第15話 殺し屋×ハート

 彼女が誰かのハートをつかんだ。

 決して心臓の話をしているわけではない。

 星街小鳩は、ハートのシールが付いた便せんを手にしていた。

「これ、どう思う?」

 ハンドルを右に切りながら、進藤歩は言った。

「……ラブレターだな」

「そういう意味じゃない。下駄箱に入っていたこれを、どうすればいいか聞いてるの」

 ノロノロと走る前の車に歩は舌打ちをした。

「とりあえず中身を見たらどうだ?」

 あまりにも雑な扱いに、助手席の彼女は頬を膨らませた。ポケットからスマホを取り出す。

 音声入力でスマホに語りかける。「一番苦しい死に方」

「グーグルを困らせるな」

「おっさん、殺し方、社会的に」

「本当にやめろ」

 音声入力を脅迫に使えるのは彼女くらいだろう。

 星街小鳩は殺し屋である。最悪の殺し屋である夜鷹を殺し、最強の殺し屋になった。ただし、彼女は十五歳。

 人の殺し方を知っているのに、ラブレターの返し方を知らない。

「とりあえず、開けないことには始まらん。読んでみよう」

 歩の正論に、彼女はスマホをしまう。ハートのシールを破き、中に入っている手紙を取り出した。恐る恐る二つ折りになっている手紙を開くと、その中身を音読し始めた。

「星街小鳩さんへ。これを渡すべきか悩みましたが、今年で一緒にいられるのが最後だと思って、正直な気持ちを伝えます。どうか笑わないでください、あなたのことが好きです」

 歩は信号が青に変わるのを待ちながら、彼女の朗読に耳を傾ける。「国語の時間の朗読が好き。プールの後の濡れた髪が、日差しを反射するのが好き。数学の時間の、ノートの落書きが好き」

 確かに彼女の朗読は綺麗だった。淡々としているが、言葉の一つ一つを、ゆっくり意味を噛みしめながら読んでいく。

「あなたは私のことなんか見ていないでしょう。あなたの瞳はいつもどこか遠くを見ている気がします。昼間に星を探しているみたい。そう思うと胸が苦しくなります。あなたは見えないものを必死に探していて、どうやら私は星じゃないみたいだから」

 中々ロマンチックな文章だったが、歩が口を挟む余地はなかった。

「でも、もし私のことを探してくれるなら。明日の放課後、学校の校門近くで待っています。……あなたのファンより、だって」

「それで、お前はどう思うんだ?」

「興味ない」

「興味ない、ねぇ……」

 確かに彼女はいつものように仏頂面をしていた。しかし、落ち着かないようにそわそわと全身を動かしている。自分の感情の正体を知らないのだ。それへの対処法も。

「とりあえず行ってみたらどうだ」

「どうせ断るなら会わないほうがマシじゃない?」

「断るだけが選択肢じゃないだろ」

「……馬鹿ね。殺し屋の恋愛がうまくいくわけないじゃない」

 彼女はぼそりと呟いた。「ほんと馬鹿」


 なぜか当日は歩も一緒に行くことになった。一緒に校門前で待ち合わせるというプランを小鳩は提案したが、歩は断った。校門前に不審者がいると通報されて、社会的に死んでしまうからだ。

 いくつかの意見と刃物と脅迫を交え、彼は校門前近くの道路に車を停め、彼女を待つことにした。これなら送迎中の保護者だとごまかせるだろう。

 一足先に手紙の主が現れた。挙動不審な動きから一発で分かった。

 小鳩の同級生にしては背が低く、丸メガネをかけている。きょろきょろ辺りを見渡すたびに二本のおさげが揺れる。模範的な丈をしたスカートの裾が生き物みたいに動いた。

 手紙を差し出したのはそんな愛らしい少女だった。

 彼女は思い切り息を吸い、少しずつ吐き出した。どんな言葉を伝えようか、試行錯誤を繰り返しているようだ。

「美玖、さん?」

「わあっ!」

 彼女の準備は星街小鳩の登場によって一発で水泡に帰した。あわあわ慌てる彼女に、小鳩は困惑している。あの小鳩が困っている姿を見るのは、中々面白いものだ。傍観者の歩はそう思う。

「もしかして、手紙をくれたのって」

「……私です」

 美玖と呼ばれた少女は辺りを見渡した。周りに誰もいないことを確認すると、意を決したのか、彼女は思い切り息を吐く。なぜか見ている歩の方がドキドキしてしまう。

 とうとう彼女は言った。

「あなたのことが好きです。付き合ってください」

「無理」

 即答。断られるのは覚悟していてもここまであっさりと振られるとは思っていなかったのだろう。美玖は固まり、小鳩のことを見上げている。

「付き合ってくだ」

「ダメ」

 まだ実感がわかないのか、再度挑戦しようとする。それも言葉の途中で断られてしまう。

「……そうだよね」

 美玖は丸メガネを外した。薄くニキビが浮いた目元に流れる涙を拭う。彼女は必死に我慢しようとしたが、次から次へと涙がこぼれていく。

「私、細川さんがあなたをイジメるのを止められなかった。学級委員長なのに、あなたのことが好きなのに。止められなかった。私もイジメられる、そう思ったら怖くて……」

 彼女が泣くのを小鳩はただ見つめているだけだった。

「……最低だよね。好きになってごめん。こんな私でごめん。それだけ言いたかったの。さよなら」

 そう言ってその場を離れようとする彼女の腕が掴まれた。

 小鳩はそのまま泣いている美玖を抱きしめる。

「許す」

 小鳩はそう言った。

「美玖の弱さを許すよ」

「う」

「う?」

「うわああああああああぁあんん」

 結局、彼女が泣き止むには三十分以上かかった。さすがに想定外の事態に、慌てて小鳩は校門前を離れ、人気の少ない場所にまで美玖を連れて行った。

「落ち着いた?」

 小鳩は疲れた表情で訊いた。コミュ力の無い彼女にとっては不測の事態の連続で、人殺しよりもよっぽど疲れる事態だったろう。

 美玖はこくりと頷く。

「私、あなたが思うほど綺麗じゃないよ。星だって探してない」

「ごめんなさい」

「謝らないで」

「ごめん。……あっ」

 小鳩はうすく笑った。

「私、殺し屋なんだ」

「……え?」

 遠くから聞いていた歩が座席から腰を浮かせた。美玖も目の前の少女の言葉に戸惑っていた。

 小鳩は美玖の頬を撫でる。彼女の細い指が美玖の涙を拭った。

「人をたくさん傷つけてる。細川さんもぶん殴ったし、今も美玖を傷つけた。人を好きになる資格なんて私には無いの」

「そんな、こと、ないです」

 気弱な少女が勇気を振り絞った。握られた拳を掲げる。

「そんなことを決める資格なんて誰にもありません」

「かもね。そうだとしても、私はそう思える自信が無い。私も美玖と同じ、臆病なの。一歩を踏み出す勇気がないの。だから、この話はここでおしまい」

 小鳩は右手を美玖に差し伸べた。

「でも、今日くらいは一緒に帰ろうか」

 美玖は迷いながら小鳩の手を握った。二人は互いの手を握りしめ、離れないように寄り添って歩く。

 歩はその後姿を見送った。角を曲がって、二人の姿が見えなくなってから、ライターをつける。

 煙草の煙が車内に一筋昇った。

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