第2話 聖女フェリシー

 整備された山道を少女が一人、軽快な足取りで登っていた。空は青く澄み渡り、風は穏やかに少女の頬をかすめていく。登山にはこれ以上にないほどの良い天気となっていた。


「う~ん、いい天気~」


 少女、フェリシー・マリア・ダーティンが身体を回すと腰まで伸びた髪が遠心力によりフェリシーの体を追うように動き、純白のシルク生地の洋服に陽光が反射してフェリシー自身が輝いているようにさえ見えた。ここダーティン国において聖女と讃えられる少女はその敬称に負けることない笑顔を周囲に振りまいた。


「フェリシー様~、お待ちくださ~い」


 フェリシーが声に反応して後ろを振り返ると、数人の修道女達が昼食の入ったバスケットを持って少し辛そうな表情をしながら近づいてきていた。普段、山歩きなどしない修道女達にとって山道はフェリシーが思っている以上に大変なのだ。

 同じような生活を送っているはずのフェリシーはこれまで少しも疲れを見せることなく山道を駆け上っている。年齢にして十五、まだ幼さの残る小さな身体のどこにこれ程の元気が詰まっているのか修道女達は不思議だった。

 本来なら修道女達は聖女として崇められているフェリシーの周りを囲みながら歩かなければいけないのだが、山登りとなると話は別になってくる。フェリシーと同じペースで山を登っていては修道女達の体力がもたない。


「みんなも早く来て~。目的地まで後少しだよー」


 フェリシーの声が周辺の山々に反響して返ってくる。フェリシーは耳を澄まして聞き終えると、上ってくる修道女達に向かって太陽の輝きにも負けないような可愛らしい笑顔で振り返った。


「みんな~! 聞いた! 今の! すごいよね~」


 そう叫んだフェリシーの声が再び反響して返ってくる。フェリシーは大声を出しては返ってくる自分の声に大はしゃぎをしていた。修道女達は何があんなにも楽しいのだろうと疑問に思いながら重たくなり始めた足を前に踏み出す。

 先導するフェリシーの前に本日の目的地である草原が現れた。

 フェリシー自身は山頂まで登りたかったのだが、後ろの修道女達がそれだけは、と激しく反対したので仕方なく中腹の草原までのピクニックとなった。それでもフェリシーは普段、修道院で制限された生活を送らされているため外に出られるだけ満足だった。

 フェリシーは草原に足を踏み出す。

 ゆっくりと風が吹き、フェリシーの髪を撫でながら後ろに流れていった。フェリシーは髪を押さえながら草原を見渡した。


「やっぱり……」


 草原には誰の声も姿もなかった。

 フェリシー以外の人間が草原にいない。正確にいえばこのパルノン山には今、フェリシーと付き添いの修道女達以外の人間はいない。ダーティン国の法と政治の長たる教皇がパルノン山への一般者の登山を禁止したためだ。

 パルノン山は貴族たちの間で人気な狩猟場であり、普段なら貴族達は狩猟後の休憩としてこの草原で休んでいるはずなのだが、その貴族達の姿は当然ながら一人も見当たらない。

 聖女は特別な行事以外は一般の人の前に出てはならないと教皇から決められており、普段は修道院で静かに生活していなければならない。フェリシーが外へ出かけることなど半年に数回程度だ。

 それ故に今回のピクニックを行うためにフェリシーはかなり苦労した。まず普段世話をしてくれている修道女にピクニックの件を伝え、次に司祭、そして司祭からまたさらにピクニックの件を上の司教に伝えてもらい、修道女に話をしてから一ヶ月以上経ってやっと教皇から許可が下りたのだ。


「淋しいな」


 フェリシーは草原の中央まで歩くと、麓に見えるダーティン国の首都エラスムスの町並みを眺めた。パルノン山はエラスムスの南側に位置しているため、草原から真っ直ぐエラスムスの方向を見ると北側を見ることになる。エラスムスの東西、そして中央に一つずつ高い建物が見える。中央にあるのがダーティン国の政治の中心、そして教皇が住んでいるヘスティア大聖堂。東西の建物はそれぞれ教会で、主に行事などで使われることが多い東のシルギ・ド・フォラス教会、フェリシーが生活している修道院に隣接しているのが西の聖アブラフィア教会である。


「フェリシー様~。あまり遠くへ行ってはいけませんよ」


 フェリシーが後ろを振り返ると修道女たちが草原に到着していた。遠くといってもフェリシーと修道女達の距離は十メートルほどである。人や物が多い街中ならいざ知らず、この広く誰もいない草原では大した距離ではない。

 フェリシーは心配性だなっと軽くため息をつく。


(少し困らせてみようかな)


 フェリシーに少し悪戯心が芽生えた。今ここで自分が林に向かって駆け出せば修道女達はいったいどうするだろう、叫び声を上げながら追いかけてくるだろうかっとフェリシーは自分の後を必死な顔で追いかけてくる修道女達の姿を思い浮かべる。


(結構おもしろいかも……)


 次の瞬間、フェリシーは手招きをしている修道女達に向かってにっこり微笑むと右の林に向かって走り出した。

 突然のフェリシーの行動に修道女達は身動きができなかった。


「フェリシー様っ!!」


 いち早く正気に戻った一人の修道女が駆けだすと修道女も慌ててフェリシーの後を追って走り出した。

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