第12話 殺し屋×点P
「私と点p、どっちが大事?」
進藤歩は顎髭を撫でた。
「どちらかというと点pだな」
星街小鳩はオレンジ色のシャープペンシルを放り投げた。彼女のお気に入りのシャーペンが綺麗な放物線を描く。
「はい、やる気無くしました。全部歩のせい」
「馬鹿なこと言ってないで手を動かせ。中2の範囲だぞ」
星街小鳩は殺し屋である。最悪の殺し屋、夜鷹を殺し、最強の殺し屋になった。ただし、彼女は十五歳。八月三十一日は修羅場である。
歩も口を酸っぱくして言ったのだが、夏休み中彼女は聞く耳を持たなかった。聞いたころには手遅れだ。
殺し屋らしく全てを投げ捨てようとした彼女だったが、雇い主の鴉がキレた。
「受験生なんだから宿題くらいやれ。評定に響く」
ぐうの音も出ない正論だった。もっとも殺し屋の受験が上手くいくとは到底思えないが。
「言っておくがズルはするなよ。バレると面倒だ」
さすがに雇い主に言われたら彼女も勝てない。しぶしぶ宿題に手を付け始めた。未来予知で日記を書き、『思いました』で読書感想文の字数を稼ぎ、ウィキペディアの内容で自由研究を埋める。
最後に残ったのは数学の課題だった。
数学は彼女がもっとも嫌う教科である。
彼女は言う。理解できない、と。
「もう一回説明しようか?」
「そういうことじゃない。時間をtとするのも、グラフを書けばいいのも分かった。でも、そもそもこいつは何なの?」
理解できないのは点Pらしい。
「四角形の周りをグルグル回って何がしたいの?」
「知らん。そういう問題だ」
「あれだけ気持ちを考えろ、って言うくせに」
「点Pの気持ちって言った覚えはない」
「Kの気持ちを考えろって」
「Kは一応人間だろうが」
読書感想文で読んだ『こころ』の変な部分だけ頭に残っているようだ。もっとも彼女はあらすじの内容で用紙の半分を埋めた奴なので、そもそも読んだといえるのかも微妙である。
小鳩は課題のプリントに、黒丸を一つ書いた。
「……何してんだ?」
彼女はそれを指さす。
「これ、私。点Hね」
夜十一時を前にして彼女は現実逃避を始めていた。彼女が生徒であればいい加減にしろ、と歩は怒鳴っただろう。しかし、彼女は殺し屋であり、そもそも彼は教師ではない。
彼にできるのは、彼女が満足するのを待つことだけだ。
「これなら理解できる。こいつ、私から逃げてたんだ」
「よく逃げれたな」
「ううん、逃がさない。だから、答えはゼロ秒後だね」
突然の殺し屋の登場によって哀れな点Pはその場を一歩も動くことなく、死体と化す。近くにいた点Qもすぐに後を追った。
深夜テンションのせいか、勉強をしすぎて気がおかしくなったのか。彼女は嬉々として次々と犠牲者を生み出していく。
「遅れて家を出た妹は私に会うから、二人は二度と出会えないね」
「問三で兄貴が折り返して家に帰ってくるぞ」
「残念。答えは一家全滅」
「花子さんは白玉二つと赤玉二つを入れて」
「全部赤玉になるから答えは百パーセント」
数学的かつ倫理的にゼロ点の解答をどんどん創り出していく。
「一つの長椅子に四人の生徒が座れるんだ」
「答えは四人か?」
「残念、答えは私一人。狭いの嫌いだから」
歩は心の中で犠牲者の数を数えた。一クラスの生徒全員、二個のさいころを振る鈴木さん、赤玉と白玉の入った袋に手を突っ込む花子さん、忘れ物を届ける家族、点PとQ。白紙の課題は血まみれの殺人現場と化していた。
「……そろそろ満足したか?」
「ううん。まだ一人残ってる」
彼はプリントを眺めた。彼女以外に生存者は残っていない。
いや、厳密に言うと、この場に一人だけ残っている。
「問題。点Hが追いかけてきました。点Sさんは何をする?」
進藤歩という点が。
もちろん、それは冗談である。
しかし、忘れてはいけない。
彼女にとって殺人はそれくらい軽いものである。
「秒速aメートルで走るよ」
「逃げても無駄。逃がさない」
殺し屋とは未知数Xである。常人が理解できない存在だ。
十代の女の子は未知数Yだ。男には理解できない存在だ。
二つを組み合わせた星街小鳩は決して解けない連立方程式である。
ただ、理解する努力を放棄してはいけない。ヒントはそこかしこに転がっていて、答えは案外シンプルなものかもしれないから。
「逃げない。コンビニに行くつもりだ。お前も来るか?」
「……問2。今私が一番食べたいものは?」
「アイス。コーラ味の」
彼女は赤ペンを手に取って、男の頬に押し付ける。困惑している歩に対し、小鳩はにっこりほほ笑んだ。
「大正解。早く行こうよ」
窓ガラスに映る歩の頬には綺麗な花丸が描かれていた。
「この顔で行けと?」
「消したらダメだよ」
少女と死は一点だけ似ている。
彼には理解できない存在、という点で。
彼は思う。
だとしたら、理解できないそれらを少し楽しんでいる自分は。
きっと誰かにとっての未知数Zなのだろう。
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