


「うん。その真っ直ぐさが羨ましい」

 単なる言葉以上の重みを含んだような口調で、藪本くんは言った。


「休憩ついでに、よかったら昔の話を聞いてくれるかな。別に面白いものじゃないんだけど」

 少し緊張感を醸し出しながら、藪本くんは言った。


「うん。聞かせて」

 うなずいた私に、彼はゆっくり話し出す。


「僕、中学校のときに、友達に酷いことしちゃったんだ。その友達、絵を描いてて。漫画家になりたいって言ってた。それを、別の友達が日常的にからかっててさ。その話題になったとき、僕も曖昧に笑ってた。本当は否定したかった。僕だってそのときから音楽は作ってたし」


 絵を描いていた藪本くんの友達は、きっと強い人なのだろう。

 漫画家になりたいなんて、思っていてもなかなか人に言えることではない。


「で、絵を描いてた友達は、そういう雰囲気を察して、僕とあまり話さなくなった。僕も、なんだか話しづらくなっちゃって。それで、疎遠になった。そのときのこと、すごく後悔してるんだ。彼に何かを言われたわけではないけれど、申し訳ないことをしたって思ってる。あのときの僕に、水岡さんみたいな強さがあったら、って」


「私なんて、そんな……。この前も、その子のことを一時的には助けてあげられたかもしれないけど、柚子たちからは嫌われちゃったし。ただの自己満足だよ」


「そうかもしれないけど、そういう行動を起こせることが大事だと、僕は思う。それに、僕がやろうとしてることも、結局は自己満足だしね。まあ、なんというか……水岡さんは、すごいよ」


「あ、うん。……ありがとう」

 ストレートな誉め言葉に、私はぼそぼそとお礼を言う。


「で、さっきの話に戻るんだけど……。僕は音楽を作ってる。そのことを、胸を張ってその友達に伝えたいって、ずっと思ってて。今回、文化祭で頑張ってみようかなって」


「すごいね」

 今度は私がそれを言う番だった。すごく、勇気のある行動だと思う。


「そんなことないよ。まだ、文化祭に呼べてすらないし。それに、よく考えたら、僕は水岡さんのことを利用してるなって思った。結局、自分の都合で、関係のない水岡さんを巻き込んじゃってるわけだから」


「最初にそれを言われてたら、私も断ってたかもしれない。でも、今はちゃんと、歌いたいと思ってる。藪本くんの音楽を聴いて、歌いたいって思ったから」

 上手く言えないけれど、それが今の私の全部だった。


 恥ずかしい宣言をしてしまったことに思い至り、私はすぐに立ち上がる。

「よし! 続きやろ!」

 わざとらしく大声で言って、マイクの前に立つ。




「ん~。なかなか、思った通りに歌えなかったなぁ」

 背伸びをしながら私はぼやく。


 休憩後は、藪本くんもどんどん意見を出してくれるようになった。少しずつ良くなっているような気はするけれど、まだ自信を持って歌えるほどではない。


「大丈夫だよ。まだ時間はあるし」

 時間があるとはいっても、文化祭は一週間後。藪本くんにも焦りはあるはずだ。

 不安な気持ちが強くなってくる。


 帰りの電車で、スマホに転送してあった歌詞を眺める。もう何も見ないで歌えるけれど、文字の羅列として見ると、また何か発見があるかもしれない。


 ――藪本くんが作った恋の歌。

 私も恋をすれば、もっとちゃんと歌えるようになるのかな……。

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