第11話 殺し屋×誕生日

生まれてしまったことを後悔する日がある。深酒をした次の日、満員電車で激しい腹痛に見舞われたとき。初恋のあの人の結婚報告。寝付けない深夜に恥ずかしい過去を思い出したとき。

 そして今。

 いつものように喫茶店に呼び出された進藤歩は、人生最悪の光景に対面することになる。

 ぱん、と小さな破裂音が店内に響いた。

 クラッカーから飛び出した糸くずが彼の背広に絡まる。

「歩、誕生日おめでとう」

 笑顔の小鳩がラップに包まれた小包を彼に手渡した。

「あ、そ、そうだっけ」

「うん。今日で三十七歳だよね」

「ず、随分詳しいな」

「免許証見たんだ。こっそりね」

 気味が悪い笑みを浮かべたまま、星街小鳩はケーキの置いてある席に彼を案内する。歩でも知っているような有名店の、季節限定のモンブランケーキが彼の席に置かれていた。

「ちょ、ちょっと待て」

「あはっ、今日の歩は何か変。どうかしたの?」

 絶対に何か裏がある。彼女が素直に人を祝福するはずがない。こんな晴れやかな笑顔を浮かべるはずがない。なにしろ彼女は最悪の殺し屋、夜鷹の弟子である。

「お前、そんなキャラじゃないだろ」

「……そんなに変?」

 彼女は口を尖らせ、不満を表現する。

「大切な人の誕生日を祝っちゃダメなの?」

 確かに星街小鳩は殺し屋である。最悪の殺し屋である夜鷹を殺し、最強の殺し屋になった。しかし、彼女は十五歳。イベントには案外ノるタイプである。

 歩は自分に言い聞かせる。彼女は普通の子である。殺し屋ではあるが、ささいな言葉に傷つくか弱い少女でもあるのだ。彼女の好意を素直に受け止めてあげよう。

「小鳩、ありがとう。疑ってごめんな」

「いいの。ね、早くプレゼント開けてよ。頑張って作ったんだ」

 彼は頷いて包み紙を破く。小さく軽い箱に入っていたのは一枚の紙きれだった。

 肩たたき券だろうか、それともお手伝い券だろうか。

 そう推測した彼の希望は粉々に打ち砕かれた。

 綺麗な字でこう書かれている。

『無料殺害券』

 下に下線が引かれている。ちょうど一つ名前が書けるくらいの。

 歩は恐る恐る顔を上げた。

 小鳩はまだ笑顔だった。

 彼女は指で道行く人を指さした。

「どれにする?」

 彼女はこう言っていた。

 誰でも一人殺していい、と。

 さらにこうも言っている。

 もし、誰も殺さなければ死ぬのはお前だ。

 恐らく本当に殺すだろう。彼女の殺しを間近で見てきた彼にとって、その光景は想像に難くない。

 冗談じゃない。確かに歩は人に嫌われる生き方をしてきたし、嫌っている人間も山ほどいる。しかし、殺したいほど憎い奴などいない。

「……誰でも殺すのか?本当に誰でも?」

「うん。殺せるならどれでもいいよ。鴉でも総理大臣でもどれでも。だって、歩は誕生日で、他の人は誕生日じゃないから」

「誕生日だから人を殺すってのはおかしくないか?」

「おかしくないよ。だって、生きることって殺すことだから」

 殺し屋の声は冷たく、歩の肝を冷やす。

「そこのケーキだって歩が昨日食べた牛丼だって、命を加工したものだよ。そんなに命が大事なら、なんでご飯を食べるの?」

 命の価値が違うから。そう言いかけて歩は戸惑った。

 それは人間の価値を共有できるものにしか通じない。

 彼女にとって全ての命は平等だ。

みな平等に価値が無い。

「歩、共犯者になってよ。私と同じ悪い子に」

 歩は紙を手に取り何かを書き込んだ。ささくれだった彼の手が、紙を裏向きにして彼女の目の前に置いた。

「決めたよ。俺が一番嫌いな奴にする」

「いいね。楽しみ」

小鳩の白い指が紙片を掴む。

 裏返して見た彼女の眉間に皺が寄った。

 歩は席を立って彼女を誘う。

「殺す奴の顔を見に行こうか」


 小鳩は一つミスを犯した。

 殺害する対象を人間に限定しなかったことだ。

「そろそろターゲットが寝そうだ。寝込みを襲うならチャンスだぞ」

 夕暮れが鮮やかに街並みを彩っていた。夜に変わる直前の、魔法のように輝いた時間。

 歩はそれが憎らしくてたまらなかった。

 こんな綺麗な時間を共有したい人は死んでしまった。綺麗なものから消えていく。美しかった時間も記憶も消えてしまったのに、太陽だけは毎日のルーティンを繰り返す。日の最後に、陽の光を残して。

 消えてくれ。諦めさせてくれ。

 そんなものは初めからなかったのだ、と。

 歩は紙に、太陽と書いた。

 目だけを動かして小鳩の方を見る。

 彼女はまだ不機嫌だった。

「太陽が死ぬわけないじゃん。無効だよ、無効」

歩は肩をすくめた。「殺せるさ」

「どうやって?」

「老衰。大体五十億年後かな。気長に待とう」

 太陽が死んだとき、世界から全ての輝きが消える。残るのは氷に覆われた地表と闇だけだろう。彼はそこに小鳩がいるところを想像した。案外悪くないかもしれない。

 全ての生き物が死んだとき、小鳩は殺し屋でなくなるのだから。


「つまんない。次の誕生日覚悟してね」

 中々ない捨て台詞に、歩の口元が歪んだ。

「その前にお前の誕生日があるが」

「何するつもり?」

「何、って祝うんだよ。ケーキを買ってみんなで分ける」

「殺し屋の誕生を祝うの?」

「もちろん」

 彼女が言う通り、生きるのは殺すことかもしれない。

 しかし、そうであるならば、なおさら祝うべきだろう。

 全ての死と、一つの生に感謝を込めて。

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