第9話 結婚式


 東の空から結婚を祝福する鐘の音が聞こえてくる。

 天気は快晴。鐘の音は遥か上空の風に乗りエラスムス全体に響き渡った。街全体が生涯を共にする二人の幸せを祝うように様々な装飾品に飾り付けられている。出店などが立ち並び、大衆広場は大変賑わっていた。中には今日結婚する二人の顔や名前も知らないものもいるはずだが、そんなことはまったく関係ない。皆は自分達が楽しむために活気を沸きたてる。その活気が結果として結婚する二人を祝うことになるのだ。


「お二人共、どんな障害が立ちはだかろうとも二人で手を取り合い、人生を歩んで行ってください。主もそれをお望みです」


 街の喧騒を逃れた聖アブラフィア教会で聖女フェリシーの祝福の声が響いた。修道女達は聖歌を合唱し、挙式を挙げたばかりの二人を祝福する。フェリシーは白い修道服に身を包み、手を胸の前で組みながら二人に主の言葉を捧げていた。昨日、ヴィヴィに付き合われながら徹夜したかいがあり、今のところ主の言葉を一言一句間違えずに言えていた。


「聖女様。ありがとうございます。私たちはこの幸せな日を生涯忘れはしません」


 二人はフェリシーに深くお辞儀をするとゆっくりお互いの顔を覗きこみ、そして唇を重ねた。フェリシーの体がその光景にビクッと震える。聖女または司祭の前で唇を重ねることは、生涯この人のみを愛して生きていくという誓いであり、このダーティン国の慣わしであった。フェリシーはこれまで何度か見てきたが今だに慣れない。

 今回の夫婦は同い年の若い貴族夫婦だから良いが、明らかに親子ほどのある男女、いや初老の男性と少女が結婚する場合もあるため、フェリシーは何とも言えない気持ちになっていた。お互いを愛しているのなら良い。だが、大抵男性側は本当にうれしそうな顔しているが、少女は悲しそうな目をしていることが多い。

 誓いの儀を終え、真に夫婦となった二人はもう一度フェリシーにお辞儀をして外で待つ身内の盛大なる歓迎を受けるために聖堂の扉を開ける。扉が開けられた瞬間に、色とりどりの花びらと共に祝福の声が夫婦の頭上から舞い降りてくる。聖堂の中にも風に乗り、数枚の花びらと歓声が流れてきた。フェリシーは扉が閉まるのを待ち、幸せそうな新婦の姿を思い出して顔をほころばせる。


(花嫁さんかぁ……綺麗だよね。私には縁のないことなんだけど)


 聖女として選ばれたフェリシーは生涯誰とも婚姻することが許されていない。生涯をかけて神への愛と国民への愛を捧げる義務が課せられていた。


「フェリシー様。お疲れ様でした」


 声に振り返るとヴィヴィを先頭に数人の修道女達がこちらに対して頭を下げていた。


「シスター達もお疲れ様でした。今日の聖歌は一段と綺麗に聞こえていましたよ」

「ありがとうございます。フェリシー様」


 結婚のお祭りは三日間ある。

 今日はその二日目である。昨日は夫婦に捧げる主の言葉を徹夜で覚えさせられたため殆ど暇はなかったフェリシーだが、これからは逆に暇な時間が続く。フェリシーは教皇の許可がないかぎり外に出ることができないため、祭りの残り一日はいつもどおり修道院で生活することになる。いつもどおりの生活をするのは他の修道女達も同じなのだが、フェリシーと違う所は日常品の買い物と銘打って祭りに参加できるということだ。


「みんなは明日、お祭りに行くんでしょう。いいな~」

「日常品を買いに行くだけです」


 ヴィヴィが笑顔で答えると後ろの修道女達が続けて答えだした。


「お祭りに行くではありません」「そろそろ生活物資で足りないものが出てきたので~」「えっと、りんご飴と綿菓子と」「どんな出し物があるのかな~」「フェリシー様は何が欲しいですか」「あんず飴とフォカッチャ!」

 年配、もといヴィヴィと同じ歳くらいの修道女達は建前を、フェリシーと同じか年下の修道女達は本音を話した。

「……」


 先頭に立っていたヴィヴィ達先輩修道女が無言で後ろを振り向いた瞬間、後ろにいた若い修道女達の表情が一瞬にして笑顔から恐怖に変わった。


「皆さん。私達は生活物資の買出しに行くのですよ。分かってますねっ!」


 ヴィヴィは語尾を強調させた。フェリシーからはヴィヴィ達の表情は見えないが、話しかけられている修道女達が体を振るわせながら必死に首を縦に振るのを見ている限り、かなり恐ろしい顔をしているのだと推測できた。


「さて、フェリシー様。明日のお買出しで何か買ってきて欲しいものはありませんか」


 振り返ったヴィヴィは笑顔だった。この切り替えの速さはいつ見ても見事だとフェリシーは思った。


「欲しいもの? 実際に見てみないと分からないよ」

「そうですか。ではいつもどおり私達の方で決めさせていただきますね」

「ヴィヴィ~」

「いけません」


 フェリシーの懇願する声をヴィヴィは容赦なく切り捨てた。


「まだ何も言ってないよ」

「お祭りに行きたいとおっしゃるのでしょう」


 フェリシーは無言で頷いた。その目は今回こそはという期待に満ちているが、決まりは決まりなのだ。フェリシーは教皇の許可なく修道院から外に出ることは許されない。


「いけません。フェリシー様は修道院の中でしなくてはいけないお仕事があります」


 ヴィヴィは経験上、いつもならここでフェリシーは泣き付いてくるはずだと思った。しかし今回フェリシーはがっくりと肩を落とすと、とぼとぼと聖堂の隅に歩いていきと膝を抱えて座り込んでしまった。


「いいんだいいんだ。どうせ私なんて、しくしく」

「あ、フェ、フェリシー様?」


 さすがのヴィヴィもいつもと違うフェリシーの態度に戸惑ってしまった。どうしたらよいか困り、助言を得ようと後ろを振り返るとそこには先程までいた修道女達の姿がなかった。ふと辺りを見渡してみると、皆、あたかも忙しそうに結婚式の後片付けをしていた。フェリシー様の件はすべてあなたに任せますっと皆の背中が語っていた。


「あの、フェリシー様。とりあえずお部屋の方へ参りましょう。ここにいますと片付けの邪魔になりますし」

「……」


 フェリシーは答えない。すねているのか一向に動こうとせずにじっと壁を睨んでいる。ヴィヴィは困ったようにため息を付いた。こうなったフェリシーを元に戻すのは至難の業である。力ずくで部屋に連れて行き、説教をしてもいいのだが、先日の青年の件もあるのであまりそれはしたくない。穏便に事を運ぶにもこのままでは時間がかかって本当に片付けの邪魔になってしまう。


「シスターヴィヴィ。どうしました」


 ヴィヴィが思案していると後ろから声をかけられた。

 男性の声だ。声が聞こえた途端、ヴィヴィは振り向きざまに後ろへと飛び下がった。見ると先程までヴィヴィがいた場所の少し後ろに箒を手にしたジョージが立っていた。


「司祭様! 突然、私の後ろに立たないでください!」

「いや、ときどき思うのですが、そこまで驚かなくてもいいのでは」

「駄目なんです! 司祭様だけは絶対! もう生理的に! ……あ」


 ヴィヴィがしまったと思った時にはもう遅かった。すでにジョージはフェリシーの隣で膝を抱えて、フェリシー以上に陰気な空気を吐き出していた。


「何も、何もそこまで言わなくても」

「いいんだ、いいんだ。私達なんかどうせ……」


 二人の吐き出した陰気な空気から逃げるように片付けをしていた修道女達がヴィヴィの背後に駆けてきた。


「シスターヴィヴィ。何とかして下さい! 片付けができません!」

「さて、司教様に頼まれたお仕事が」

「シスターヴィヴィ!」


 そそくさと立ち去ろうとして呼び止められたヴィヴィは少しの間困った顔をした後、とぼとぼとフェリシーの隣まで歩いていった。その様子を見た修道女達がほっとしたのも束の間、ヴィヴィが膝を抱えて座り、陰気な空気を吐き出した。


「みんな、みんな、私に責任押し付けて……」


 三人から吐き出された陰気な空気は司教が様子を見に来るまで聖堂を包み込んでいた。

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