第6話 本当にかわいそうなのは、それを、平気で言えることなのかもね。
なかなか絶妙なことを言い出す母親、なのだった。
「…母さん?かわいそうの意味が、良くわからなくなってきたよ」
「ヒビキも、学者ねえ」
「何だよ、それ?」
「学者は、本の角で、ターゲットを、ボコボコにするものなのよ?」
「母さん?何、言ってんの?」
「母さん、疲れちゃったのよ」
「おい、おい。何を、かわいそうなことを言っているんだよ」
「かわいそうよ、ね…。今どきの若い学校の先生なんかを見れば、わかるでしょう?児童生徒の将来が、どう、傷付けられていくことか。かわいそうに。その子たちが成長したときは、どうなっちゃうのかしら?また、新しい社会のひずみができそうだもの」
「…」
「ねえ、ヒビキ?職業訓練っていっても、学校が係わるんでしょう?厚生労働省が、係わるんでしょう?あの、厚生労働省なのよ?あなたに何かがあったら、母さんは、どうしたら良いの?」
「でもさ…。母さん?」
「騙されちゃ、ダメ!あの国家公務員が係わるのなら、いつか良い日がくるからがんばりましょうって言われるだろうけれど…。あの人たち、特に、おじさんたちは、努力が生きた社会に生まれたたから、そう言えただけなのよ?」
「…」
「どう努力をしてもつぶされることは、あるんだから。就職氷河期の前期を生きたお母さんたちを見ていれば、わかったはずよ?」
「…母さん」
「…ヒビキ?ごめんね。そういう言い方は、良くないよね?」
「…」
「…」
「母さん?」
「ごめん」
「…俺は、その就職氷河期の、末期生だ」
「ごめんね」
「親子そろって、つらいよなあ」
「…」
「今度は、母さんのほうが、黙っちゃうのかよ?」
「…かわいそうよね?」
「母さん、何が?」
「今の新型ウイルス社会では、今どき世代の子たちがかわいそうだねって、思えたでしょう?」
「…みたいだね」
「でも、本当にかわいそうなのは、平気で言えること自体よ」
「そっか…」
母親は、かわいそうの代表格に、定年退職世代のおじさんたちをあげた。
おじさんたちは、当然のように、今の若い世代の子たちがかわいそうだと、へらへらと言っていたものだ。
かわいそうかわいそうの言葉が、なぜ、当然のように吐かれてしまうのか?
母親は、それには、少なくとも3点の理由があるような気がするのよねと言っていた。
1. おじさんたちの、保身のため。
あなたはかわいそうだねという言葉を吐くことで、おじさんたちは、俺たちは若い人たちにも気を遣っているよ、心配しているんだよということを、アピールしたかったから。
ただし、本音では、心配していない。自分たちが良ければ、それで良いのだから。
2. 自分たちの優位性を確認したいため。
定年退職世代のおじさんというのは、勝ち負け思想で生きているので、若い世代に比べて俺たちは勝ったと感じられなければ、気が済まなかったため。だから、この言葉を吐いて、我々は勝った、強く尊敬されるべきだろうと、言いたかった。
3. 若い世代をこき使う口実を、作るため。
学校にいけない若い世代の気持ちを考えれば、良くわかるという。定年退職世代のおじさんたちは、各家庭で、当然のように嘆く。
「修学旅行にいけなかった辛さを、俺が、救済してやるよ。ほら、ほら。俺たちに、茶を淹れろ。外国産の、茶葉だ。外国にいけた気分になれるんじゃないのか?ははは」
こうして、若い世代に優しくしてやったと見せかけて、貸し借り関係を作り、優位に立ちたかったのだそうだ。若い世代が入社してきたら、あのとき優しくしてやったじゃないかということで、奉仕させる。
定年退職世代のおじさんたちによる心のコントロールは、醜かった。
母親は、攻め続けた。
「…お母さんの考えも、あながち、間違っていないんじゃないのかしら?お前ら若い世代は、かわいそうだよな。卒業式が無くなって、歌も、歌えなかったんだよな?じゃあ、俺たちと、歌うか?若い世代が気の毒だものなあ。歌ってやるよ…おじさんたちって、そう若い世代に声がけして、心理的優位に立ちたかったんじゃないのかしら?」
いやらしい説が、披露されたものだ。
もちろん、若い世代は、嫌がった。
若い世代は、デリケートだ。新型ウイルスによる感染もそうだが、何よりも、定年退職世代のおじさんたちと触れあって汚れたくはなかったためだろう。
若い世代にとっては、心の感染のほうが嫌なのだ。
困ったことだ。
「今どきの若い奴らっていうのは、他人の気持ちが読めないんだよな」
定年退職世代のおじさんたちは、都合の良い合い言葉のように解釈して、言ってきたものだ。
「…うざいなあ。テレポしてほしいよな」
どっちも、どっちだ。
「でもね、ヒビキ?」
「何だよ、母さん?」
「そう言う定年退職世代のおじさんたちだって、同じようなものだったわよね?」
ほら。
どちらの世代も、静かな戦い。
昼間の母親の声は、鋭かった。
社会というものは、想像以上に、残念で残酷なものなのかもしれなかった。
「こういう残酷状況は、駄菓子屋に似ていたよな。子どもの頃にいった、駄菓子屋でのことを、思い出しちゃうよな」
ヒビキにとっては、駄菓子屋での体験は、今の社会生活にも通じる、心を読む試練のようなものだった。
「この駄菓子、美味しいよ?」
そう言われても、いわれた人にとって、それが本当に美味しいものであったのかは、わからず。
「こういうものを、買いなさいね?」
親はそう言うが、それって、親の視点での選択にすぎなかったのではないか。
そこに、子どもの気持ちは、それだけ、入っていただろうか?今どきの若い世代の気持ちが読めず、君たちはかわいそうだとか、そのうちに絶対良いことがあるからさと、呑気に言えた人たちのよう。あの、おじさんたちのようではなかったのか?
「この駄菓子じゃなければ、いけないの?どうして?それって、大人の視点でしょう?僕たち子どもの視点も、考えてよ!」
多様な社会のあり方を思い出さずには、いられなかった。
駄菓子屋では、神である、店のばあさまたちとの戦いに努力して勝てないと、他人に言われるがままの駄菓子をつかまされることになるわけだ。こうして、自分自身の意思をもてずに成長させられた子どもが、どうなっていくのか…。
それは、定年退職世代のおじさんたちを見れば、良くわかるというわけだ。
「誰かに何かをしてもらうことが当然と考えることで、成長していく人間性、か…。恐ろしい話、だな。今の若い世代の子たちが、どうして、かわいそうだっていうんだろうなあ?自分自身の力で努力しても泣かされちゃった世代のほうが、よほど、かわいそうじゃないか。俺の母さんなんか、特にな…。就職氷河期に入った頃に、大学を出ちゃったみたいだもんな」
そこまで言って、アッと、口を閉じた。
「…しまった。俺は、また、迷ってしまっていたみたいだな。完全に、迷ったな。ここは、どこなんだ?だから夜道は、怖いんだ。俺の方向音痴は、どうして、こうも作用するんだよ」
駄菓子ということなら、先日、電話で母親と話した際に、駄菓子についての話が出た。
「ヒビキったら、駄菓子の話が、好きなのねえ?」
「駄菓子は、良い。好きだなあ。好きなんだから、仕方ない」
「そっか」
「母さん?人は、なぜ、走らなければならないんだろうなあ?参っちゃうよ。どう考えても、それは…」
そのとき母親は、そこまで言いかけたヒビキを、けん制。
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