第14話 殺し屋×学校

星街小鳩は殺し屋である。最悪の殺し屋である夜鷹を殺し、最強の殺し屋になった。

 ただし、彼女は十五歳。学校で喧嘩だってする。

 進藤歩は学校から電話があったときもそう軽く考えていた。誰かが彼女をからかい、彼女が小さな反撃をしたのだろう、と。

 ただ、喫茶店にいた鴉の表情は暗いものだった。

「別に殺したわけじゃないですし」

 鴉は首を横に振った。

「そんな簡単なものじゃない。私はあいつと約束した。三つの場合を除き、決して人を傷つけ殺すな、と。仕事のとき、自分の命や財産が危うくなったとき、あとお前だ。それを破ったとき、……私は星街小鳩を殺す」

 殺す。この業界ではありふれた言葉だが、歩の背に冷たいものが走った。最強の殺し屋とその次点が争う。そこにかかるのは個人の命だけではない。街に住む全員の命が危ない。

「ただクラスメートを殴っただけで?」

「お前も元教師ならわかるだろう?教育とは呪いなんだ。夜鷹の教えを受け継いだあいつは、第二の夜鷹になるかもしれない。……学校にはお前がいけ。あいつが約束を破ったとき、私に連絡しろ」

 歩に拒否権は無い。あくまで彼の雇い主は鴉である。

 店を出ようとした歩の背に、鴉は静かに語りかける。

「あれが鳩だと本当に思っているのか?」


 学校の中に入るのは、久しぶりのことだった。五年も前の話だ。いくつかの思い出が頭をよぎり、来た時と同じように光速で消えていく。

 客用の下駄箱に靴を入れ、すりきれたスリッパを取り出す。ダンジョンのように複雑な学校内を探索し、ようやく二階へ続く階段を見つけた。

 階段を昇って右手の方向に、彼にとって馴染み深い場所があった。

 学生時代によく連れていかれ、教師時代によく生徒を連行した。

 職員室で、小鳩は待機していた。隣にいる教師の叱責を気にすることもなく、窓の外から廊下を観察している。彼女の視線と、歩の視線が交錯する。

「先生、お父さん来ました」

 先生と呼ばれた若い女性は立ち上がり、扉の側に立っている歩につかつかと歩み寄った。

「大変ご迷惑をおかけしました、小鳩の父親の歩です。」

「小鳩さんの担任をしています、真崎です。本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございました。小鳩さんの普段の様子や家での躾、教育方針についてお尋ねしたいと思っています」

 言葉は丁寧だが、まくしたてるような早口には怒りがこもっていた。彼に一言も喋らせる猶予を与えさせず、自分の言葉を押し付ける。

「こちらの部屋でお話を」

 職員室と繋がっている相談室に通される。二人が座ると、真崎は出席簿を机に置いた。その乱暴な置き方は、叩きつけたという方が近いが。

「まず、状況をお話します。小鳩さんは、四時間目と五時間目の間の休憩時間に細川さんを殴りました。たまたま教室を横切った教師が止めるまで、小鳩さんは六回殴りました」

 小鳩が真崎の話を遮った。「違うよ。先生、殴ったのは七回」

 真崎の手が強く机を叩いた。睨みつける先は、平気な顔をしている小鳩ではなく、その保護者である歩の方だ。

「この調子です。あまり家庭の事情に口を挟む気はありませんが、お家での教育方針に問題があるのだと、私は考えております。最近は学校にも来ませんし、来たらこの有様です」

 学校に来ていないというのは初耳だった。横を見ても小鳩はいつもの無表情。もちろん、歩が小鳩に訊く時間を真崎は設けてくれない。

「悪いことをしたときは、ちゃんと反省させていますか?」

「家でちゃんと伝えます。大変申し訳ありませんでした」

「そんな言葉を聞きたいんじゃありません。殴られた細川さんは許すと言ってますが、私は許しません。再発防止を防ぐために、彼女にしっかりと反省してほしいんです」

「その、細川さんは、今どこに?」

「家に帰らせました。許すとは言ってても、やっぱりまだ小鳩さんのことを怖がっているみたいです」

 細川さんに同情する気持ちはあったが、詳しい状況を知りたいという気持ちの方が強い。

 小鳩が人を傷つけてもいいときは、三つ。

 仕事のとき、自分の財産や命が危険を守るとき、それと進藤歩だ。

 三番目は論外だし、鴉の様子からして仕事の可能性は無い。

 もっともありえそうなのは二番目だが、被害を受けた女生徒が殺し屋の可能性は低い。

 もし、彼女が殺し屋であれば、小鳩は確実に命を奪っただろう。

 とはいえ、細川さんが先に喧嘩を吹っかけて来た可能性だってある。情報が必要だ。結論を出すにも、結論を先延ばしにするにも。

「その、細川さんと、小鳩は仲が悪かったんですか?」

 新人教師は冷たい視線で彼の質問に応じた。

「あの子はとても良い子です。クラスの友達が少ない子に積極的に声をかけてくれますし、美化委員の仕事だってしっかりとやってくれます。クラスのリーダー的な存在で、不登校になった子のために、皆に呼びかけて色紙を作ったのも彼女です。小鳩さんにだって声をかけていました。……私の授業もしっかり聞いてくれます」

 熱がこもったその声は、それだけ思い入れがある生徒であることの証明でもある。話を聞く限りでは、彼女と小鳩が争いになるとは思えない。

 考え事にふける歩の横で、ふてくされている小鳩が言った。

「他の皆が授業を聞かないのは、先生の授業がつまんないからだよ」

 頬を叩く音が相談室の中に響いた。小鳩の頬が赤く染まっている。真崎は慌てて叩いた手を引っ込めるが、もう手遅れだ。

真崎が次に言ったのは謝罪の言葉ではなかった。自分は悪くない、そう目の前の保護者に釈明する。それも冷静さを欠いた支離滅裂な言葉だった。

「わ、私はちゃんと授業してます!それなのに、この子は授業中寝てばかりで、私の話をちっとも聞かないから。普通の子はちゃんと私の授業を聞いてくれるんです。こ、この子が、おかしいから」

歩は次起きる惨劇を予見して震えた。真崎は知らないだろうが、今頬を叩いた子は殺し屋で、彼女の殺人の条件を満たしてしまったのだった。

「小鳩、落ち着いて」

 横の小鳩を盗み見る。見なければよかった、と後悔した。

 小鳩は間違いなく、キレていた。

「……普通、って何?」

 今度は小さく呟いた言葉が、相談室に響いた。

「あんたみたいに自分が悪くないって言い張ること?誰かを傷つけてヘラヘラ笑うこと?学校に行くのが怖くなって、家に閉じこもること?普通を押し付けて、普通に生きれない私を殴ること?」

 真崎は言葉を失っていた。小鳩が強く主張するのを初めて聞いたのだろう。それは涙を流さない号泣だった。声を張らない絶叫だった。彼女は静かに、全部の怒りを小さな言葉に込めていた。

「普通が、そんなに、偉いの?」

 歩は教師時代の気持ちに立ち返った。

 子供の言葉を信じてはいけない。子供は残酷で、利己的で、平気で嘘をつく。それでも、子供を信用するべきだ。

 どんな形であれ、彼らは一生懸命生きている。上手な生き方を知らずに、もがいている。自分の最善を尽くしているのだから。

 歩は、やっと小鳩のことを少しだけ理解できた。

 言う。今回の事件の発端を。

「もしかして、この子、いじめられてませんでしたか」

 真崎は顔をしかめた。

「いい加減にしてください。いくら自分の子が可愛いからって」

『これ、捨てちゃおうよ。汚いし』

 録音された声に、真崎が目を見開いた。小鳩が持つスマホに流れる映像には、女の子が誰かのシャープペンシルをゴミ箱に捨てようとした。そのシャープペンシルに歩は見おぼえがあった。

 小鳩のお気に入りのシャープペンシルである。

 彼女は約束を破っていなかった。確かに、彼女の財産が危機にさらされ、それに対して彼女は手を出したのだ。

 あまりのショックに顔が固まっている真崎に、小鳩は言った。

「他の先生に相談しに行けば?」

 真崎は立ち上がり、二人をおいて職員室にかけこんだ。


 どうやら発端は、真崎の担当するクラスが学級崩壊を起こしていたところにあるらしい。悩んでいた真崎に、唯一優しくしてくれたのが細川さんであり、真崎は彼女を何かと特別視するようになった。

 彼女は思ったようだ。自分は何をしても疑われない、と。こうして表で優等生のふりをして、裏で色々悪さをしていたわけだ。クラスの目立たない子をイジメて、不登校になったその子の色紙を作る。そんな悪事をしていたのである。

 そして次に標的にしたのが小鳩だったわけだ。

「別にどうでもよかったの。何を言われても、何をされても。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ嫌な気持ちだったから、学校をサボったけどね」

 それでも、悪口とかちょっとしたちょっかいなら手を出せば約束を破ることになる。自分のシャープペンシルを捨てられ、小鳩はチャンスだと思ったらしい。

 彼女は気持ちよく七発ぶん殴った。もちろん、相当の手加減はしたが。いじめっ子は慌て、大事にならないように抑えようとした。深く掘り下げられれば、自分の悪事がバレる危険性が高い。

 しかし、真崎は怒りのあまり、小鳩と歩を呼び出した。皮肉なことに特別視されていたことが裏目になったわけだ。

「それにしても殺し屋をイジメるとは、命知らずにもほどがあるな」

「イジメっ子の気持ちなんて知らないよ」

「何で隠してたんだ?」

 初めから小鳩がその理由を言っていたらここまでの大事にはならなかっただろう。

 小鳩は歩より数歩先を進んでいた。裏門への階段を一段飛ばしで駆け上がり、頂上に立った時に彼女は言った。

「気が付いて欲しかったの」

 彼女の小さな背中が遠くだとより小さく見えた。

「私、殺し屋だけどいじめっ子じゃないよ。誰でも傷つけたいわけじゃない。誰でも殺したいわけじゃない」

 彼女は振り返り歩の方を見た。

「私が殺したいのは歩だけ」

 小鳩は歩に銃を向けた。親指と人差し指で作った銃だ。

 口の端に笑みを浮かべながら。

「ばんっ」

 彼女の口が銃声を鳴らした。

 親指の撃鉄が動く。反動で人差し指が青空を向いた。

 雲一つない綺麗な空だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る