第4話 説教週間
フェリシーが修道女達を呼んで戻ってくるとどこにも青年の姿はなかった。フェリシーは左右を見渡すが青年の影も形もない。
「ど、どこに行ったんだろ!? どこですかー!!」
フェリシーは先ほどの青年の怪我を思い出し、もう一度周囲を見渡した。
「フェリシーさまぁ~」
背後から聞こえた修道女達の低い声にフェリシーの背中がビクッと動く。恐る恐る振り返るとそこには息を荒げ、すごい形相でこちらを睨んでいる修道女達の姿があった。
慣れない山歩きに加え、フェリシーの捜索、そしてようやく見つけたかと思ったらここまで走らされたのだ。元凶であるフェリシーに何か言いたくなるのは当然だった。
「シ、シスター。あ、あのね」
「「フェリシー様!」」
フェリシーの言い訳は修道女達のアンサンブルされた声で遮られる。声は山々に反響してフェリシーの耳に返ってきた。
「急に走られるから」「困ります」「心配しましたよ」「誰もいませんよ」「いったい何のつもりですか」「疲れました~」「お怪我をしているではありませんか」「どこです。その不埒な男性は」「何かされませんでしたか」「あの~怪我をされた方は~」
修道女達が一斉にフェリシーに詰め寄り、次々に話を始めた。
「皆さん、勝手に喋らないで下さい!!」
「「フェリシー様こそ勝手にどこかに行かないで下さい!!」」
「あうっ」
修道女達の怒声にフェリシーは口を閉じる。
「皆さん、一旦お静かに。ファリシー様、怪我をした方いるからと聞いて来てみれば誰もいないではないですか」
一人の修道女が一歩前に出てると他の修道女達を静かにさせて下がらせた。修道女達が申し訳なさそうに下がるのを確認するとフェリシーの足元に膝を付いた。
「怪我をしておられるのはフェリシー様ではないですか」
修道女はフェリシーの足の傷の具合を確認すると安堵の表情を浮かべた。シスターの表情を見てフェリシーは自分がどれだけこの修道女に心配をかけたかを理解した。フェリシーが他の修道女達にも目を向けると他の修道女達も皆、安心した顔でフェリシーを見つめていた。
「シスターコリン。すいませんでした」
フェリシーが謝るとコリンと呼ばれた足元の修道女は顔を左右に振る。
「いいえ。私も皆もフェリシー様がご無事ならそれだけで」
コリンの言葉に他の修道女達も頷く。フェリシーは自分が想われていることに感謝して修道女達に向かって深くお辞儀をした。持ってきた軟膏を塗り、包帯を巻き終えたコリンが数歩下がると厳しい表情をして後ろの修道女達へと振り返った。
「さて、大変なのはこれからですよ。まず、第一の問題としてシスターヴィヴィです」
ヴィヴィの名が出た途端、修道女達の顔が固まった。フェリシーも同様、いや他の修道女達以上に顔が固まる。
「フェリシー様のお怪我の件で彼女を説得できる自信がある人はいますか」
修道女達はコリンから視線を逸らすように一斉に顔を右や左に向ける。コリンはその様子を見るとため息を付き、一人の修道女を指名した。
「では、シスターティミーにお願いします」
指名された修道女がビクッと顔を上げてイヤイヤと首を横に振る。フェリシーと同い年の愛らしい顔には涙さえ浮かんできていた。それに対し他の修道女達はそろってティミーに向かい十字を切った。
「シスターティミー。あなたに神のご加護があらんことを」
「フェリシーさまぁ~」
「あは、はははは、神のご加護を」
懇願してくるティミーに苦笑いで答えるフェリシーだが、フェリシー自身もヴィヴィの説教を受けることは間違いなかった。
※
聖アブラフィア教会の庭園には様々な草花が咲き誇っていた。それぞれ生きていることを誇示するかのように天に向けて茎を伸ばしている。
庭園に舞い降りた鳥達の声も響き渡り、和やかな雰囲気を出していた。
そんな中、フェリシーが暗い顔をしてベンチに座っていた。
ピクニックの翌日から今日まで一週間、まだシスターヴィヴィの説教が続いていた。毎日説教を聞き続けてフェリシーは体力的にも、精神的にも限界にきていた。フェリシーと一緒に説教を受けていたティミーは一昨日、心労がたたり倒れてしまった。
フェリシーがお見舞いに行ってみると、ただ申し訳ございませんっと苦しそうに呟きながら身悶えていた。
(私もいつかティミーみたいになるのかな)
深いため息をついてフェリシーは膝を抱えた。
(傷はもう消えているのにな……。なんで説教は終わらないんだろう? いったいどうしたらあんなに次々と説教のネタが出てくるのか不思議でたまらないよ。ヴィヴィがその気なら一年中説教ができそう……絶対に確かめたくはないけど)
「はぁ~」
「ため息などついてどうかしましたか。フェリシー様」
声に反応して顔を上げるとそこには長身の司祭が立っていた。清潔な短めのブロンド髪に黒い司祭服、スータンを着た司祭はフェリシーより一回りは年を取っているはずだが、柔和な顔つきのせいか大分若く見えた。
「司祭様。ごきげんよう……はぁ~」
「ごきげんよう」
司祭はその場で腰を下ろしてフェリシーと向き合った。
「フェリシー様。ため息の数だけ幸せが逃げていくといいますよ。あなたは聖女なのですから、いつも笑顔でいないと。私に何かできることはありませんか」
司祭の諭すような言葉にフェリシーが笑顔で顔を上げた。
「だったら、ヴィヴィを何とかして下さい。そうすれば私、笑顔になりますから」
「さて、そろそろ次の仕事が」
司祭はヴィヴィの名が出た途端、急いでその場を立ち去ろう腰を上げた。しかし、振り返ると同時にフェリシーに服の袖を掴まれてしまい、それ以上逃げることができなかった。
「ジョージ~」
「フェリシー、私のことは名前で呼ばないでくださいと何度も言っているでしょ」
ジョージと呼ばれた司祭は困ったような顔でフェリシーに向き直った。
「二人だけの時くらいいいでしょ。兄妹なんだから」
「兄妹でも今は立場が違います。あなたは聖女として国から選ばれた高貴なお方。私は一介の司祭にすぎません」
「でも~」
フェリシーが駄々を捏ねるようにジョージの袖を大きく上下に振る。ジョージは庭園を見渡して人影がないことを確認するとフェリシーの横に腰をかけた。
「どうやら気分が沈んでいる理由はヴィヴィの説教だけはないようですね」
「分かるの?」
「分かりますよ。兄妹ですから」
微笑んでいたジョージの頬が次第に上がっていった。あまりいい事を考えている時の顔ではない。
「そうか、そうですか~。いいですね~」
ジョージの目線が急に遠くなり、思考が勝手に走り出した。手が空をゆっくりと描き、あやしい動きを始めた。
「そうですか~。そういうことになりましたか。ああ!」
フェリシーがビクッと震え、ジョージの奇声とともに空を描いていた手が止まった。しばし、静寂がその場を支配した。
「ジョ、ジョージ?」
「そ、そんな、いやまさか……し、しかし、それがいい!!」
ジョージが拳を握り締めて勢いよく立ち上がった。握り締めた拳を天高く掲げて光悦とした表情のままでジョージは動かなくなった。唖然としてその様子を見ていたフェリシーだったが、時間とともに我に返るとまだ動かないままのジョージを確認して、ベンチの置いたままの分厚い聖書を手に取る。ずっしりとした重量感がフェリシーの腕に伝わってきた。
フェリシーは手に持った聖書をジョージの足の小指に当たるよう位置を合わせた。
(高さが少し足りないかな? でも、結構重いし、十分だよね)
フェリシーは心の中でアーメンと唱えると聖書から手を離した。
「うごっ!」
聖書は見事にジョージの足の小指に直撃した。ジョージが痛みに耐えてうずくまっている様子を見て、フェリシーは三つ指で十字を切る。
「な、何をするんですか」
地面に倒れながら見上げてくるジョージの目には涙が浮かんでいた。
「ジョージの思考がやましい方向に向かっていたから……」
「やましいことではありません。いいですか、触手というのは」
フェリシーはすばやく聖書を持ち上げるとジョージの足の小指に向けて振り下ろした。が、ジョージはさっと足をずらし聖書をかわした。
「ふふ、そうそう何度も痛い目には遭いませんよ」
ジョージは不適な笑みを浮かべて立ち上がると、フェリシーの手から聖書を奪い去った。
「まったく、聖書をなんてことに使うんですか!」
「だから、それはジョージがやましいことを考えていたから、聖書で煩悩を追い出そうかと」
「だから別にやましくありませんって。それで誰なんですか」
「誰って」
ジョージの質問にフェリシーは首を傾げた。痛みを払うかのように右足を振っていたジョージの顔がまたいやらしい笑顔になる。
「またまた、とぼけないで下さい。好きな人ができたのでしょ」
予想外の質問にフェリシーの思考が停止する。
「誰なんです? フェリシーが出会うことができる男性といえば限られていますし、私が知ってる人ですかね。しかし、教会関係の男性となると皆、私より年上ですし……あっ」
ジョージが何か納得したかのようにうんうんと頷きだした。
「パルノン山で出会った青年ですか」
「なっ!」
あの青年のことを言われてフェリシーの思考が一気に復活する。
「ち、違うよ! 好きな人なんかじゃ!! た、確かにあの後どうしたのかなって時々ふっと思い出して気にしてはしてはいたけど、好きとかそんなんじゃ、それに……」
一気にまくしたてるとフェリシーの表情がふっと暗くなる。
「それに聖女である私は特定の誰かに好意を持ってはいけない……ですか」
ジョージは途切れてしまったフェリシーの言葉を続けた。フェリシーは黙って頷く。
「教皇様が話していましたね。主から与えられた愛を万人に与えなければならない。聖女はそれができる存在である。そのために愛をただ一個人に与えるということをしてはならない」
フェリシーが聖女として教皇から認められたのは八才の時だ。神のお告げを聞いたと大勢の司教や司祭が突然家に入ってきたかと思えば最後に入ってきた教皇から聖女だと認めさせられたのだ。その結果、今まで普通の子供として生活してきたフェリシーは聖女としての生活を強いられるようになった。
別に聖女として認められたこと、修道院での生活に対して不幸だとフェリシーは思ったことはなかった。聖女として生きることはこの上ない幸せなことであると思っている。時折生活が窮屈に感じて不満を漏らすことはあるがそれは日々の生活がある程度、満たされているかだとフェリシーは知っていた。
だが、それでも多感な年ごろであるフェリシーにとって誰も好きになってはいけないと言われても素直に受け入れることはできていなかった。
「フェリシー、私は別にいいと思いますよ」
「え?」
「一人の人間を好きになることは別にかまわないと思います」
この国の聖職者としては意外な言葉を耳にしてフェリシーは驚いた。司祭の地位にあるジョージが位階が遥か上である教皇のお言葉に異を唱えたのだ。庭園には自分達しかいないからこそいいが、誰かに聞かれでもしたらジョージは司祭の地位を剥奪されてしまうかもしれない発言だった。
「確かに教皇様のおっしゃることも分かります。けど、個人を愛することができない人が皆に愛を与えることがはたしてできるのか。例えできたとしても、それはおそらく上辺だけに過ぎないのではないか。そう私は思うわけですよ。……ん、どうしました?」
「ジョージ……」
「なんです?」
「ひょっとしてまともな事言ってる?」
ジョージは無言で中指を手の平の内側へ丸めると親指を中指に引っかける。少し中指に力を溜めた後、勢いを付けた中指をフェリシーの額に打ち付けた。
「あうっ」
少し頭を仰け反らせたフェリシーに対してジョージはもう一度中指を打ち付ける。再びフェリシーから「あうっ」という声が生まれた。そして中指による殴打がしばらく続けた後、指が疲れたのかジョージはようやく攻撃をやめた。
「人が真面目な話をしているのですから、茶化さないで下さい」
「う~、赤くなってる」
フェリシーは少し涙目になりながら手鏡で自分の額の一部が赤くなっているのを確認した。
「ヴィヴィに言いつけてやる!」
「申し訳ございませんした。聖女フェリシー様、どうがご慈悲をお願いします」
ヴィヴィの名前が出た途端、ジョージは直角に腰を曲げて深く頭を下げてきた。
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