第13話 殺し屋×いい子
男はごつい手で彼女の髪をなでた。
「小鳩、偉いぞ」
むせかえるような血潮の匂い。部屋の中は血と臓物と死体で構成されている。元人間の生ごみを産み出したのは彼女だ。優れた殺し屋だったらしいが、こうなっては火曜日に捨てる以外の用法を思いつかない。
「お前の殺しは最高だ」
彼女の師匠である夜鷹は、弟子の成長を無邪気に喜んでいた。彼の指がざらついた彼女の髪をかきわける。彼女と同じく夜鷹の手も血に汚れている。
小鳩は老婆のような咳をした。喉がカラカラで唾すら出ない。
彼女はしゃがれた声で男に訊いた。
「……私、偉い?」
夜鷹はにやりと笑う。「もちろん」
そして男はまた彼女の髪を触った。
彼女の家族を死に追いやったその手で。
家族を殺せ、と脅したその口で褒める。
「いい子だ、小鳩」
コンビニと小鳩のアパートの中間にある小さな公園にて。溶けかけのアイスを舐めながら、彼女は言った。
「煙草なんて止めなよ。死んじゃうよ」
進藤歩はこう返した。
「お前がそれを言うか?」
つい先ほど彼女に殺されそうになったばかりだ。
最悪の殺し屋、夜鷹を殺したのは彼女だ。こうして星街小鳩は最強の殺し屋になった。ただし、彼女は十五歳。
煙草を吸えるようになるのに、まだ五年も残ってる。
「煙草吸いすぎると肺が真っ黒になるんだよ」
「へー怖いな」
「周りから嫌われるし」
「ふーん」
「臭いもつく」
「ほうほう」
彼女はスカートに挟んでいた銃を突きつけた。「何か言うことは?」
「……すいませんでした」
二人は別に友達というわけじゃない。強いて言えば、草食動物とその捕食者の関係である。頭では理解しつつも、歩は反応が楽しくてついついからかってしまった。殺し屋で遊ぶなんて命知らずもいいとこだが。
「何で煙草を吸うの?体にも悪いし、お金もかかるのに」
小鳩の質問は正論である。タバコなど百害あって一利もない。
それでも、止められないのには理由がある。
「これは大人のおしゃぶりなんだ。無いと泣き出す」
「キモ。今年で何歳よ」
「三十七歳児だ。あまり馬鹿にするなよ。泣くぞ」
珍しく彼女のツボに入ったらしい。激しくせき込みながら笑う。
散々笑ってから、涙を拭いながら彼女は言う。
「……私も吸っていい?」
「煙草は二十歳になってから。法律違反です」
「殺し屋に言う?」
結局、彼女を止めることはできなかった。
彼女が口にくわえた煙草の先に、歩が火を灯した。口に入ってくる苦い味に、彼女は顔をしかめた。たまらず煙草から口を離し、口を押えてせき込んだ。
「これの、どこが、おしゃぶりなの?」
「大人の、って言ったろ。子供にはまだ早い」
小鳩は口を尖らせた。「人を殺したこともない癖に」
「殺しでマウントを取るな。ほら、ここに捨てろ」
差し出された携帯灰皿を小鳩は拒否した。再び煙草に口をつけ、恐る恐る煙を吸っていく。最初は少なく、徐々に肺に入れる量をふやしていく。今度はむせずに吸うことができていた。
「どうだ?」
「マズい。雑草の味がする」
そう言いながらも煙を吸い続ける。
「……私って悪い子かな」
小鳩はかっこつけて煙を吐き出した。煙が足元を漂う。
「だろうな」
彼女はにっこりと笑った。どこか寂し気な笑みで。
「そっか」
三年前、夜鷹を殺した小鳩を鴉は温かく迎え入れた。鴉が経営する喫茶店で、小鳩はタールのように濃いコーヒーをなめるように飲んでいた。
「興味深いな。鳩が鷹を殺した、とは」
小鳩は何も言わずに、苦いコーヒーを舐め続けた。熱くてのめないそれを無理やり口の中に入れる。飲み込んだコーヒーの熱が食堂から胃へ移動していくのがわかった。
「これからどうするつもりだ?」
「どうしようかな。いまさら、良い子になんてなれないし」
「確かに、普通ならお前は悪い子だろう」
鴉は手を差し伸べた。
「しかし、殺し屋としてお前以上に良い子はいないよ」
「……私、良い子?」
鴉は満面の笑みで応えた。
「もちろん」
殺人は彼女の青春だった。全てを打ち込み、全てを投げ捨てた。殺人は彼女の全てだ。彼女は殺しの優等生、エリートである。
「良い子」と褒められるなら悪い気はしない。鴉であれ、夜鷹であれ、自分の価値を証明してくれる。
殺し屋としての価値を。
ただ、彼女は十五歳。
内心あこがれているのだ。
悪い子に。
「嬉しそうだな」
「そう見える?」
なぜなら、悪い子は自由だから。
「帰ろっか。久々に映画でも見よ?」
「勉強はどうした?」
自分の気持ちを正直に言えるはずだから。
「私、悪い子なんだ」
優等生は精一杯の噓をついた。
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