第13話 兄と悪魔
ジョージは大衆広場の中央で大きなくしゃみをした。司祭服を着ているだけでも目立つのだから余計に周囲の民衆の視線を集めてしまう。
「誰か噂でもしているんですかね。まあ、どうせいい噂ではないでしょうけど……」
ジョージは小さくため息を付くと聖アブラフィア教会の帰るために再び歩き出した。ジョージは先程まで教皇庁から呼び出しを受けて、ヘスティア大聖堂に出向していた。ヘスティア大聖堂にはジョージ以外にも多数の司教司祭が呼び出されていた。呼び出しの内容は僧兵団団長レバーノン・ハイエスが背信者として死刑に処されたために、新たに新任した僧兵団団長の紹介だった。
僧兵団団長の死をジョージはその場で初めて知った。処刑の理由として妻以外の女性と関係を持ったためと言われていたが本当は教皇の命に背いた青年を処せなかった責任を取らされたことはその場にいた誰もが分かっていた。
(このことを知ればフェリシーはまた悲しむのでしょうね。教皇の決定ではありますが、原因としてフェリシーの存在があるのは確かですし、あの子が悲しまないわけがない)
今度こそフェリシーに知られてはいけないとジョージは心に決めた。
ジョージは歩きながら街の様子を見る。
皆、いつもと変らない生活を送っていた。買い物の荷物を持ちながら談笑したり、仕事のために汗を流して走り回っている。
こんな街の様子は教皇の一言で一瞬にして変えられてしまう。ジョージが立っている大衆広場などその象徴といえる。
教皇が死刑を宣言すればここに処刑台が立ち、民衆は罪人の死刑を望み、祭りを宣言すればここには屋台が立ち並び民衆は幸せを望む。多くの血を流し、染込んだ広場の上で民衆は何事もなかったように楽しそうに笑い合うのだ。
「まったくおかしな世の中ですね。楽しむ場所と悲しむ場所くらい分けてもいいはずなんですが」
それをいうなら教会も同じですねとジョージは苦笑した。教会は結婚と葬儀が行われる場所だ。その意味ではこの広場とあまり変らないのかもしれない。
ジョージは太陽が沈み始めたのを見て急がなくてはと足を一歩前に踏み出した。次の瞬間、目の前の景色が一瞬にして切り替わった。嗅覚に激痛を感じて急いでジョージは鼻を摘んだ。先程までいた広場とは違い狭くじめじめとした場所だ。太陽の光が建物に遮られて少ししか入ってこない。
「う、裏路地……ですか」
裏路地は表通りと違い、清掃が行き届かず、汚いと聞いていたがまさかここまでとは思わなかった。鼻に来る匂いの原因はなんだろうと疑問に思うが確かめる勇気はジョージにはなかった。
「突然、こんなところに連れてきてすまない」
「!」
背後からの声に振り返るとユーリがすまなそうな顔で立っていた。ジョージは警戒しながらよろめく様に後ろに数歩下がった。
「ユーリ……でしたね」
「名を覚えていてくれたようだな」
「まあ、それなりに刺激的な出会いでしたから」
ジョージは答えながら左右を見渡して逃げ道を探した。一度会っているとはいえ相手は悪魔だ。最悪の事態を想定しておかなければならなかった。
「少し頼みたいことがある」
「頼み? あなたがですか」
悪魔から頼みがあると言われジョージは驚いた。人間が悪魔に頼み事をする話は耳にするが、悪魔から人間に頼み事をするなど一度も聞いたことがない。
「難しいことではない。しばらくの間、教会の警備を強めてもらいたい。無駄だとは思うが、何もしないよりはいいだろう」
「警備を? なぜです?」
「理由は言えない。言っても信じることはできないだろう。俺はこの頼みが無駄になるよう最善は尽くすが、念には念だ。頼む」
ユーリは少し頭を下げるとジョージは困った顔をしてしばらく悩んだ後、ようやく口を開いた。
「それはフェリシーのためなんですね」
ユーリは真剣な表情で頷いた。
悪魔であるユーリーの言葉を信じたわけではないが、この頼みを受けたても損はないだろうとジョージはユーリの頼みを聞くことにした。
「分かりました。何か適当に理由をつけて警備を強めていただくよう司教様に頼んでみます」
「礼を言おう。今度、簡単な願いでよければ無償で叶えよう。考えておいてくれ」
「願い事ですか。何にしましょうかね」
やましい考えが頭をよぎったが、無償といっても相手は悪魔、何をされるか分からないとジョージは考えを振り払った。
「手を取らせたな。では表通りまで転送しよう」
ユーリは身体の向きを変えると転送のための詠唱を始めた。ジョージがいままで見たことがない不思議な文字が輝きながら空中に現れる。
「あ、ちょっと待って下さい!」
ジョージは慌ててユーリに声をかけた。ユーリはなんだと横目でジョージを見ると詠唱を中止した。詠唱が止まると同時、空中の文字もゆっくりと消えていった。
「何だ。話したいことでもあるのか」
「はい、それもあるのですが。突然だったので驚きまして」
ジョージは何度か息を吸った後、ここが裏路地であることをはっと思い出し急に吐き気がこみ上げてきた。思わず口を押さえながら壁に手をつくと、ぐにゃと柔らかい感触が伝わってくる。見ると壁一面にコケが生い茂っていた。ジョージは顔引きつらせたままゆっくりと壁から手を離した。
「もう少し、きれいな場所で話しましょうか」
※
二人は裏路地から表に出て近くの川に歩いて向かった。ユーリに飛んで行こうかと誘われたが、ジョージは笑顔で断った。空を飛ぶ。しかも悪魔と二人で。とても精神的に耐えられる出来事ではなかった。
「まあ、このくらいでよしとしましょう」
ジョージは緩やかに流れる川から手を引き抜くと脇に挟んでおいたハンカチで手を拭いた。本当は洗剤を使って洗いたかったが、人々が泳いだりする川で洗剤を使って汚すわけにはいかなかった。
「お待たせしました」
ジョージが振り返るとユーリが来た時と同じ場所でじっと立っていた。遠くの方から子供達の遊ぶ声が聞こえるだけで川辺にはジョージとユーリの他に人影はない。
「で、話とはなんだ? 悪いが暇ではない。急いでくれると助かる」
ジョージはハンカチをしまうと真剣な目でユーリを見据えた。こうして改めて見ると、ユーリはただの青年にしか見えない。
「なぜ聖女様、いや、フェリシーのために頼み事などをっと思いまして」
「先日も似たような質問を受けたな」
「ええ、その時は答えて貰えませんでしたので……」
「何故……だろうな」
ユーリは夕焼けの空を見上げた。沈み始めた太陽の光が地面にユーリとジョージの長い影を作っていた。
「ただのお節介なのかもしれん」
「……お節介ですか」
「ああ、ある奴からよく言われる。おまえはお節介がすぎるとな。だが今回は……」
ユーリは言葉を首を左右に振ってかき消した。
「今回は……なんです」
「なんでもない」
「……いいですか。ユーリ」
釈然としないユーリの態度にジョージの口調が強めになる。
「あなたにとってはただのお節介でもフェリシーにとっては命に関わることなのです。もしフェリシーが悪魔であるあなたに会っていた事が他人に知られでもしたら、火あぶりにされてしまうかもしれないのです」
「そんなことはさせない。俺のせいだと言うのならその時は俺が助ける」
「あなたが助けると?」
(この人、いや、この悪魔は人間の世のことなど何も考えていないっ!!)
「確かに悪魔であるあなたならフェリシーを助ける事は簡単なのでしょう。ですが、問題はそれでは終わりません。フェリシーはダーティン国の聖女です。その彼女が悪魔と密会していたと知れれば国はどうなります?」
「……」
「分かりますよね! 分からないはずがない! 荒れますよ! 内乱が起きます! 信者達は狂乱し武器を持って殺し合いを始めるでしょう! 隣国もいい機会だと国民を救うためと銘打って、領土拡大のために侵略してくるかもしれません!」
怒っていた。ジョージは他人に対して久しぶりに本気で怒りを抱いていた。目の前の悪魔はなんて無知で無神経なんだろうと。大事な妹がこいつのせいでとても悲しむかもしれない。泣いてしまうかもしれない。ジョージはそれが許せなかった。
「このダーティン国でフェリシーに何かあれば簡単に国は滅びるのです! それだけ聖女フェリシーはこの国にとって大事な存在なのです! あなたの行為はこの国の国民全員の命を脅かしているのですよ!!」
ジョージは口から出るがままに怒りの言葉を投げつけた。ユーリはジョージの言葉を黙って聞き、ただただ真剣な表情で自分を睨んでいるジョージを見ていた。
「いいですか、そもそも……!?」
ジョージは自分が悪魔を相手に説教をしていると今更ながら気が付いた。目の前の悪魔がその気になれば自分をこの世から消し去ることなど造作もないだろう。自分がしたことは悪魔の機嫌を損ねる自殺行為でしかない。先ほどまでの怒りはどこへ行ったのか、恐怖がジョージを支配し、両足が自然と後ろに下がる。するとこちらの動きに合わせるようにユーリが一歩足を踏み出した。
「おいっ」
ユーリは低い声を発するとさらにもう一歩こちらに踏み出してくる。ジョージの身体がまた後ろへと下がった。
「おいっ!」
ユーリが先ほどより大きな声を出して、ジョージに向かって手を伸ばしてきた。ジョージは何かをされると思い大きく後ろに下がる。
その瞬間、ユーリが細くしていた目を見開いて駆け出してきた。ジョージは驚いて奇声を発しようとしたが、更なる驚きが奇声を止めた。後ろに踏み出した右足が何の抵抗もなく地面に沈んでいく。ジョージは後ろに体勢を崩しながら振り返るとそこには夕陽に照らされた川が流れていた。そこでようやくジョージは自分が川辺に立っていた事を思い出した。右足は地面に沈んだのでなく、川の中に向かって踏み外したのだ。
落ちるっとジョージがそう思い目をつぶった瞬間、右腕を肩が外れるかと思うほどすごい力で引っ張られた。続いて足から地面の感覚が消え、変わりにジョージの全身に風を感じた。しかし、全身に感じた風を気持ちいいと思う暇もなく、鈍い音とともに尻に物凄い衝撃が走った。
「ぐぉ!?」
ジョージは苦悶の声を上げるとそのまま仰向けに倒れてしまった。
「大丈夫か!?」
声とともにユーリがジョージの顔を覗きこんできた。ジョージが驚いて身体を動かした瞬間、今度は腰に激痛が走った。ジョージは声に鳴らない叫びを上げる。
「すまなかった。急な事で手加減ができなかった」
なぜユーリは謝っているのだろうとジョージは不思議に思っていたが、先ほど自分の身に起こった事を冷静に整理していくとその理由に思い当たった。
「腕を引っ張ったのはあなたですか?」
「ああ、川に落ちそうだったからな。本当にすまない。軽く引き付けるだけのつもりだったのだが……」
見ると右腕には赤い手形ができていた。手形の後が一つだけなのを見ると片腕だけで大人の男である自分の身体を宙に放り投げたのだろう。ジョージは目の前の青年がただの人間でないことを改めて実感した。
「立てるか?」
「えっ、ああ、はい」
ユーリの差し出してきた手をジョージはあえて使わずにゆっくりと立ち上がろうとした。が、再び腰に激痛が走り、再びそのまま仰向けに倒れてしまった。
「……う、動けません」
「どうやら腰を強く打っているようだな。動かさない方がいい」
「そ、そうですね」
困ったとジョージは思った。こんなところで腰を痛めてしまっては教会に帰るのは至難の業だ。誰か人に助けを頼もうにも日が傾き始めた時刻、川辺に人影はない。先程まで聞こえていた子供達の遊び声もいつの間にか聞こえない。どうすればっと悩んでいるとユーリが視界に入ってきたが、見えていないと信じ込み無視した。
「その腰で教会まで帰るのは大変だろう。送っていこう」
「い、いいえ。大丈夫ですよ。これくらい……」
ユーリは無表情のまま再び手を差し出してきた。が、ジョージは苦笑いをしながら断った。司祭が悪魔に助けれるなど言語道断である。ユーリを完全に信用していない以上、道中で何をされるか分かったものではない。
「無理をするな。これは俺の責任だ。悪魔は責任と契約は何があっても守る」
「私に悪魔と契約をしろというのですか」
「そうではない。責任だと言ったろ。俺は何も要求しない」
ユーリはジョージの手を掴んで少し強引に立たせると背を向けて腰を下ろした。ジョージは初めその意図が分からず、首を捻ったが答えが導き出されると途端に顔が引きつった。
「ユ、ユーリ、それはいけないと思うのですが……」
「なぜだ。この運搬方法が一番君に負担が掛からず、楽だと思うのだが?」
「ですが、大人の男がおんぶというは……」
背負われる姿を想像しただけでジョージの全身に鳥肌が立った。
(自分が背負う方で背負われるのが女性ならば願ってもない、いやむしろ願いまくる展開なのですが、男性同士であの格好はかなり恥ずかしいですよ!? ユーリの見た目はただの青年ですし、私は司祭だ。祭司、司教に男色家が多数いるという噂話が流れているこの時期に男性におんぶされている姿を見られれば、瞬く間に自分は男色家だという噂が広まってしまうでしょうね。ただでさえ、教会内で肩身が狭いというのにこれ以上、今の状況が悪化するのは避けたい。なんとか回避する策を……)
「では、飛んでいくか」
「さらに遠慮します」
「ではどうしたい」
ユーリは腰を上げて困った顔をする。
「……あっ、先程私を裏路地に移動させた方法で教会に」
「転送か。すまないが無理だ」
「何故です」
「転送の呪は転送先に魔法円をあらかじめ描いておかなければならない。どこにでも行けるというわけではないんだ」
「そうですか」
ジョージは腰に衝撃が伝わらぬようにゆっくりと足を踏み出してみる。だが、鈍い衝撃はジョージの腰を駆け抜けた。ジョージは苦悶の表情を浮かべたまま、足を一歩前に踏み出した状態で固まってしまう。
「やはり俺が背負って送ろう」
「いや、それは」
「すまないが、今は少し忙しい。我が侭を言わないでくれ」
ユーリはそう言うと有無を言わさずジョージを背負った。
「い、いや、ちょっと待ってください!」
「なんだ」
「いや、そのですね。やはりこの格好で街を歩くのはちょっと……」
「では、やはり飛んでいくか?」
「背負ってもらった方が私も楽ですよ。でも……ね」
ジョージは苦渋の決断を迫られた。ジョージ的にはどちらも遠慮したい。だが、空を飛ぶなど想像もできないことをさせられるよりはっと観念した。
「あ、歩いていきましょう」
「では、行くぞ」
こうなったら噂にならないことを神、いや目の前に悪魔に祈るしかないと、ジョージは心の中で十字を切った。ユーリはそんなジョージの思いを知る由もなく教会へと足を踏み出した。
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