第9話 殺し屋×世界平和
「あなたの願いは何?」
質問に殺し屋はにやりと笑って答えた。
「世界平和さ」
暇な時間に小鳩は思う。世界中の不運な人を上から順番に並べたら自分は何番目に来るのだろう。不運にも色々種類がある。雷にうたれた人、飛んできたゴルフボールが脳天に直撃した人、落ちてきた隕石に家を壊された人。
しかし、彼女ほどツキのない人もそうはいないだろう。
最悪の殺し屋がたまたま彼女の家に押し入った。さらに間が悪いことに、殺し屋は後継者を求めていた。
その日は彼女の八歳の誕生日。
彼女は一息でケーキのロウソクを全て消した。
二発の銃弾が彼女の両親を貫く。
夜鷹は生まれたばかりの彼女の弟を抱えていた。
言う。「喜べ。練習が三回できるぞ」
彼女は殺し屋となった。幸か不幸か、彼女には才能があった。過酷な訓練にも耐え、一年もすれば優秀な殺し屋に変わっていた。
男は彼女に名前をつけた。
小鳩。殺し屋には似つかわしくない名前だった。
ある冬の日、夜鷹は彼女を連れて遊園地に訪れた。その年には彼女は九歳になっていた。その年で、すでに彼女は両手の指では数えきれないほどの人を殺していた。
夜鷹が選んだ乗り物は観覧車だった。ゆっくりと回っていく観覧車から、夜鷹は無邪気な少年のように上からの光景を楽しんでいた。
「ほら見ろよ」
隅っこにうずくまる彼女を無理やり引き寄せる。
「あの点の一つ一つが人間だなんて信じられるか?」
「……はやくしてよ」
「ん?」
「とぼけないで!今日は誰を殺せばいいの?……早く帰りたいの」
「おいおい、俺を悪魔か何かと勘違いしてないか?今日は休みだ。これから忙しくなるからな。誰も殺さなくていいぞ」
今日は人を殺さなくていい。たった一日の休暇だとしても、その言葉は彼女には救いだった。暗く沈んだ心に一筋の光明が射す。
しかし、そのわずかな希望の光も長くは続かなかった。
「明日から、な」
明日は、ではなく、明日から。
夜鷹は冷たいガラスに指を押し付けた。
「明日から、この点を一日一つ消すんだ。誰でもいい。どんな手段を使ってもいい。簡単だろう?」
その意味が彼女にはわからなかった。理性がその内容を理解することを拒んでいた。しかし、どれだけ拒んでもつきつけられた事実を拒むことはできなかった。
つまり、彼はこう言ったのだ。
毎日誰かを殺せ。自分で選んで。
もっとも恐ろしいことは、その期限が分からないことだ。
一か月か、一年か、それとも一生か。
恐らく彼が満足するまで。
理解に至った瞬間に、少女は金属の床にひざまずいた。逆流する胃液、冬だというのに止まらない汗。顔の穴という穴から液体が漏れだし、それが涙か鼻水かわからなくなった。
「自己犠牲なんてくだらない真似はするなよ。殺すしか能のない奴は三流だ。一流の殺し屋は人がいつ死ぬかを決められる。一日迷ったら三十年の地獄がお前を待っている。そう思え」
殺した。
買物袋を抱えた女性だった。泣いている彼女を見て慰めてくれた。あなたと同じくらいの子供がいてね。そう言って彼女はチョコレートをひとかけらくれた。
殺した。
古本屋の主だった。茶色く古びた本を大事に棚にしまっていた。たまに本を取り出して、ページをめくる。突然の来客に、男はずれた老眼鏡を直した。「こんにちは、お嬢さん」
殺した。
高校生だった。定期試験嫌だなぁ、と友達に愚痴っていた。ポテトをかじり、シェイクをすする。勉強会をいつしようか相談していた。
殺した。
その日々が三年間続いた。
強いストレスを絶えずかけられた人間の末路には二種類ある。耐え切れず壊れるか、環境に適応するか。彼女は後者だった。
朝起きて、ご飯を食べ、顔を洗い、人を殺す。殺人は日常に組み込まれ、ごく自然に人を殺せるようになった。それもまた彼女の才能だった。
十二歳の誕生日のことだった。
師匠は彼女の成長に満足していた。
テーブルにはケーキと彼女が殺した合衆国大統領の首が置かれている。この日のためにずっと冷凍庫で保存していたものだ。
「聞きたいことはあるか?」
彼女はずっと胸に抱えていた質問をした。
そして、彼はその長年の疑問に終止符を打った。
「世界平和さ」
彼はまじめな顔で、そんな夢物語を言い放った。真意を測りかねて沈黙を貫く小鳩に対し、夜鷹は意気揚々と自らの計画を語り始めた。
「なぜ人は人を殺すんだと思う?金が欲しいから?腹が減ったから?違う違う違う!それは理由であって原因じゃない!馬鹿なお偉いさんには一生分からないだろうが、俺はガキの頃から知っていた!」
自分の言葉に酔う彼は、テーブルに拳を叩きつけた。
「力の差があるからだ。銃を持った奴に素手で襲い掛かる馬鹿はいない。逆はどうだ?……俺の結論はこうだ。人は銃を持ってるときに人殺しをして、素手のときに人殺しはしない。銃は色んなものに言い換えられる。財力、武力、権力、ありとあらゆる力だ。力を持ってる奴が力のない奴を殺す。この世界はそうやってできている」
「それと殺し屋に何の関係が?」
「俺たちは銃なのさ、小鳩。力のない奴の力となり、力のある奴を殺す。ここに力の不均衡は存在しない。誰もが殺される危険を抱え、ゆえに誰も人を殺さない。銃を無くした先に平和は無い。全ての人が銃を持ったときに、真の平和が訪れるんだ」
「私に、三年間、人を殺させたのは?」
「言ったろ?お前は俺の後継者になるんだ。平和の使者にな」
涙はとっくの昔に枯れていた。苦しみを吐き出すことすらできない。殺人を繰り返した果て、限界まで人間性をすり減らした結果だ。
その代わり、彼女は笑った。笑って、笑って、笑う。目の前の男のイカれた思考に笑う。それで犠牲になった自分の人生に笑う。笑っている自分がおかしくなってさらに笑い続けた。
一つだけ彼女は知っていた。
師匠と小鳩。今、『銃』を持っているのは小鳩の方だ。
二人の殺し合いは三日続いた。
あの恐ろしい殺し屋が地べたに這いつくばっていた。瞳には困惑の色が見えた。彼は最後の時まで理解できていないようだった。
「なぜ俺を殺すんだ?」
「……あのさ、夜鷹は馬鹿だから知らないかもしれないけど、人の命ってすっごい大事なんだ。尊くて、素晴らしいもの。どんな宝物だってかなわない」
人差し指に力を込めた。
「だから、お前は、死ぬべきなんだ」
矛盾だった。
世界平和のために多くの人を殺し、世界に争いをもたらした夜鷹。
命は大事と言いながら夜鷹を殺した小鳩。
彼女は思う。理由があって殺人をするわけではない。目的と結果がそもそも逆なのだ。殺人をして、それに出来損ないの理由をつけだすだけ。愛も正義も大義もない。
全ては殺したいという欲望だけ。
殺したいから殺す。それだけだ。
殺人は万人の望みだ。
人間は『銃』から逃れられない。
そして、世界で一番優れた『銃』が彼女である。
全てが退屈になった。綺麗事を言う政治家も、知った風な口を叩く評論家も、虚飾と虚栄で固めた芸能人も。自分こそが『銃』を持ちたい、そんな欲望が透けて見えた。
彼女はそんな彼らの『銃』となった。彼女に殺人は止められない。『銃』には感情も欲望も存在しないのだから。弾を込め、引き金を引く。それが彼女の世界の全てだった。
すでに笑いも枯れてしまった。世界は笑えない冗談に満ちていた。
「世界平和とか、目指してます」
『銃』を持たない男から、その一言を聞くまでは。
(私は、この人に———)
「小鳩、ついたぞ。おーい?」
彼女の掌が持ち上がる。ひんやりとした手の甲が男の頬に触れた。
「私、あなたを殺したい」
目を開き、男の方を見る。
「だから、殺されないで。頑張ってよ」
「矛盾してないか?」
「そうかな」彼女は言った。「殺意と好意って近いものじゃない?」
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