第3話 二人が出会う
フェリシーは森の中をまっすぐ走った後、今度は左に方向転換をした。後ろから追ってくるはずの修道女達を撒くための行動だ。足元には草が茂っており、かなり走りにくい。だが、ここ数年、こんなにも力いっぱい走る事などなかったフェリシーは疲れや、走りにくさよりも全力で走るという行為をただ楽しんでいた。
息が上がり始めたのでフェリシーは走る速度を少しずつ緩めて歩き始めた。辺りを見渡すと林の中は木漏れ日が降り注ぎ、とても幻想的な雰囲気に包まれていた。
(小さい頃に読んだ絵本の中みたい……妖精さんに会えないかな)
そんなことを思って歩いていると林の終わりが見えてきた。
林の向こうの景色を見ようと再び駆け出したフェリシーだったが、林の向こうに人影を見つけると慌てて木の陰に隠れた。追ってきた修道女かと思った人影はその場を動かずにじっとしていた。不思議に思ったフェリシーは木の陰に隠れながら少しずつ人影に近づいていく。ある程度近づいたところでフェリシーは木の陰から顔を出して、人影の様子を伺った。
「へっ!?」
フェリシーは驚きのあまり思わず声を出してしまった。人影は黒い服を着た綺麗な青年だった。普段ならそれほど驚くことではない。が、今は教皇の命でパルノン山への国民の立ち入りは禁止されているはずだ。教会関係者、しかも聖女である自分に近しい人物しかこのパルノン山に人はいないはずである。
(エ、エルフ?)
フェリシーは小さい頃に読んだ絵本に森に住む住人としてエルフが出てきたのを思い出した。
(確か、エルフって耳が尖がってて・・・)
そう思って青年の耳をじっと観察するが、尖ってはいなかった。フェリシーは少し残念な気持ちでため息をつく。
「そこで何をしているんだ」
「へっ!?」
突然声をかけられフェリシーはビクッと身体を震わせて、すばやく木の陰に隠れた。
フェリシーが教会関係者以外で異性と会うのは久しぶりだった。フェリシーは心音が早くなるのを感じていた。気が付けば手のひらに汗もかいている。フェリシーは自分を落ち着かせるために三度深呼吸をする。そして気を入れなおして再び、木の陰から顔を覗かせる。が、先ほどまで確かにいた青年の姿がそこにはなかった。
どこに行ったのかと思いフェリシーは木の陰から身を出して青年が先ほどまでいた場所まで歩き出す。林を抜けるとそこは見晴らしのいい丘だった。決して広くはないが、一人でのんびりするには充分な空間と景色がそこにはあった。
フェリシーが丘の下を覗いてみようと端の方に行こうとした時、突然後ろから声をかけられた。
「あまり端にいくと落ちる」
声に反応して後ろを振り返るとのいつの間にか青年が木に背を預けてこちらを見ていた。フェリシーはなぜ林を抜けた時に青年に気づかなかったのかと不思議に思いながらも声をかけた。
「こ、こんにちは」
「ああ」
青年はそう答えると手にしていた本に目を移した。
(えっ?)
フェリシーはそっけない青年の態度に驚いていた。ダーティン国の国民達はフェリシーの姿を見たら頭を下げて祈り始めるのが常識であり、しないのはフェリシーに近しい教会関係者か、教皇など立場がかなり高い人達だけだ。
どう見ても一般国民にしか見えない青年がフェリシーには興味がないと読書を続けることなどダーティン国では有り得ないことだった。
「あの~ここで何をしているんですか」
「本を読んでいる」
「あー、そうですねぇ。えーっと、私のこと知ってます?」
フェリシーは普段、皆に見せるような笑顔を作ってみる。内心を表に現さないように聖女になってから会得した社交術だ。歯を見せないよう、笑いすぎないよう、頬が上がりすぎないよう微妙な力加減の笑顔だ。皆はこれを最高の笑顔と称える時があるが、フェリシー個人としてはあまりいい笑顔ではないと思っている。
「いや、知らない」
即答だった。
青年はフェリシーの顔をちらっと見ると、再び本を読み始めた。フェリシーは青年が自分の事を知らないことに驚きながら、今度こそは続いて名を告げる。
「私、フェリシー・マリア・ダーティンです」
「そうか」
聖女の名を聞いても青年は平然と本を読んでいた。
(お、おかしいな。名前は国外にも広く知られているって皆が言っていたのにな~。ただの自意識過剰なのかな? でもでも、国外から私を見るためだけに何千人もの人が来るって聞いたこともあるし!)
「あの……この国の人ではないですよね」
「ああ」
「あの……」
「用件があるなら早くしてくれないか」
青年は読んでいた本を閉じると少し迷惑そうにフェリシーを見た。
「す、すいません。読書の邪魔をしてしまって……」
青年の本を見ると変色が進んでいて表紙だけでなく中に紙もボロボロになっており、何度も読み込んでいることが分かった。
(お金がなくて新しい本が買えないのかな?)
フェリシーがそんなことを思っていると、何かを見つけたのか青年がフェリシーの足元を指さした。
「足に怪我をしているぞ」
「え?」
青年の視線を追って足を見てみると赤い線が数本引かれていた。林を抜ける最中に葉っぱで切ったのだろう。
「これくらい別に痛くないですし、大丈夫ですよ」
口ではそういったフェリシーだったが、心の中では大変悩んでいた。この怪我を修道女達に見つかったらなんと言われるのかフェリシーはそれが心配だった。
(怒られるだけならいいけど、もう二度とお勤め以外で外に出られなくなったらどうしよう……)
その最悪の事態だけは避けようとフェリシーは必死に言い訳を考え始めた。
(一緒に来ている人達は何とかなると思うけど……)
フェリシーの頭に一人の修道女の顔が思い浮かんだ。彼女はフェリシーのことをとても大事にしていた。過保護とも言えるほどに。
普段から聖女らしくあれと説教を繰り返す彼女はこの程度の傷でも大騒ぎをするはずであり、彼女一人を説得することに比べれば他の修道女を百人説得した方がフェリシーにとっては楽なことだった。
「はぁ、どうやってヴィヴィを説得しよう」
「誰を説得するんだ」
声に反応して下げていた顔を上げると、青年がこちらに歩み寄ってくるところだった。フェリシーは後ろに数歩下がり、身体を硬くする。そんなフェリシーの様子を見て青年は右手を差し出してきた。
「危害を加える気はない。切り傷に効く薬草を取ってきた」
差し出された右手には確かになんらかの草が握られていた。だが薬草の知識がないフェリシーにとっては、ただの草にしか見えなかった。
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。少し切っただけですから」
「そうかもしれないが、念のために薬を塗っておいた方がい、っ!」
青年の言葉をそこで遮られた。突然、青年が後ろに跳び下がったのだ。青年は目を見開き、驚いた顔でフェリシーを見ている。
「ど、どうかしました?」
フェリシーは戸惑いながら青年に向かって足を踏み出す。
「来るな!」
「え!?」
突然の青年の怒声にフェリシーの足が止まる。どうしたのだろうと思いながら青年を見ると青年の右手がまるで火傷したかのように赤くただれていた。フェリシーの鼻に何かが焼けたような嫌な臭いが漂ってきた。
「どうしたんですか。その手!?」
フェリシーが思わず駆け寄ると、青年はフェリシーから遠ざかるようにまた後ろに跳ぶ。
「あ、あの……」
「……薬草は君の足元に落ちてある。すまないが、自分で塗ってくれ」
青年に言われて足元を見るが、どれが先程青年の握っていた草か分からない。それにどう見ても自分より青年の方が重症だ。
「あの、私、シスター達を呼んできます!」
「ま、待て!」
修道女達を呼びに行こうとしたフェリシーを青年は引き止める。
「俺なら大丈夫だ」
「で、でも……」
青年の顔には油汗が出ており呼吸も荒く、とても大丈夫そうではない。
「大丈夫だ。すぐっというわけにはいかないが、明日までには治るだろう」
「明日までってそんなひどい怪我なのに……治るわけないじゃないですか! シスター達を呼んできます。ここで待っていて下さい!」
「待てっ! 待つんだ!」
背後で青年の静止する声が聞こえたが、フェリシーはかまわず林に向かって駆け出した。
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