第14話 天から来る

 夕方の街は街灯に火が入れられて淡い光で包まれていた。ヘスティア大聖堂から夕刻を告げる鐘が鳴り響く中、人々は家に帰る者、これから仕事に向かう者とで街路を行き来している。家に帰る者の中には建物の前に現れ始めた娼婦達に呼び止められ、そのまま付いていく者もいる。売春婦は違法とされているがそういった者達を求める人や仕事がなく身を売るしかない女性がいる限り、何度罰しても数年後にはまた現れてしまうのは仕方のない事なのかもしれない。


「思ったより人が多いな」

「……」

「女性が多数の男性に声を掛けているがあれはなんだ?」

「……」

「どうした?」

「話しかけないで下さい」


 ジョージは僧服の襟をたくし上げ、顔を隠しながら声を発した。対するユーリは不思議そうな顔をする。周囲の人々が時折奇怪な目で見てくるのをユーリが気付かないはずがない。しかし、ユーリは平然とただ往来する人々の中をジョージを背負い歩き続けた。いい年格好の男二人がだ。手当たり次第に声を掛けてくる娼婦達もユーリ達には決して声を掛けない、いや、それ以前に近づいてさえこない。

 ジョージには分かっていた。周囲の人々の目が語っていた。ああ、そういう趣向の人達なのねっと。ジョージは違うと叫びたい気持ちでいっぱいだったが、声を出そうとすれば顔がばれてしまう。そうなれば聖アブラフィア教会の修道女達にも知られてしまう。その最悪の状況だけは避けねばっと否定したい気持ちを必死で抑えていた。


「しかし、何でまた人通りの多い道を通るんですか」

「この道が一番の近道だろう」

「それはそうなんですが……」


 確かにこの通りを行けば聖アブラフィア教会までほぼ一直線である。だが、ジョージは例え遠回りになろうとも人通りの少ない通りを通って欲しいと願った。ユーリはそんなジョージの願いを叶えようとしたのか急に通りを外れ、横道に入っていった。


「人通りが少ない通りの方がいいのか」

「心が読めるのですか!?」

「まあ、読もうと思えばできないことはないが他人の心を読むのは好きではない」

「今、心を読んだのでは?」

「嫌だという感情くらいなら声を聞けば分かる」

「そ、そうですか」


 横道に入り、人通りが少なくなるとジョージは顔を上げて一息ついた。


「先程の話だが」

「先程?」

「俺が国民の命を脅かしているという話だ」

「!?」


 ジョージの背中に冷たい汗が流れた。今の今まで恥ずかしさで火照っていた体が急に冷えていくのを感じた。


「あの話だが」

「気にしないで下さい! ただ戯言です!」

「いや、だが」

「言い過ぎました! すいません!」

「謝ることは」

「いえいえ! 私ごときたかが司祭がとんでもないことを!」

「そんなことはない。俺の行動は無神経だったようだ」

「……」

「君がフェリシーを大事に想っていることがよく分かった」


 ジョージはようやくユーリが怒っていない事に気が付いた。それどころかジョージの話を受け入れて反省しているようだ。ジョージの目に熱いものが込み上げてきた。いままで自分が少しまともな話をしたたけで皆に奇異の目で見られていただけに、感動が大きかった。


「ついでと言ってはなんだが、一つ聞きたいことがある」

「なんでしょう」


 ジョージは上機嫌に答えた。ジョージにとって自分の真面目な話をきちんと聞き取ってくれる相手が現れた事は、それが例え悪魔であっても心底うれしい出来事だったのだ。


「愛とはなんだ」

「は?」

「君達、人間が神から受けている愛とはどういったものだ」


 悪魔であるユーリに口から愛という単語が出てきたことにジョージは驚いていた。からかっているのかとも思ったが口調や態度からしてからかっている様子はない。


「俺は生まれた時から悪魔だった。だから神の愛というものを受けた時がない」

「は、はぁ……」

「教えてくれ。愛とは、我々悪魔が失い、君達人間が絶えず神から受けている愛とはなんだ」

「……難しい質問ですね」


 ジョージは眉間にシワを寄せて考えた。ジョージ自身、神の愛を受けていると感じた事もなければ、愛について深く考えた事もなかった。


「一般的な解釈ですが、己の利害に関係なく相手を最大限に想いやる事でないでしょうか」

「では、何故神は愛しく想っているはずの人間達に寿命といういずれ来る死を与え、想っていない我々悪魔に永遠の命を与えている」

「それは……」

「神は人間を最大限に想いやった結果、寿命を与えたのか。人間は皆いずれ来る死に脅えているというのに」

「……」

「どうなのだ」


 ユーリが足を止めた。気が付くと日が完全に暮れており、大通りから漏れてくる光が薄暗い路地を照らしていた。当然のように辺りに人の姿はない。


「人間はいつか死にます。それは寿命だったり、事故だったり、殺されたりと様々ですが。いつか死ぬ。だから人間はその時まで精一杯生きているんです」

「……」

「今、考え付いた事を言ってみただけですので答えにはなりませんよね?」

「それは神が人間に精一杯生きて欲しいために寿命を与えたと」

「ええ、実際のところは原罪などがあるのでしょうけど」

「アダムとイブか……」


 アダムとイブ。聖書では神が創った最初の人間と言われている。そのアダムとイブが神から食べていけないと言われていた禁断の果実を食べたため、その罪として神は本来永遠の命を持っていた人間に寿命を与えたとされている。小さい子供でも知っているお話だ。


「それが神の愛なのか?」

「分かりません。もしかしたら神さえも愛とは何なのか分かっていないのかもしれませんね」

「神さえも知らないか。君自身は愛とはなんだと思っている」

「私ですか。そうですね、可変的なもの……ですかね」


 ジョージはしばらく悩んだ後、自分の考えを述べた。


「可変的なもの?」

「ええ、その時々、その人その人で意味が変っていくものではないかと。例えばある人物は愛を与えていると思っていても、その愛を受けている人物が愛を受けていないと思っている場合があるということです」

「どういうことだ」

「つまり、愛とはなんだという問いかけには人間の数だけ答えが用意されていて、どの答えも正解であり、間違いであると」

「答えは一つではないという事か」

「というか、おそらく明確な答えなんて無いのでしょう。答えを出してはいけない問題なのかもしれません」

「……そうだとしても俺は」


 ユーリが言葉を発しようとした瞬間、どこからか爆発音が響いてきた。二人が音の方へ視線を向けると既に陽が沈んだはずの西の空が赤く染まっていた。同時に民衆の狂気に満ちた悲鳴が二人の耳に次々と聞こえてきた。


「い、いったい何が!?」

「くっ、まさかこんなにも早く!」


 ユーリの悔しそうな声が漏れた。


「ユーリ、何か知ってるんですか!」

「話は後だ。急ぐぞ!」

「急ぐってどこ、うぁ!」


 ジョージの言葉を待たずにユーリは真上に跳躍した。真横の家の屋根に降り立つと赤く染まっている空を睨んだ。


「きょ、教会が!」


 ジョージの目線の先には煙を上げて燃え上がる聖アブラフィア教会の姿があった。


「ユーリ!」

「急ぐぞ!」


 ユーリはジョージの掛け声に答えるように隣家に向かって跳躍し、そして再び隣家の屋根を飛び渡りながら聖アブラフィア教会へと向かった。ジョージの腰にユーリが着地する度に痛みが走ったがそんな事に構っている時ではなかった。一刻も早く教会に向かわなければっという思いだけがジョージの心を支配していた。ふと周りを見てみると街のあちらこちらから火の手が上がり、人々が逃げ回っていた。屋根の上から見る限りでは街全体が焼き討ちにあったような状態だった。


「いったい何が起こっているんです!」


 ジョージが不安と苛立ちを声に出した時、ユーリが急に足を止めた。


「何を止まっているんです! 早く教会に!」


 止まったまま動こうとしないユーリに苛立ち、急げと言おうとしたがジョージはユーリが睨んでいる先を見てその言葉を失った。


「ん? これは人間ではないようだが……」

「この感じ……悪魔ではないか?」

「悪魔か! いいところで出会った。ここで知り合っておいて損はない」


 三つの陽気な話し声がユーリの視線の先、空から聞こえてきた。

 天使、と言っていいのだろう。背中から翼を生やし、体に白いローブのようなものを巻きつけた人間が宙に浮いていた。だが、ジョージが言葉を失ったのは天使が現れたからではなかった。黒かったのだ。本来、純白の翼である天使の翼が、絵の具の黒でそのまま塗りつぶしたかのように黒く染まっていたのだ。そして白いローブには赤いシミがいくつも付いていた。三人が三人とも、少々の違いはあれ皆、同じような格好になっていた。


「背中に担いでいるのは人間の司祭のようだが、契約者か?」

「契約か。今度教えてくれよ。人間の魂を食べるんだろ」

「うまいのか。人間の魂? 肉はまずかったぞ」

「それはお前が食べたの男の肉だからだろ。若い女の肉は結構いけたぜ」

「それもそうか! ハハハハッ」


 天使達の楽しそうな笑い声が人々の逃げ惑う声とともに空に響いた。その時、ジョージの頭の中が真っ白になった。天使達が何を話しているのか理解できなかったのだ。


「きさまら、人間を殺したのか」


 ユーリは淡々と天使達を睨み付けながら言葉を発した。殺したという言葉にジョージは体を震わせた。


「何を怒っているんだ。別に関係ないだろう」

「そうそう、人間を殺したかだって? そりゃ殺したさ。前々から脆いと思っていたけど本当に脆かったな。少し、力を使っただけで死んでしまったぜ」

「ちなみにお前は何人殺してきたんだ?」

「悪魔は……俺は自ら望んで、好んで人間を殺したりしない」


 ユーリの返答に天使達は目を丸くした。しかし、すぐさま盛大に笑い出した。


「あははっ、何言ってんだ? 悪魔さんよ。悪魔ってのは好き放題に人間を殺せるんだろ?」

「人間を殺すのは契約者と対象を殺すという契約を結んだ時だけだ」

「そんなつまんねぇこと言うなよ。いいじゃねぇか殺したって、咎める奴なんていないんだからよ」

「貴様らがどの王の下に付く気か知らんが、無意味に人間を殺す事を我が王は許していない」

「ならあんたの王の下にも付く気はねぇな。五月蝿そうだ。俺らは好きな時に殺して、寝て、食べて、殺したいんだよ!」

「あ、あなた方は何を言っているのです!」


 ユーリの背中でジョージがようやく正気を取り戻して叫んだ。


「あなた方は天使様……ですよね。なんですか? 今の会話は? 私の聞き間違いですか?」

「おい、悪魔さんよ。おまえの契約者は何言ってんだ?」

「質問に答えてください!」

「うるさいぞ。人間。殺されたいか」


 天使の一人がジョージを睨んだ。睨まれたジョージは怯えて体を震わせたが、すぐに歯を食い縛って天使を睨み返した。


「おい、悪魔。お前の契約者を殺していいか。むかついた」

「彼は契約者ではない」

「契約者じゃない? じゃあ、別にいいよな。殺すぜ」

「……貴様らと話をするのは時間の無駄だ」

「ああ、そうだな。早く背中の人間を……!?」


 天使の言葉が途切れた。他の天使達も同様に言葉を失い、周囲を見渡していた。


「な、何のつもりだ」

「……」


 ユーリは天使達の質問に答えず背を向けた。ジョージは何が起こっているのか分からず、動揺している天使達を見ていた。


「見ない方がいい」

「え?」


 ジョージがユーリの声に顔を前に向けた瞬間、後ろで何かかが突き刺さる音が連続で響いた。驚いて振り返ったジョージが見たのはまさに地獄だった。いつの間にか現れたいくつもの剣が天使達の体に突き刺さっていたのだ。さらに一人一人に一本ずつまるで墓標のように長い剣が体を突き抜けて屋根に刺さっていた。

 天使が、神の使者である天使が、何の抵抗すらできずに一瞬にしてその命を奪われたのだ。悪魔の手によって。普通の人間なら発狂して当然の状況だろう。ジョージも悪魔ユーリと知り合いでなく、天使達と言葉を交わしていなかったら発狂していた。


「……」

「教会へ急ぐぞ」


 ユーリは背後の光景などに興味がない様子で隣家の屋根に飛び移った。

 ジョージは混乱していた。突然、爆発音が響いたかと思うと街から次々と火の手が上がり、教会が燃えていた。そして目の前に現れた天使達は翼を黒くして楽しそうに人間を殺す話をしていた。どれをとってもジョージの理解力を大きく上回った出来事が立て続けに起こっていた。


「くっ!」


 ユーリは横の町並みを見て悔しそうに歯を食いしばった。ユーリの歯を食いしばる音にジョージが気付き、ユーリの見ていた方角に目をやると先程の天使達と同じように翼を黒く染めた天使達が空から街に向けて幾つもの光の球を放っていた。光の球が当たった建物は大砲の直撃を受けたかのように飛び散り破壊された。その様子をとても楽しそうに笑いながら見ている天使達の足元からは人々の悲鳴が聞こえていた。


「ユーリ! 何が起こっているのですか!!」


 ジョージは意を決してユーリに話しかけた。


「何が起こっているんですか! このまま知らないままでは自分はおかしくなってしまいますよ!」

「……」

「ユーリ!」


 ユーリは黙って唇を噛み締めたまま、話をする時間すら惜しむようにフェリシーのいる聖アブラフィア教会へ向け、民家の屋根を駆けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る