3.歌ってみたい
「まず
「音楽を? す、すごいね」
気の利かないコメントで申し訳ないけれど、それ以上は言葉が続かなかった。
こういうときって、どう反応するのが正解なのだろうか。今までそういう人と関わったことがなかったから、よくわからない。
私の返答は、少なくとも不正解ではないはず。それに、実際すごいと思ったし。
私の動揺に気づいた様子もなく、藪本くんは言葉を続ける。
「今日も、パソコン室で作業しようと思ってたんだ。自宅でやるよりも集中できるしね」
それで、特別教室棟にいたのか。
「じゃあ、私のせいで作業を邪魔しちゃったってことだよね。ごめんなさい」
慌てて謝る。
「ううん、それは大丈夫。で、続きなんだけど、作詞作曲まではできるんだ。でも、歌がダメなんだよね。音程とかリズムとか、そういうのじゃなくて……つまり、歌が下手ってわけではないんだけど、なんかこう、曲のイメージと僕の声が、全然かみ合わないんだ。僕の声に合わせて曲を作ってもいいんだけど、僕の声がいい声かって言われると、別にそんなことはないし。ボーカロイドとかも触ったことはあるんだけど、やっぱり機械の声じゃなくて、人間の声で表現したいって思ってて。ああ、もちろん、ボーカロイドを否定してるわけじゃないんだ。ただ、僕はずっと、自分の作った曲に対して、理想のとする声のイメージがあって、それをずっと探してた」
え、この人、めっちゃ喋るじゃん。
突然饒舌になる藪本くんに、私はつい、きょとんとしてしまう。失礼ながら、あまり友達が多い印象もなかったし、クラスでも誰かと話しているところを見た記憶がない。
そんな私に気づいたのか、彼は少し照れくさそうに頭をかいた。
「ごめん。話が長くなっちゃったけど、水岡さんの声が、その……すごくいいなと思って、で、歌ってもらったのは、それを確認したかったからなんだ。それで、やっぱり歌声もすごくよかったし、なんなら期待以上だった」
ようやく私にも事態が飲み込めた。
藪本くんは音楽を作っていて、理想とするボーカルを探していた。偶然、クラスメイトである私の声が理想的だった。簡単にまとめると、そんなところだろう。
けれど、私の声がいいなんて。
「そんなこと……」
歌が上手いと言われることはあるけれど、声そのものを褒められるのは初めてで、どう反応すればいいのかわからない。
そして同時に、何かが引っかかる。今のところ、私が把握している事実を確認していく。
藪本くんは曲を作っていて、その曲に私の声が合いそうだと思った。そこで私は、掃除を手伝ってもらったお礼に、一曲だけ歌うことになった。
現時点では、藪本くんの想定通り、彼の作った曲に私の声がピッタリだということがわかっただけだ。
たぶん、藪本くんは曲を完成させたい。それは何かを作るという趣味がない私でもわかる。
つまり――。
藪本くんの要求は、まだ終わっていない。
「だから、僕が作った曲を、水岡さんに歌ってほしいんだ」
真っ直ぐな目で見つめられて、思わず視線を反らしてしまう。
「むっ、無理だよ! 私、別に歌がそんなに上手いわけじゃないし……」
謙遜でもなんでもなく、それは事実だと、少なくとも自分では思っている。人よりも少しは上手く歌えるかな、という程度で、間違っても人様に積極的に聴かせられるようなクオリティではない。
「たしかに、抜群に上手いかって言われるとそんなことはないかもしれない。でも、それ以上に魅力的で素敵な声だった。もしも、世界中の人間からボーカルを自由に選ぶ権利があったとしたら、どんなに歌の上手い人よりも、僕は水岡さんを選ぶ」
「っ……」
策略も駆け引きも、裏なんて何もないとわかるほどに、誠実さだけを乗せたその台詞に、言葉が出てこない。おかしい。藪本くんとの距離は近くないのに、すごくドキドキする。
「どう……かな」
さっきとは打って変わって、不安そうに首をかしげる藪本くん。
「……もし、私が藪本くんの作った曲を歌ったとしたら、その歌はどうなるの? ネットとかにアップされるの?」
私の心の中の天秤は、彼の提案を飲み込む方に傾きつつあった。
「将来的には、そうしたいと思ってる」
「将来的には……って?」
「その前に、しなくちゃいけないことがあるんだ。文化祭で、ステージイベントがあるのは知ってるよね」
「うん」
文化祭の間、中庭にステージが設置され、軽音楽部や、ミス・ミスターコンテスト、マジックショーなどが行われる。
「そのステージで、歌ってほしいんだ」
と、とんでもないことを言い出した。
去年のステージイベントの様子を思い出す。うちの高校の生徒だけではなく、観客として来た人たちも一緒になって、かなり盛り上がっていた。
そんなステージに自分が立って歌うなんて、想像もできない。
几帳面でサバサバした性格のせいで、学級委員や代表を務めることは多く、人前で話したりすることは苦手ではなかった。でも、目立ちたがり屋というわけでもない。それに、話すことと歌うことは全然違う。
「……ちょっと、考えさせてほしいんだけど」
「なんでもするって言ったのに?」
「それは……」
ずるい。
掃除を手伝ってもらったことは感謝してる。でも、私が頼んだことではない。
とはいえ、お礼になんでもすると言ったのは私だ。
それに――。
藪本くんに声を褒められたとき、照れくささの他に、たしかな嬉しさも感じた。
歌うこと自体も嫌いではない……けれど。
「なんて、冗談だよ」
頬を緩ませる藪本くん。あ、こんなふうに笑うんだ。と、そう思ってしまうのは、今まで笑ったところを見たことがないからで、それ以上の意味なんてない。
「掃除を手伝ったくらいでそこまでしてもらうのは申し訳ないし。っていっても、カラオケまで付き合わせちゃってごめん。でも、歌ってほしいっていうのは紛れもなく僕の本心だから。もしよければ、僕の曲だけでも聴いてほしい。それで、ちょっと考えてみて」
「あ、うん。それくらいなら」
曲を聴くくらいなら、どうってことない。むしろ、藪本くんがどんな曲を作るのかもちょっと気になる。
私たちは連絡先を交換して、無料でついてきたドリンクバーを、もったいないからと二杯ほど飲んでから解散した。
その日の夜。アプリなどの登録用に取得したメールアドレスに、初めて個人からメールがきた。
添付されているフォルダを解凍して開く。音楽だけのファイルと、歌詞のテキストファイル。
歌詞を見ながら、音楽を再生させる。
予想していたよりもずっと本格的で驚いた。音楽に関しては素人だからかもしれないけれど、プロが作ったものだと言われても信じてしまうと思う。
声が入っていないから、まだ完成形ではない。でも、きっと素敵な曲になるんだろうな、と思った。
そして、この曲を歌う自分を想像して――体温がちょっと上がる。
藪本くんの作った曲は、私の想像していたクオリティを軽々と超えてきた。
それよりも、歌詞が意外だった。
恋心を綴った、紛れもないラブソングだったからだ。
藪本くんも、誰かに恋をしていたのだろうか。
そう考えて、なぜか心がモヤっとしたのは、たぶん気のせいだ。
何度か再生しながら、どんな歌い方が合うかを考え始めて。
ちょっと口ずさんでみたりもする。
「……うん」
心は決まった。
パソコンの脇に置いてあったスマホを手に取って、藪本くんにメッセージを送った。
〈この曲、歌ってみたい〉
その後も、何度か音楽を再生しながら、そこに歌詞を乗せてみた。
けれど、文化祭のステージで歌っている自分は、やっぱり上手く想像できなくて。
そういえば、藪本くんはどうしてステージで歌ってほしいなんて言ったのだろう。
その場限りの思い付きとかではなく、あのときの藪本くんは、そうしたいという明確な意思があったように思う。
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