4.デートっぽい


 その週の土曜日。なんと、藪本やぶもとくんの家に行くことになった。


 私が歌ってみたいとメッセージを送った翌日、教室で話しかけられたのだ。

水岡みずおかさん、今週の土曜日って空いてる?」


 近くにいたクラスメイトが、物珍しそうに私たちを見る。意外な組み合わせだと思われたのだろう。無理もない。藪本くんも一応、気は遣っているようで、会話の内容が周りに聞こえない程度にボリュームを小さくしている。


「空いてるけど」

 部活動にも入っていないし、友達と約束もしていない。


「じゃあ、さっそく歌ってもらいたいんだけど、僕の家でいい?」

「あ、うん。大丈夫」


 そう答えたのだけれど、よくよく考えてみると、全然大丈夫じゃなかった。待って。ちょっと待って。


「じゃあ、詳しい時間とか場所とかは、また教えるから。よろしく」

 私が口を開く前に、藪本くんは自分の席に戻ってしまう。呼び止めるために立ち上がろうとしたが、タイミングが悪く、予鈴が鳴ってしまった。


 男子の家に行くなんて、小学生のころは何度かあったけれど、中学生以降は一度もない。教室で話して誰かに聞かれたら確実に勘違いをされてしまう。


 私は休み時間にメッセージを送る。

〈この前みたいに、カラオケじゃダメなの?〉


 それに対する藪本くんの返信はこうだ。

〈カラオケは設備がない〉

 意味がよくわからなかった。


 こうなったら、腹をくくるしかない。

 今の私たちは、ビジネスパートナーみたいなものだ。同級生の男子だなんて、意識しなければいい。そう思っている時点で意識してしまっているのだけれど……。


 こういうとき、どんな服を着ていけばいいのかわからずに、一時間弱も悩んでしまった。結局、白いパーカーに水色のロングスカートという、無難な服装に落ち着いた。紺色のジャケットを羽織って家を出る。


 電車を乗り継いで、藪本くんの家がある駅に到着。

 改札前で藪本くんと合流する。黒いトレーナーに、ブラウンのスキニーパンツ。シンプルながらそこはかとなくお洒落に見える。あとスタイルが良い。失礼ながら、チェックシャツにジーパンという格好を勝手にイメージしていたので、少し意外だった。


「よし。じゃあ行こうか」

「う、うん」


 私の返事がぎこちなかったのは、私服で待ち合わせをするなんて、なんだかデートっぽいな、と思ってしまったからだ。すぐに頭をぶんぶんと振って、そういうのじゃないから、と自分に言い聞かせる。


 駅から歩いて五分のところに藪本くんの家はあった。大きくも小さくもない、普通の一軒家だった。


「……お邪魔しまーす」

 小声であいさつをしながら、藪本くんが開けてくれた玄関のドアをくぐる。


「じゃ、僕の部屋に行こうか」

 藪本くんは普段と変わらないトーンで言った。


 女子を自分の家に招く男子って、普通はもっと緊張するもんじゃないの? それとも、藪本くんは意外とそういうことに慣れているのだろうか。


 とにかく、私だけ緊張しているのが、なんだかバカバカしくなってきた。

 それなのに――。


「あ、今日は家に誰もいないから」

「そう……なんだ」


 おそらく、気を遣わなくても大丈夫だよ、的な意味合いの発言なのだろう。それを私もわかってはいるのだけれど、二人きりだということを意識してしまって……つまりは逆効果でしかない。


 階段を上って、二階の藪本くんの部屋の前。

「どうぞ」


 もう一度、お邪魔します、を言うのも変だなと思いつつ、無言で入室して。

 飛び込んできた光景に、私は目を見張る。


「何これ。すっご……」

 さっきまでのドキドキがどこかに飛んでいってしまうくらいの驚きだった。


 藪本くんの部屋には、高級そうな機械がたくさんあったのだ。

 面積こそ広くないものの、本物のレコーディングスタジオみたい。本物なんて見たことないけれど。


「とりあえず、飲み物持ってくるね。ウーロン茶で大丈夫?」

「う、うん。お構いなく」


「そこ、座ってていいから」

 藪本くんは、座布団を指さしてから部屋を出て行った。


 私は言われた通り、座布団に座って部屋の主を待つ。

 クラスメイトの男子の部屋に一人残されて、そわそわしてしまう。正座をしていたことに気づいて、足を崩した。


 改めて、藪本くんの部屋を見回す。

 狭く感じたけれど、それは物がたくさん置かれているからで、高校生の子どもに与えられる部屋としてはそこそこ広い方だと思う。


 ドアから一番遠い角には、作業用と思われるデスクがある。デスク上には、何やら高性能そうなパソコンと電子ピアノ。モニターは二画面ある。椅子は背もたれが高く、曲線を描いていた。長時間の作業を必要とする人がよく使っているようなものだ。ゲーミングチェア……だっけ?


 その隣には、アーティストが歌を収録する映像などでよく見る、マイクスタンドがあった。マイクの手前には、こちらもよく目にする、円形で網状のアレが設置されている。スマホで『マイク 手前 網』で調べるとすぐに出てきた。ポップガードというものらしい。本棚には、作曲に関する本がたくさん並んでいる。


 この人は、本気で音楽に向き合っているんだ。

 今さらながら、そんなことを思った。

 本気で何かをしている人に、私は初めて出会ったような気がした。


「……すごいなぁ」

 思わず呟きが漏れる。


「お待たせ」

 藪本くんが戻って来た。ローテーブルに二人分のお茶の入ったグラスを並べる。


「ありがと」

 緊張で喉が渇いていたので、私はお茶を半分ほど一気に飲んだ。


「じゃあ、さっそく歌ってもらおうかな」

「はっ、はい!」


「なんで敬語?」

「えっと……まだ新人なので?」


 私の、意味のよくわからない返しに、藪本くんは、

「まあ、たしかに新人だね」

 と笑ってくれた。




 自分の歌声を、ちゃんと客観的に聴いたのは初めてだった。

 イメージと全然違ってびっくりしたし、聴いていると、なんだか全身がかゆくなってくる。


 曲を何度も聴いてから臨んでいるので、私にも、なんとなく理想とする曲の完成図がある。が、そこにたどり着くまでには、まだ全然遠い場所にいることがわかった。


 でも、どういうふうに歌えば理想に近づけるのかもよくわからなかった。ボイストレーニング的なレッスンを受けたこともない。自力でどうにかしなければならないのだ。


 藪本くんの意見やアドバイスも聞きながら、私は何度もテイクを重ねていく。


 そのたびに自分の声を聴いて、理想と現実のギャップに情けなくなって、悔しくなる。

 歌えば歌うほど、わからなくなってくる。


 このままでは、文化祭当日に納得のいく歌は歌えない。

 不安と焦りが、心に充満する。

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