自尊心

白木兎

東尋坊

 短い人生だったと、崖の上でこれまでを思い呟く。

 拳銃が手に入らないのは日本では仕方がない。首吊りは上手く頸椎を折れなければなかなか死ねないと聞く。であれば、高いところから飛び降りて一瞬のうちに頭蓋を砕いてしまうのが一番であろう。そう思った。

 死に場所を東尋坊に選んだのは、少しでも恐怖を紛らわせるためでもあった。

 もしかすれば、自分が存在しなかった世界。私が喉から手が出るほどぜひ向かいたい世界に、紛れ込めるかもしれない。

 私が生まれてきたのは間違いだったとは思わない。

 しかし、死ぬ。

 私は限界だった。自分の傲慢さに嫌気が差すが、それをどうにもできないから死ぬのだ。

 誰かに必要とされていたかった。

 それだけが心残りだった。

 私は誰にも必要とされず、自主的に誰かの役に立とうと行動できなかった。

 今からでも間に合うことだとはわかっているが、怖くて足がすくむ。

 主体的な行動でしか、人は変われない。

 そう自分に戒めながら、できずに内側へと立て籠り続けた。

 それこそ、他人と接することが必須である社会から逃げるため、自殺などという非生産的な行動に駆り立てられるほど、私は怖がりだった。

 潮風の強い、涼しげな夕刻。

 誰もいないはずの背後に、無数の人影が佇んでいるように感じられて血の気が引いた。

 いつもは恐怖が勝り、気が変わるものだが、帰ろうとする足は動かない。

 それは、帰ったところでといった諦念からだった。

 変わらない地獄に戻るよりは、ここで何かしなければならない。そんな気がしてきて、しばし唸って考えようとした。

 けれど私の意識は、繰り言のように「わからない」と頭の中にそれ以外浮かばない。

 私は思わず思考を放棄し、進んで虚無へと飛び込んでいった。


 一人の少年が崖から墜落死した。

 それは呆気なく、高いところから落とした硝子のコップみたく一瞬で砕けた。

 即死できたのは彼の希望通りであったろう。

 しかし、少年が本当に望んでいたのは変わることだった。

 臆病さ故に彼は誰にも心を開けず、年齢を重ねた彼に手を差し伸べる者はもういない。

 彼もわかっていたように、主体的な行動でしか人はどうにもならない。

 宝くじだって、買わないと当たらないのだ。

 対話から逃げ続けた彼は誰からの理解も得ることができず、挙句自身を社会不適合者として蔑み、生きる意味を考えた。

 死んでもいい理由を探していたといってもよい。

 人間とは一つの絡繰りである。

 産まれてきた奇跡を、彼はいとも簡単に投げ捨てた。

 死ねば何もなくなってしまうというのに。

 意識は塵尻に消えて、闇すら感じられない虚無へと落ちる。

 彼を覚えている人間もまた、誰もいなかった。

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自尊心 白木兎 @hakumizuku

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