第8話 宿敵を名乗る勝手な悪魔
「ひゃっ!? ど、どうしたの、ヴィヴィ」
「フェリシー様! 実は……」
口早に用件を言うとしたヴィヴィだったが、まだ泣いていると思っていたフェリシーの意外に落ち着いた態度に言葉が止まった。
「実は何?」
「え、あ、はい……その泣いていたのでは?」
「泣いてたよ。でも、もう大丈夫」
「そ、そうですか」
ヴィヴィはフェリシーの態度に疑問を持ちつつ、気を取り直して用件を話し始めた。
「実はフェリシー様がパルノン山で出会われた青年なのですが」
「うん」
「……」
あまりにも平然としたフェリシーの返事にヴィヴィは戸惑う。
(いったいどうしてしまったのでしょう? ショックのあまりどこか悪くしたのかも……)
「ヴィヴィ。話の続き」
「は、はい。その青年なのですが、落ち着いて聞いてくださいね」
「うん」
「……」
「ヴィヴィ?」
「あの、フェリシー様。本当に大丈夫ですか。お疲れのようでした話はまた後日に」
(おかしい。おかしすぎるわ。前に修道長がお亡くなりになった時は三日三晩泣き続けたというのに……。どうして今回はこうも早く立ち直っているの? 確かに親しかった修道長と一度しか会ったことのない青年とでは悲しみの度合は少ないだろうけど、それでも……)
「本当に大丈夫だよ。で、ユーリがどうしたの?」
「ユーリ?」
聞きなれない名前にヴィヴィは首をかしげた。対するフェリシーは慌てて口を押さえたがもう遅かった。
「誰なのです。それは」
「え、あの、その人の名前!」
「青年の名前はノートン・リエインです。ユーリではありません」
「え?」
「いったい誰なのです。そのユ」
「どうなったの! その人!」
突然、フェリシーが必死な形相でヴィヴィに詰め寄ってきた。先程までの落ち着いていたのが嘘のように慌てふためいている。ヴィヴィはフェリシーの急な変貌についていけず、しどろもどろになった。
「えっ、あ、あの、し、死刑が執行される寸前に、き、消えてしまったと……」
「消えた?」
「は、はい……突然、突風が吹いて皆が目を閉じていた間に、処刑台の上から消えていた……そうです」
「そ、そうなんだ……」
フェリシーは誰も死んでいないことに安堵して後ろに下がった。
(……ユーリが助けたのかな?)
「今、僧兵が必死に市街を捜索していますので見つかるのも時間の問題かと」
「見つからない方がいいよ」
「……そうですね」
断頭台からの逃亡などという前代未聞の事態だ。見つかったら最後、今度こそ逃げられないようにと痛めつけられ拷問されたのち再び断頭台へと登らされるのは世事に疎いフェリシーにも想像はできた。だからこそ、見つからない方がいいとフェリシーは両手を合わせてノートンの無事を祈った。
「ノートンさんの無事を祈ります」
「フェリシー様が祈るのならばその祈り必ずきっと届くことでしょう」
フェリシーに合わせるようにヴィヴィもノートンの無事を祈った。
「……で、フェリシー様。ユーリとは誰ですか?」
祈りを早々に終えたヴィヴィはまだ祈りを続けていたフェリシーにゆっくりと詰め寄った。
「え、あ、そそ、その~……」
必死にユーリの誤魔化す術を考えようとするフェリシーだったが、何も思い浮かばず視線が泳ぐだけだった。ヴィヴィはフェリシーの視線が明後日の方向へ向いているのを目にしてフェリシーが何かを隠していると確信した。
(フェリシー様が嘘はなんて分かりやすいんでしょうか……。まあ、そこがまた愛らしいのですが)
「え、あははは。あっ、私ちょっと疲れたからもう寝るね」
「フェリシー様!」
ヴィヴィはベッドに逃げようとしたフェリシーの腕をすばやく捕まえた。
(ともかくユーリとは誰か確かめなければ。もし不審者ならば司祭様に言って今後の警備を強化してもらわなければいけませんし、実在しない人物、つまりフェリシー様の想像上の人物だとしたらそれはそれで問題だわ)
「いったい誰なんです! その人物は」
「えっと誰だろう? あー、疲れたなー。シスターヴィヴィ、私そろそろ就寝したいんですが」
「……」
「したいんだけど」
「……」
「したいな?」
「はぁ……分かりました」
「本当!」
フェリシーは小さく拳を握ってベッドに向かって歩いていく。
「では、これはここに置いておきますね」
ヴィヴィの声と共に何か重たい物がテーブルに置かれる音がした。フェリシーは恐る恐る振り返り、テーブルに置かれた物を見る。フェリシーにとってどこかで見たことのある書物だった。
「シ、シスターヴィヴィ。それは……」
「先程忘れていった宿題です。本来なら渡すつもりはなかったのですが、どうやら元気そうなので」
「ヴィヴィ~!」
「それではお休みなさいませ」
ヴィヴィはフェリシーの嘆きを背にすばやく部屋を出て扉を閉めると、ほっと息をついた。
(いつもどおりのフェリシー様だ。元気を取り戻した理由は気にはなるけど、今日の所は気にしないでおきましょう)
今日の晩はフェリシーの好物を用意しておこうと思い、ヴィヴィは足を食堂に向けた。
※
夜の市街に僧兵の駆け回る足音が響く。
空には満月が輝いているのにもかかわらず僧兵達は手にたいまつを持ち、薄暗い路地ばかりに目を向けているため空を見上げる者は誰もいない。時に僧兵は住居にむりやり捜索に入り、家具をあさり、住民に危害を与えながらも捜索を続けた。どんなことをしても罪人ノートン・リエインを見つけなければならない。全僧兵がそう思っていた。見つけることができなければ、自分達が団長に殺されてしまう。例え殺されはしなくても、酷い仕打ちが待っていることは確実だ。その団長もノートンが見つからなければ責任を取らされて死刑にされてしまうだろう。
僧兵が必死に捜索をしている様子を元凶である悪魔ユーリは上空から眺めていた。月を背にしているのでユーリの影が浮かんで見えるのだが、その影を見つける者は今のところ誰もいない。見つけたところで目の錯覚だと思うだけだろう。
「ずいぶんと愉快なことになっているな」
突然、誰もいないはずのユーリの背後から声が聞こえた。しかし、ユーリは特に驚いた様子もみせずに言葉を返した。
「何の用だ」
いつの間に現れたのか。ユーリの横に立派なあごひげを生やした紳士の姿があった。紳士は手にしていたステッキを回しながらユーリと向き合うように宙を滑って移動する。
「永遠の宿敵に対して愛想がないな」
「宿敵だと?」
ユーリは射殺すような視線を紳士に向ける。常人ならばすぐさまこの場を逃げ出すか、心臓の弱い者ならショック死してしまうかもしれない殺気を含めて。
「ふざけるな。おまえがその気なら俺は今頃髪の毛すら存在していない」
「そう睨むな。確かに力では俺の方が断然強いだろう。人間風に例えるならライオンと子猫、いや、ゾウと蟻ほどに差がある」
紳士はそこまで言うと口を閉ざし、意味深に笑った。ユーリはその態度が気に入らず、さらに不機嫌になった。
「俺はおまえのそういう態度が嫌いだ」
「それは失礼。だが少なくとも俺はお前を宿敵と認めてるよ」
「勝手に宿敵にするな。普通の奴なら自ら命を絶つぞ」
ユーリの言葉に紳士は高らかに笑い出した。しかし、笑い声に『楽しい』などという感情は感じられない。
「はは、それは自分が普通ではないと言っているのか」
「俺はお前に慣れているだけだ」
ユーリは紳士に背を向けると再び視線を市街に向けた。月が市街の真上に達する時刻になっても市街ではまだ僧兵が捜索活動を続けていた。
「聖女に会ったそうだな」
「ああ」
「襲ったのか」
ユーリは振り返り様に紳士に向かって火炎の呪を放った。直撃すれば骨も残さぬ程の威力がある火の玉が紳士に迫る。しかし、放たれた火の玉は紳士に当たる寸前で凍ったかのように宙で静止した。
「なかなかいい呪だ。しかし、魔力の練りがまだ足りないな」
紳士が静止している火の球をステッキで突くと、火の玉はステッキの先に吸い込まれるようにして消えていった。
「俺を低俗な連中と一緒にするな」
ユーリは追撃を加えようと魔力を両手に集中する。しかし、左手に比べ右手にはなかなか魔力が集まらず、ユーリは思わず歯を食いしばった。
「くっ」
「右手の怪我はどうした。見たところ聖なる力によって負わされた傷のようだが」
「お前に教える理由はない! 今すぐ俺の前から消えろ!」
ユーリは両手に集めた魔力を握り潰し、睨みを利かせながら右手を紳士から隠すように体勢をずらす。
「そう怒るな。言ってみただけだ」
「冗談は嫌いだ」
「冗談?」
紳士は先程までとは違い、初めて感情らしい驚いた声を発した。その表情は非常にうれしそうである。
「そうか、冗談か。私は今、冗談を言ったのか。ユーリ」
「ああ」
「そうか、そうか、これが人間の使う冗談というやつか」
紳士はうれしそうな声を上げながらさらに上空へと飛んでいく。何の障害物のない上空で紳士の笑い声が響き渡る。
「おい、あまり声を出すな。下の人間達に気づかれるぞ」
「おお、それもそうだな。が、この高ぶりは抑えられんな。ユーリ。私はまた一つ人間を理解したぞ!」
紳士の両肩に魔力が集中していく。魔力は凝縮されて紳士の両肩に翼を形作った。ユーリの翼と比べていびつで禍々しい。いや、翼というより太い木の枝だ。それが紳士の背中から左右に六本ずつ突き出ていた。
「場所を移そう。ユーリ」
「何をするつもりだ」
「少し汗を流したい。付き合え。手加減はしてやるつもりだ。できればの話だが」
「手加減? そんな気遣いは無用だ。本気でかかって来い!」
ユーリも翼を左右に展開させて、紳士と同じ高度まで舞い上がる。
「いいぞ、ユーリ。それでこそ我が宿敵。我が最愛の友だ」
紳士は太い枝のような翼を軽々と羽ばたかせ、さらにさらに上空へと舞い上がった。ユーリもすかさずそれを追う。そして遥か上空。雲さえも足元にある高度で轟音と共に月光すら浸食する光が夜空に輝いた。
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