第8話 イカイ・ワカリが世に出た日
パリトゥード王国の貴族の家には、必ず事写しの水晶が供えられている。最近開発されたものだが、国からの命令で普及した。
王国からの連絡事項が伝えられることがあるからだ。
通常は日時が決まっているので、その時だけ使われる。
ある夜、役人による定時のつまらない連絡事項が終わったあとだった。
突然、音楽が流れ出した。
水晶を片付けようとしていた貴族たちは、おどろいて水晶を再度セットした。
ほどなく、音楽が消えたかと思うと、水晶が光りだす。
そして、光の中からあらわれたのは、立体の絵のような感じの女の子だった。
人間ではないが、人形ともちょっと違う。絵が世の中に浮き出てきたような感じだ。
金髪ツインテールの髪型で、あまり見たことのない形のホルターネックのパーティドレスを身に着けた女の子が、優雅に礼をする。
「パリトゥード王国の貴族の皆さま、はじめまして。私は、イカイ・ワカリと申します。皆さまに元気と笑顔をお届けし、皆さまにも笑顔になっていただくため、異世界から召喚されてやってまいりました。」
そこで彼女は一呼吸置く。
「異世界ってどんなところか、と言うのは説明が難しいのです。皆さまが見たことも聞いたこともない世界、とだけ言っておきます。大事なことは、異世界がどんなところか、ではなくて、私がこれから何をするか、なのですから。」
彼女はそういうと、片目をつぶり、ウィンクした。こんなしぐさは、貴族の令嬢がやるものではない。
もちろん、イカイ・ワカリがパリトゥード王国の貴族の令嬢であるとはだれも思わない。
だが、皆この三次元の少女は何者だろう、とは思っているはずだ。
「ただ、一つだけ言っておきます。私は、パリトゥード王国でも、私のもとの世界でも、貴族ではありません。私は存在していて、存在してないのです。」
なんだか哲学的だ。
「私の今後の姿を見届けるのは、貴族の皆さまにとっては簡単なことです。ご興味あるからは、ぜひご覧になってくださいね。ちなみに、第三王子様も応援してくださっています。」
この言葉は、貴族の視聴者に絶大な威力を発揮した。王族がかかわっているのなら、見逃すことはできない。まさか王子から感想を聞かれて、知らないとは言えないからだ。
「貴族の皆さまは、王族との連絡のために、事写しの水晶をお持ちだと思います。今見ているはずですよね。一日に二回、同じ内容が正午と夜6時に流れます。 あと、これから週に一度、生放送でお伝えする予定です。ぜひご覧になってくださいね。それ以外の時間で私に会いたいかたは、ラリアット商会で扱っている水晶アタッチメントを使えば、いつでも私を見ることができますよ。そちらも検討してくださいね。」
ワカリは板のようなものを見せた。
「これの上に、事写しの水晶を乗せて、あとは番号を操作するだけです。やり方は、説明書をみてくださいね。」
板を片付けた少女は、もう一度笑顔を見せた。
「ご挨拶代わりに、一曲歌います。皆さんも、一緒に歌ってくれたら嬉しいです。」
そういうと、バックグラウンドにリュートの音が流れ始めた。国民ならだれでも知っている『空高く』という曲だ。
もともとは失恋の歌だったらしいのだが、音楽やリズムが皆の好みに合ったため、いろいろな歌詞がつけられている。
ワカリが歌ったのは、愛の歌バージョンだった。
♪そう、あなたの声が あなたの歌が あなたの愛が 流れるスカイ・ハイ…」
ワカリの透明な歌声が響きわたる。軽快なリュートの伴奏と相まって、非常に美しく、心にひびく曲だった。
「ご清聴ありがとうございました。 貴族の皆さま、パリトゥード王国のため、ご家族のため、そして領民、国民のために尊い義務を果たしながらも、時には息抜きもしてくださいね。
ありがとうございました。イカイ・ワカリでした~~」
この一連の番組を見た貴族たちは、皆衝撃を受けた。
いったい彼女は何者だ? 貴族の当主だけでなく、家族、とくに若者や子供たちにものすごい反響があったのは言うまでもない。
これは貴族向けの通信のあとだったが、貴族向けの通信は冒険者ギルドや商業ギルドのマスターなども見ており、それぞれ衝撃を受けていた。
商業ギルドに、ラリアット商会から新商品の事写し水晶のアタッチメントと、新しい形の事写しの少々が紹介されたのは翌日のことだった。そして、らリアと商会だけでなく商業ギルドにも質問が殺到したので、ギルドとしてもラリアット商会以外では取り扱う予定がないことを伝えざるを得なかった。
数日後。
王都の冒険者ギルドに、ラリアット商会から不思議な道具が持ち込まれた。
事写しの水晶の内容を、壁に映し出す魔道具だ。
実は、これは先日スタンが使ったプロトタイプを改良して、普通の魔石の倍の量を使うだけで動かせるというお得なものであった。もちろん、イカイ・ワカリの姿を映し出すためのものである。
イカイ・ワカリの評判を知っていた冒険者ギルドのマスターは、即刻購入を決断した。
そしてその夜、イカイ・ワカリによる冒険者向けの放送が流れた。
冒険者ギルドの照明は暗い。そのため、何に調整もせずに、事写しの水晶の画面が壁に鮮明に映し出される。
事情を知らない冒険者たちも、皆、壁に映し出されるイカイ・ワカリの姿に釘付けになった。
ちなみに、この魔道具は音声も拡大するため、音も問題なく聞こえるようにあっている。
皆が注目する中、イカイ・ワカリの放送が始まった。
「冒険者の皆さ~ん、今日もクエストに討伐、お疲れ様でした~! ギルドの皆さんも、冒険者のサポートご苦労様でした~。ワカリんは、みんなのことがだ~い好き!」
そういって、絵から抜け出したような立体的な姿を見せる女の子は、くるりと回ってウィンクした。
「か、かわいい…」皆ため息をついた。特に、すでに付属の酒場で出来上がっていた連中の反応は凄かった。
「おおお~~~~~」彼らは大声を出す。
そして、女の子は、イカイ・ワカだと自己紹介し、歌いだす。
だれでも知っている「空高く」だった。
ギルド内は盛り上がり、多くの人間がともに歌いだした。
「♪そう、あなたの声が あなたの歌が あなたの愛が 流れるスカイ・ハイ…」
ワカリの透明な歌声が響きわたる。軽快なリュートの伴奏とともに、冒険者たちの陽気な歌声が響き渡った。
「ありがとうございました。ワカリんこと、イカイ・ワカリでした~また見てくださいね!」
スタンはそう言って、礼をする。当然、スタンが動かしているイカイ・ワカリの3Dモデルも礼をする。
「はい、カット。お疲れ様でした~」ラリアット商会の会頭であり、スタンの姉でもあるマキ・ラリアットが皆に声をかける。
「ふう、疲れたよ。でも、今回は歌の部分は使いまわしだったから、ちょっと楽かな。」スタンは言う。
実は、歌の部分は、貴族に対する放送の使いまわしだった。というか、実際は貴族の放送そのものも録画だった。今回の冒険者向けのほうは、魔道具がぎりぎりまでかかったこともあり、トークの部分は生放送になったのだ。もちろん、全体を通して再度録画してある。
「冒険者には受けると思うんだ。あいつら単純だから。」スタンは言った。
「そうね。スタンの女の子言葉とかもうまくできてたよ。」そう言ったのはなんと、スタンの素パーティメンバーのミミだった。
数日前、スタンは魔力切れのため録画を打ち切り、冒険者ギルドに行った。楽師として有名なエルフを今回のイカイ・ワカリプロジェクトにスカウトするよう、マキに命じられたのだ。
自分宛ての連絡が着ているかもしれないので、スタンは特に抵抗感もなくギルドに出向いた。
そこで会ったのがミミだ。驚いたことに、スタンが抜けて数日後、ミミもパーティを去ったとのことだった。雑用がスタンの分まで振ってくることは明らかだったし、Sランク昇格によってパーティに入りたいという希望者が殺到していたため、抜けることに抵抗がなくなったのだという。
王都のギルドで会ったミミは言った。「私が死んでも、代わりはいるもの。」 実際は死んだわけではないのだが。
ミミは、パーティ「アノクタラ山脈の虹」をやめるとアブドラに言ったが、アブドラは引き止めなかった。アブドラの好みの巨乳のシーフがパーティ参加を希望していたからだった。
そこでミミは何のトラブルもなくパーティを辞め、そのまま王都にやってきたのだ。ギルドで数日待って会えなければラリアット商会に行くつもりだったという。
スタンは、ミミをスカウトすることにした。ミミは背こそ小さいが女の子らしいし、身も軽い。きっとイカイ・ワカリプロジェクトの役に立つだろう、と思ったのだ。
ちなみに、楽師もすぐに見つかった。なんと、スタンと一緒の馬車で王都にやってきたエルフだったのだ。
スタンは楽師で吟遊詩人のエルフ、ビクトリアもスカウトした。
二人は身内ではないので、厳重な契約魔術で守秘義務を課した。
ちなみに、王子のメイド、ジャガーにも守秘義務を課している。
イカイ・ワカリの魂(実際に演じる者)がスタンであることは極秘なのだ。王子からのサポートを受けるためにも、これは絶対条件と言えた。
ミミとビクトリアは、すぐに慣れた。ビクトリアは最初のうちは伴奏だけだったが、撮影現場にいるうちにインスピレーションがわいたらしく、イカイ・ワカリのためにオリジナルの曲を書いていった。
後の話になるが、ビクトリアは第三王子から呼ばれ、王子が歌う歌を耳コピーして曲に落としこむようになった。これは、本家ミライ・ワカリの歌をそらんじている王子、いや転生者大和猛(やまとたけし)が、どうしてもイカイ・ワカリにも歌わせたい、とリクエストしたのだある。ただし、この世界では意味がわからない、つまりパリトゥード王国では意味が通じない概念や単語などは他のものに替えていく作業も必要だった。
それはさておき、イカイ・ワカリプロジェクトは2名の強力なスタッフをくわえ、ますます量産体制をめざしつつもクオリティを上げるように頑張る体制が出来上がったのである。
ただし、イカイ・ワカリ役が一人しかいない、というのは、オペレーション的には致命的な問題でもある。
ワカリの姿は、スタンが空蝉で作りだし、動きもスタンに合わせ、声もスタンが担当する。
ワカリを動かす、あるいはワカリに魂を吹き込む部分は、最終的にはスタンのワンオペとも言える。
その意味、一時期の牛丼屋のナイトシフトのような無茶なスケジュールが課されるのだった…
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