第5話 宗教国家ダーティン

 天才といわれる芸術家達が何十年もの歳月をかけて手がけたヘスティア大聖堂はダーティン国の象徴ともいえる建築物である。外観の雄大な建ち振る舞いは厳粛な気持ちを、内装は感動を見る者達に与えていた。

 しかし、壁画に関しては製作から何十年も経っているのにも関わらず大半のものが未だに完成していない。今、諸外国では芸術革命が起こっている影響か、芸術家達は様々な表現をあみ出しては試してみるということを繰り返している。そのため、一向に作品が完成しない。

 芸術家達が頭を捻りながら自分の最高作品を壁に描いている後ろを白いローブをまとった男性が足早に駆けていく。長年の功を感じさせる顔のしわ、ローブの隙間から見える鍛えられた腕、ただの男性でないのは一目瞭然だ。男性は左右の芸術家たちには目もくれずにひたすら廊下を突き進む。

 角を曲がると大きな門が通路を閉ざしていた。門の左右には僧兵が一人ずつ背をすっと伸ばして立っている。

 僧兵たちは男性の姿を視認すると、無言で門を開き男性を通す。男性も初めから門が開かれるのが分かっていたようで速度を落とさずに門を通り抜けた。門を抜けるとまた左右に階段があった。男性は迷わず左側の階段を上っていく。男性は階段を上り終えると呼吸を整えるために胸に手を置き、大きく深呼吸をする。そして再びまっすぐ通路を進みだした。

 しばらく進むと他の扉より少し大きい扉が通路の端に見えてきた。扉の左右には先ほどと同様に僧兵が二人左右に立っていた。男性は扉の前まで進むと自分の身なりを確認し、もう一度深呼吸をする。

 そして扉を遠慮深く二回叩いた。


「誰か」


 威厳のある老人の声が扉の向こう側から聞こえてきた。男性は緊張を和らげるために唾を飲み込んだ。


「ダーティン王国僧兵団団長、レバーノン・ハイエスであります!」


 レバーノンは扉の向こうに聞こえるような大声で名を名乗る。左右の僧兵の身体が声の大きさに驚いてビクッとしたがレバーノンにそれを認識する余裕はなかった。


「団長か。入れ」

「は、失礼します」


 レバーノンは扉の向こうの人物に許可をもらい、扉のノブに手を掛ける。ゆっくりとノブを回して前方へ力を込めた。扉が徐々に開いていき中にいた人物がレバーノンの視界に入ってきた。

 部屋の中にはふっくらとした老人が一人大きな椅子に腰を掛けていた。老人の前の机には紙の束が幾重にも重なっており、机の脇にも同じような紙束が何個か置かれていた。


「忙しい中、よく来てくれた団長」

「いえ、教皇様がお呼びとあらば、いつ何時でも」


 教皇と呼ばれた老人は無言で頷く。


「団長、呼び出された用件は分かっておるな」

「はい、先日、聖女様がパルノン山に登られた時の事と」

「うむ、我が命に背きパルノン山に登り、あまつさえ聖女様に出会い、言葉まで交わした罪人は誰か分かったか」


 教皇の言葉に怒気が含まれていた。

 教皇の命を破ることはダーティン国において死を意味する。どのような弁解も聞かず、即刻斬首台に送られてしまうほどの罪だ。それは外国の者だろうと例外ではない。教皇の命に背いた前例は過去にも数度あったが、今回は命に背いただけでなく国で崇めている聖女と言葉を交わしたのだから教皇の言葉に怒気が含まれているのも当然だった。


「申し訳ございません。国中すべてを探索しましたが、報告にあったような男は発見できませんでした。国境の検問からも今のところ何の報告もありません」


 レバーノンは深く、深く頭を下げる。額には油汗が滲み出し、教皇の次なる言葉をじっと待った。


「あれから一週間も経っておるのに、まだ発見できていないのかぁ!!」


 教皇の怒声にレバーノンの身体が震えた。このままでは教皇の怒りを静めるためだけに自分は死刑を求刑されるかもしれない。そんな考えがレバーノンの頭を過ぎった。


「教皇様!」


 レバーノンはこのままではいけないと思い、顔を上げた。


「あと、一週間もあれば必ずやその大罪人を斬首台まで連れてくることができるはずです」


 教皇は言葉を受け、無言でレバーノンを睨む。レバーノンにとって永遠とも思える時間が流れる。レバーノンは教皇

の怒気を孕んだ視線を身体全身に受け、心臓が今にも口から飛び出してしまいそうだった。


「……よかろう」


 教皇の返事にレバーノンの体からようやく力が抜けた。


「慈悲だ、団長。この一週間で罪人を捕まえることができなかった時は貴行を背信者と見なす。この意味は分かっておるな」

「は、はい! 了解しました」


 背信者には死しか待っていない。一週間後に朝日を見ることができるようレバーノンは心の中で祈った。


     ※


 心地よい朝日がカーテンの隙間から部屋に入り込んでいた。

 ゆったりとして時間が流れる部屋に布のこすれる音が聞こえてくる。部屋に備え付けてあるベッドの中央ではシーツが山のように隆起していた。隆起している部分が動く度、シーツに新たなしわが生まれる。やがてシーツがめくれ、フェリシーの愛らしい寝顔が現れた。まだ深い眠りに入っているらしく口元をもごもごさせながら寝息を立てていた。

 フェリシーの部屋の外から人の歩く音が聞こえてきた。一歩一歩の足音が静かな部屋にはよく聞こえてくる。

 足音がフェリシーの部屋の前と止まると、一息置いて部屋の扉が二度叩かれた。


「フェリシー様、起きていらっしゃいますか」


 透き通るような優しい声が廊下から聞こえてきた。声の主はもう一度扉を二度叩く。


「フェリシー様、朝でございますよ」


 二度の呼びかけに対してフェリシーは寝返りをうつだけで一向に起きる気配はない。声の主はフェリシーからの反応がないのを確認すると、外から鍵を開けてゆっくりと部屋に入ってきた。

 部屋に入ってきたのは修道女だ。育ちのよさそうな顔立ちでフェリシーと同じ金色の髪。女性にしては身長がやや高いが、スタイルが良いため違和感はない。

 修道女はまだベッドで気持ちよさそうに寝ているフェリシーを発見すると、小さくため息を付いた。まだ寝ているフェリシーに呆れながらも、同時に安らかに寝ている寝顔が愛らしいと修道女は思った。

 できることならこの寝顔をずっと見ていたいという欲望を振り切りように修道女は頭を軽く左右に振った。


「フェリシー様、起きてください」


 修道女が優しく肩を揺すりながら声をかけるが、フェリシーは呻くだけでまだ起きる気配はない。先ほどより少し強く修道女はフェリシーの肩を揺する。


「朝でございますよ」

「……」

(起きませんね……まあ、このくらいで起きないのは毎度の事ですけど)


 修道女はできるだけ穏便に起こすため、カーテンを開け朝日でベッドを照らした。しかし、朝日を浴びたフェリシーは起きることなく朝日から逃げるようにシーツの中に潜ってしまった。

 修道女の眉が少し釣り上がる。

 修道女はすたすたとベッドに近づくとシーツを掴みそのまま勢いよくめくり上げた。だが、シーツの下にあるはずのフェリシーの姿がなかった。驚いた修道女だったが、シーツを掴んでいる腕に異様な重みを感じて視線をめくり上げたシーツに目を向ける。

 そこにはまるで蝉のようにシーツに張り付いているフェリシーの姿があった。修道女はため息を付くとシーツから手を離した。


「きゃっ!」


 驚いた声と共にフェリシーがベッドに落ちた重たい音が部屋に響いた。


「う~、なに~」


 ゆっくりシーツが動き出し、眠たそうに目を擦りながらフェリシーがシーツの下から顔を出した。フェリシーの眠たそうな目と修道女の吊り上った目が合った。


「あ、ヴィヴィおはよう~」


 しばらく見詰め合った後、フェリシーは自分のお世話役であるヴィヴィに気の抜けた声で挨拶をした。


「'おはようございます'です、フェリシー様。それから私をお呼びになる時は名前の前にシスターを付けてお呼びください。いいですか。大体……」


 いきなりシスターヴィヴィの説教が開始された。

 フェリシーが朝食を食べれるのは何時間後になるだろうか。フェリシーのお腹がぐぅっと鳴る。

 

     ※


 聖アブラフィア教会での定例礼拝が終わり、礼拝の緊張感から解放されたフェリシーは庭園の脇で大きく伸びをした。

 フェリシーの参加する礼拝は教会関係者と一部の貴族のみが参加する特別なものだ。一般国民が多く参加するシルギ・ド・フォラス教会の礼拝は司教が主に司式を行い、大司教は大事な礼拝時にしか司式を行わないが、聖アブラフィア教会でのミサは大司教が主に司式を行い、年に数回は教皇自ら司式を行う時もある。

 それだけ聖女フェリシーの存在が特別視されており、その当人であるフェリシーの感じる緊張感は大きいモノだった。


「フェリシー様」


 自分を呼ぶ声にフェリシーが振り返るとヴィヴィが手に聖書と教典を持って近づいてくる所だった。

 フェリシーはこれから今日の説教が始まるとフェリシーは嫌な気分になったが、決して逃げることはできないとあきらめた。


「フェリシー様。本日の説教ですが」

「はい……」


 説教が始まると分かり、フェリシーの声が沈む。落ち込んでいると誰が見ても分かるほどフェリシーは肩を落とした。


「どうしました。フェリシー様。ご気分が優れないのですか」

「大丈夫です。シスターヴィヴィ」


 大丈夫と答えるフェリシーの声に元気はなく、顔も下を向いたままだ。


「とてもそうは見えませんが……まあ、私の説教は昨日で終わりですから、今日はゆっくりお休み下さい」

「え!?」


 ヴィヴィの言葉にフェリシーの顔が勢いよく上を向いた。目は期待に満ちており、先ほどまで沈んでいたのが嘘のようだ。


「ヴィヴィ、今なんて言ったの?」

「は?」

「だから、今なんて言ったの?」


 ヴィヴィはフェリシーの突然の変わりように少し驚いていた。


「お、お休み下さいと」

「その前!」


 フェリシーの気圧されてヴィヴィは思わず後ずさる。


「私の説教は昨日で終わりですし」

「本当に!」


 後ずさるヴィヴィに真面目な表情でフェリシーは詰め寄り、ヴィヴィの言葉を待った。

 肯定を意味する言葉を。

 はいっという二文字を。


「いいえ」


 ヴィヴィから否定の言葉が放たれた。フェリシーの表情が固まる。しかし、それは長く続かず、すぐさま泣き顔へと変わった。


「ヴィヴィ~、まだ説教続けるの~。もう辛いよ~。倒れちゃうよ~。反省してるよ~」


 フェリシーはヴィヴィにすがり付くと涙目で訴えた。


「もうあんなことしないから~。許して~」

「はい」

「へ?」


 ヴィヴィのあっけない答えにフェリシーの動きが止まる。見るとヴィヴィは笑顔を浮かべていた。


「ですから、許します。そして、私の説教も昨日で終わりです」

「……本当に?」


 フェリシーがその言葉をつぶやくのには数秒の時間を要した。


「ええ」

「神様に誓って」

「はい、誓います」

「……」


 噛み締めるようにヴィヴィの言葉を聴くと、フェリシーは拳をぐっと握る。心の中では狂喜乱舞だが、それを体で表現しようものなら再びヴィヴィの説教週間が始まってしまうとフェリシーは溢れそうにある気持ちを必死に身体のうちに抑え込んだ。


「では、シスターヴィヴィ。言われたとおりに今日は休ませていただきます」


 フェリシーは自分の部屋に戻るためヴィヴィの背を向ける。その時のフェリシーの顔は最近したことのないほど極上の笑顔だった。


「ちょっとお待ち下さい」


 フェリシーが部屋への一歩を踏み出すと同時にヴィヴィに声をかけられた。フェリシーは笑顔を真面目な顔に戻して振り返る。


「何でしょうか。シスターヴィヴィ」

「これを」


 ヴィヴィは笑顔のまま数冊の本をフェリシーに差し出した。フェリシーは浮かんできた嫌な考えをすぐさま否定する。


「な、何の本ですか?」

「理学と歴史の本それから……」

「べ、勉強の本?」

「はい」


 ヴィヴィは笑顔で答えた。悪意のない笑顔だった。


(きっと私の事を想ってしてくれているんだろうけど、けど……)

「シ、シスターヴィヴィ? 確か先ほど、今日は休んでよいと……」

「はい。しかし、私の説教で勉学が遅れていますから、今日は自習ということで。あ、もちろん宿題はありますよ」

「本当に?」


 フェリシーは差し出された本から逃げるように後ずさりながら、ヴィヴィの言葉を待つ。

 否定の言葉を。

 いいえっという三文字を。


「はい」


 肯定の言葉が放たれた。言葉と共に渡された本の重みでフェリシーの腕が、肩が、頭が一斉に下を向いた。下げられた頭の位置からフェリシーのすすり泣く声が聞こえたがヴィヴィはあえて無視した。


「ずいぶんと楽しそうですね」


 聞きなれた声にフェリシーが顔を上げるとジョージがヴィヴィの背後に立っていた。

 ヴィヴィも背後から声をかけられ、驚いた顔をして後ろに振り返った。ヴィヴィはジョージがすぐ後ろにいたのを視認するとすぐさま横に逃げるようにして駆け出した。そしてヴィヴィはジョージと庭園の花壇一つ分くらいの距離を取って立ち止まった。


「と、突然、後ろに立たないで下さい。司祭様!」

「す、すいません。シスターヴィヴィ、驚かすつもりはなかったのですが」


 ヴィヴィの男性が苦手だということは教会内では周知の事実であった。普段、よく接しているはずのジョージや他の司祭、助祭に対してさえ今のような態度を取ってしまう。これでも昔と比べて良くなったと本人は語っている。


「ジョ、じゃなくて司祭様。シスターヴィヴィは男性の方が苦手なのは知っていますよね」

「ああ、そうでしたね。すいません。楽しそうに話をしていたので、つい」

「いえ、私の方こそ司祭様に対してこのような態度を取ってしまい、申し訳ございません」


 二度も頭を下げれられヴィヴィは恐縮し、深くお辞儀をした。


「いや、いいんですよ。驚かしたのは私の方ですし。苦手というはなかなか克服できないものですからね」

「すみません、司祭様。で、では、フェリシー様。ちゃんと自習なさって下さいね」


 口早に言うとヴィヴィはフェリシーの返答を待たずに、修道院の方に体を向けて歩き出した。


「シスターヴィヴィ、少し時間はよろしいですか」


 ジョージに呼び止められたヴィヴィは肩をピクっと動かし、ぎこちない動きで首だけ振り返った。


「な、何でしょうか。司祭様」

「あなたに話があって探していたのです。時間はよろしいですか」


 ヴィヴィは反射的に断ろうと思ったが、ジョージの顔が珍しく真剣なのを見て思いとどまった。普段、ジョージからヴィヴィに話かけてくることはない。あるとすれば、それは決まってフェリシーに関係のあることだけだった。ジョージの表情からヴィヴィは今回はかなり深刻な話だと察した。


「分かりました」


 ヴィヴィは気を取り直してきちんと振り返る。フェリシーのためなら苦手な男性との話も我慢しようとヴィヴィは覚悟を決めた。


「ありがとうございます。では、私の部屋で来ていただけますか」

「それは嫌です」


 即答だった。

 フェリシーのためとはいえ、ヴィヴィにも譲れない一線があった。


「そ、そうですか。では、フェリシー様」

「え、何?」

「これからシスターヴィヴィと大事な話があるのです。もし、シスターに用があるのでした後でお部屋に向かわせます。ですからその……」

「分かりました。特に用事はありませんので、私は部屋へ行かせて頂きます」


 歯切れの悪いジョージに対してフェリシーは話を聞かれたくないという意図を察して答えた。フェリシーは会釈をし、ジョージ達に背を向けて歩き出した。


「フェリシー様。教本をお忘れ……」


 ヴィヴィが意図的に置き忘れていた教本を見つけて、声を掛けようとした時にはもうフェリシーの姿はヴィヴィの視界には居なかった。

 ヴィヴィはフェリシーが忘れていった教本を手に取ると、小さくため息を付きながらジョージの方に向き直る。見るとジョージは口元に手を当てて軽く笑っていた。


「司祭様、笑う事ではありません。フェリシー様には聖女としての自覚が足りないのです」

「そうですね、確かに足りないかもしれませんね。しかし、私個人としてはずっといままのフェリシー様でいて欲しいと思っています」

「その個人というは、聖職者としてでなく"兄として"ではないですか」

「聖職者としても、兄としてもですよ。シスターも今のままのフェリシー様が好きですよね」


 ジョージの言葉にヴィヴィの体温が上昇した。ジョージの言うとおり、今のフェリシーは手のかかる妹といった感じでとても愛らしいとヴィヴィは思っていた。駄々を捏ねたり、怒ったり、そしてあの一点の曇りもない笑顔、フェリシーのそんな様子を見ているだけでヴィヴィは幸せな気分になれた。


(確かに、フェリシー様が聖女として自覚をきちんと持つようになったら、今のフェリシー様はどうなってしまうだろうか、変わってしまうだろうか、今のような愛らしい笑顔は見られるだろうか)

「私は……」

(どうなのだろう。聖職者として、聖女の教育係としてフェリシーには立派な聖女として育ってほしい。しかし、それと引き換えに彼女の笑顔を見ることができなくなるのなら……)

「シスター。あまり深く迷うことはありませんよ。私達がどう考えていても、最後に選択するのはフェリシー様です。彼女が望む将来を私達は精一杯応援しようでありませんか」

「……」

「どうしました?」

「司祭様、もしかして……まともなことをおっしゃってますか?」


 ジョージは肩をがっくりと下げた。


「あ、あなたもそういうことを言いますか。まったく私は皆にどう思われているのです」

「申し訳ございません。決してどう思っているというのではなく……」

「興味がないと、そうですか。そうなんですか」


 ジョージは呟きながら膝を抱えるように地面に座ると目の前の花々に声をかけ始めた。


「今日も君たちはきれいだね~。うん、ああそうか、肥料が少し多いか~」

「あ、あの司祭様。話というは」


 ヴィヴィはジョージの態度の少し引きつつ、このままでいけないと声をかけた。声を掛けられたジョージは予備動作なしで立ち上がり、服に付いた土を手で振り払った。


「少々ふざけ過ぎて、話が反れてしまいましたね」


 今まで落ち込んでいたのが嘘のようにきりっとした態度でヴィヴィと向き合う。苦手だと、数いる男性の中でもこの男が一番苦手だとヴィヴィは改めて思った。


「フェリシー様がパルノン山に登られた時の件は覚えていますね」

「はい、それはもちろん。昨日までたっぷりと説教をさせていただきましたから」


 嬉しそうに答えるヴィヴィにジョージは思わず後ずさりそうになった。


「そ、そうですか。それでそのときフェリシー様が遭遇した青年なのですが」

「ああ、恐れ多くもフェリシー様と言葉を交わした青年ですね」

「はい、その青年ですが、先程捕まったとの報告がありまして……」

「……そ、そうですか」


 ヴィヴィは少し戸惑いながら答えると目を伏せた。

 教皇の命に背き、捕まった者が行き着く場所は一つだけだ。

 斬首台。

 つまりは死刑。死刑が免れる唯一の方法であった免罪符が廃止された今、罪人は弁解の余地すら与えられずに斬首台に送られる。国によっては毎日何十人もの罪人が斬首台に送られているらしい。人の死が知らされるというのは、それが見ず知らずの他人であっても気分が良いものではない。


「教皇様の命に反したのですから、やはり」

「ええ、数時間後には斬首台に送られるはずです」

「え!?」


 突然、誰かの驚いた声が二人の耳に聞こえた。ジョージとヴィヴィはまさかと思い、声が聞こえてきた方向に目を向けた。


「フェリシー様」


 二人の視線の先には呆然と立ち尽くしているフェリシーの姿があった。


「フェ、フェリシー様。お部屋に戻られたのではなかったのですか?」

「ジョージ、なんで!」


 なるべく平静を装って話しかけてきたヴィヴィの問いには答えず、フェリシーはジョージに詰め寄った。


「……」


 苦い顔のまま答えないジョージに対してフェリシーは涙目になる。

 フェリシーは自分のせいかもしれないと思った。自分があの時、修道女達を呼びに行かず、修道女達に青年に会ったことを話さなければ、このようなことは起こらなかったかもしれないと。


「ねぇ、どうして! どうして、あの人が殺されなきゃいけないの!」

「フェリシー様……」

「わ、私のせいなの! 私があの人に会ったことをシスター達に話から!」

「フェリシー様!!」


 ジョージの大声にフェリシーは体をビクッと震わせた。


「あなたのせいではありません。これは青年が教皇様の命に背き、パルノン山に登った時点で決まっていたことなのです」

「でも、でも……」


 フェリシーはジョージにしがみつき、そのまま泣き崩れてしまった。ジョージとヴィヴィがかける言葉を見つけることができずに歯がゆい思いをしていると庭園の入り口にフェリシーの泣き声を聞きつけた修道女達が現れた。


「シスターヴィヴィ、とりあえず、フェリシー様をお部屋に……」

「は、はい、分かりました。フェリシー様」


 ヴィヴィがフェリシーの肩に優しく手を置くと、フェリシーはゆっくりと振り向いて今度はヴィヴィに抱きつくような形で泣き始めた。ヴィヴィはフェリシーの悲しみが少しでも和らげることができればと力強く抱きしめ、そして体を庭園の入り口に向けると小さくフェリシーに声をかけてゆっくりと歩き出した。

 ジョージはフェリシーとヴィヴィが庭園から出て行くのを見送ると、奥歯を強く噛み締めて近くの石柱に拳を叩き付けた。


「また……あの子を泣かせてしまった」


 拳から血がにじんできたがジョージは血を拭おうとはせず、そのままもう一度悔しそうに拳を石柱に叩き付けた。

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