第19話 殺し屋×花

 殺し屋にとって死は日常である。

 殺すことも、もしかしたら、殺されることも。

「葬式をする。小鳩、お前も来い」

 鴉は淡々と言った。苦しみや悲しみを無表情のマスクで覆っていた。無理もない。彼女が手をかけていた殺し屋が死んだのだ。

「そう」

 星街小鳩は、アイスコーヒーをスプーンでかき混ぜる。底の方に溜まっていたミルクが均一に混じりあい、やがて白も黒も消えて泥のような液体が残った。

「店長、俺に何か手伝えることはありますか」

 進藤歩の気を利かした発言も、鴉にとってはいらぬ気遣いだった。ハエを払うように大きく手を振って否定する。

「お前は来るな。……身内だけでやりたい」


「花を選んで」

「はぁ?」

 車内で言われたのは、そんな不可解な話だ。葬式の花と言えば菊ぐらいしか思いつかない。そもそも、そんな話は花屋にでも聞けばいい。

「あの子の棺に入れるの。皆それぞれ持ち寄るんだって。……あの子お花好きだったから」

 殺された女の子の名前は、蜂鳥というらしい。はちどり、という名前の熱帯林に住む生き物で、細いくちばしで花の蜜を吸う。花が好きというのも納得の話だ。

「俺が選んでいいのか?」

「こうしないと歩がかわいそうだし」

「俺が?」

「仲間外れにされてショックだったんでしょ。これくらいさせてあげる」

 中々痛い所を突かれた。身内だけでやる、と言われたときに疎外感を感じたのは事実だ。彼と殺し屋は相容れぬ存在である、ということを改めて感じさせられたのだ。

「それに、私、花に興味ないの。そんな私が選んでもあの子は喜ばないから。その無駄に良い頭を使って私の代わりに考えてよ、先生」

「先生と呼ぶんじゃない。だいたい、俺はあの子について何も知らん。もうちょい情報をくれ」

 唯一知っていることといえば、死に際の彼女の顔だ。鴉から連絡を受け、二人が助けにいったときにはもう手遅れだった。胸から大量の血を流し、パクパク動く口の端に血の泡ができていた。歩たちは彼女の体が冷たくなっていくのを見守ることしかできなかった。

「しょうがないな。一度しか話さないから、しっかり聞くように」

 こうして小鳩先生による授業が始まった。


 私が蜂鳥にあったのは、鴉で仕事を始めたばかりのときだった。

 彼女は鴉の元で二年働いてたんだけど、出会った瞬間思ったんだ。

 あ、この子、才能無いな、って。

「お前と比べれば、誰だってそうだろ」

 そういう意味じゃない。蜂鳥は、銃の使い方すら覚えられないの。殺す直前になって私に電話で聞いてきて、丁寧に教えたら弾を忘れていたなんてことも、何度もあった。しょうがないからお風呂場からカミソリ持ってきて、それで首筋を何度も切りつけて殺したの。

「普通は抵抗されそうなものだが」

 でも、そこで蜂鳥の才能が活かされるわけ。

 あの子は、誰かと寝る天才だったんだ。

「寝る、って」

 学校の先生みたいにお上品にしなくていいよ。セックスくらい私も知ってるから。とにかく、あの子と一発やった人は皆ぐっすり眠るの。揺すっても起きない位ね。だから、彼女でも簡単に殺せたわけ。

 これくらい聞いたら選べそう?

「殺し方を聞いても花なんて選べん」

 もう。ワガママなんだから。

 じゃあ、今度はそっちから質問してよ。

「うーん、お前にとって、蜂鳥はどんな存在だったんだ?」

 一言で言うと、ウザかった。

「お前なぁ」

 うるさい。だって、事実なんだもん。何も用事ないのに声かけてくるし、勉強できない癖に教えようとするし。あの子、高校に行ってる癖に分数の計算ができないんだよ?結局、全部鴉か歩に教えてもらったし。他にも買い物に付き合わされたり、スタバの新作が出るたびに連れていかれて。もうウンザリ。

 最悪なのが、誕生日プレゼントだった。私はあげてないし、そもそも誕生日のことなんて教えてないのに勝手に用意してきたんだ。

「貰えるなら何でも嬉しいだろ」

 それが、絶対私に似合わないプレゼントだったとしても?

 初めて見たときに嫌がらせかと思っちゃった。

「何だったんだ?」

 ヘアクリップ。突き返したよ。

 蜂鳥が付けた方が似合う、って。

「そんなに仲悪かったなら、今日はこのまま帰ろうか」

 ……私、あの子と寝たことあるんだ。

 そんな顔しないで。セックスじゃなくて、ただの添い寝。

 私、夜鷹を殺した後に、酷い寝不足になっちゃってさ。それはもう学校生活どころか、殺しもロクにできないくらい。鴉にも小言をたくさん言われた。どうせ夜更かしでもしてるんだろう、って。

 でも、実際はそうじゃなかった。寝ようとすると悪いことばかり考えちゃって、一時間も寝れなかったんだ。

「悪いこと?」

 殺すとか、殺されるとか、そんな感じ。詳しく聞きたいならそれでもいいよ。話し終わった後で歩を殺すけどね。

「結構だ。話を続けて」

 叱られていた私を見かねて、蜂鳥が言ったの。

『私と寝てみない?そしたら小鳩ちゃんもぐっすり眠れるかも!』

 私は嫌だった。でも、鴉が許してくれなかった。しょうがなく、私あの子に添い寝してもらったんだ。

「どうだったんだ?」

 それはもうぐっすり。その日から寝不足に悩まされることもなくなったの。……あんまり認めたくは無かったけど、蜂鳥は天才だった。人を眠らせる、ね。

 タオルケットにくるまりながら色々話をしたの。

 あの子、父親と寝たことがあるんだって。

 歩はこういう話嫌いだよね。でも、あの子はそんなの全然気にしてなかった。会社とか家庭のことで苦しんでいたお父さんを救ってあげたかったんだって。

 ぐっすり眠れるように。

「どうなった?」

 そんな関係が上手くいくわけないじゃん。母親に見つかって家庭はバラバラ。襲ってきた母親を突飛ばしたら死んじゃったらしい。そこから殺し屋になるまではすぐだった。

 私が眠りに落ちる直前に、あの子は言った。

『ずっと寝たままでいられるなら、良いのにね』

 私は言ってあげた。

だったら、眠ってるときに殺してあげようか、って。

あの子は首を横に振って言った。

『今日はいいや。明日、おはようを言いたい人がいるの』

 どうしたの?

「俺に花を選ばせる理由がわかったよ」

 言ってみて。

「お前、あの子に負い目を感じてるんだな」

 ……正解。私があの子に何かしてあげる資格なんてないもん。

「どうしてそう思う?」

 だって、私は、死ぬときにぼんやり眺めてるだけだった。そばに駆け寄って手をとってあげることも、涙を流してあげることもできなかった。あんなに優しくしてくれたのに、抱きしめて私が眠れるまで待ってくれたのに。私の心は冷たい殺し屋のままで、あの子が死ぬのをずっと観察しているだけだった。

 私は心の底まで殺し屋なの。殺し屋が死を悲しむと思う?

 だから、私は花なんて選べない。

「決めたよ。あの花にしよう」


「何でこの花にしたの?」

 後部座席の彼女が抱えていたのは、一輪のひまわりだった。

 歩はカーナビを確かめた。葬式の会場まではあと五分ほどで着く。

「ギリシャ神話にこんな話がある」

 彼は古い物語を語り始めた。

 水の精、クリュティエは、太陽神であるアポロンの恋人だった。

ある日、アポロンはレウコトエという別の乙女に恋してしまう。嫉妬に狂ったクリュティエはレウコトエの父親にウソをついて、レウコトエを生き埋めにさせた。

 クリュティエはアポロンが自分の元に戻ってくると思っていたが、アポロンは戻らなかった。クリュティエはずっと遠くにいる太陽を見つめていた。朝から晩までずっと。

 いつしか彼女はひまわりに姿を変え、今も太陽を追いかけている。

「つまり、何が言いたいの?」

 彼は片手をハンドルから離した。恐る恐る彼女に近づけ、その頭をなでる。

「小鳩、お前は冷たい子じゃないよ。それは俺が良く知っている。だから、ずっと彼女のことを見つめていたんだ。……あの子のことを忘れないように、あの子の輝きを胸に留めるために。クリュティエがアポロンにしたように、な。間違いなくお前はあの子のことが好きだったんだよ」

 小鳩の言う言葉にはとげがあったが、言葉の端々に蜂鳥への好意を感じていた。でも、彼女はそれを素直に認められなかった。殺し屋だから、と言い訳して自分の気持ちを誤魔化している。

 殺し屋だからといって自分の心まで殺す必要はないのに。

 歩は近くの駐車場に車を停める。

「自分を冷たい奴だなんて言うな。確かに、お前は不器用で、上手く好意を表現できない子かもしれない。泣いたり、手を握ったりできないかもしれない。でも、これだけは言える。お前は優しい子だよ。ほら、ひまわりはピッタリだろ。あの子が好きだったお前に似ている」

「……酷い奴だね」

「誰のことを言ってる。クリュティエ、アポロン、それともレウコトエの父親のことか?」

「私が指しているのは、進藤歩って奴」

 彼女は車のドアを開けた。

「でも、一応言っとく。……ありがと」


 葬式のとき、隣の鴉が言った。

「小鳩、手を出せ」

 言われた通りに掌を差し出すと、鴉はヘアクリップを置いた。

 それはかって小鳩が突き返したものだった。

「貰えないよ。こんなの、私には似合わない」

「蜂鳥の最後の願いだ。お前にこそ相応しい、と言っていた」

 ひまわりを模したヘアクリップ。

 胸が苦しくなりそうなほど明るい色をしている。

「……小鳩?」

 ひまわりの髪飾りが、一滴の雨に濡れた。

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