第7話 殺し屋×不機嫌

「ねぇ、何で私が怒ってるかわかる?」

 それは進藤歩が最も嫌う言葉であった。なぜ不機嫌なのかわかるならば、そもそも相手を不機嫌にさせるはずがないのだ。そんな人間に自分の心情をわかれ、というのは無理難題である。

 というよりも、せめて状況を選んで欲しい。

「それ、今じゃないとダメか?」

 叫んだ彼の頭上十センチ上を弾丸飛んでいった。壁画の貴婦人に風穴を開ける。高級ホテルの大広間は凄惨な戦場と化していた。いくつもの勢力がぶつかり合い、大理石の床に死体を並べていく。シャンデリアが割れてガラスの雨を降らす。ヘルトーキョーでも一年に一度あるかないかの大惨事である。

 殺し合いの渦中であっても星街小鳩は平然としていた。

当然だ。最悪の殺し屋、夜鷹を殺した彼女は最強の殺し屋である。恐れるものなど何もない。ただし、彼女は十五歳。一度機嫌を損なえば、回復するまで時間がいる。

「場所がそんなに大事?私の気持ちよりも?」

「いくらなんでも限度がある。さっさと逃げるぞ」

「嫌だ。汚れるし」

 さも他人事のように言う。実際、彼女にとってはどんな敵であろうと問題はない。彼女を殺すには核爆弾くらい持ってこないと話にならないだろう。

 対して、歩はただの人間である。腹筋三十回すらロクにこなせない貧弱な人間だ。駅の階段を歩くだけで息切れする男だ。風に吹かれて今にも消えそうなロウソクの灯である。唯一の命綱が小鳩なのだ。

「胸に手を当てて考えてみなよ」

 殺し屋の世話を始めて一か月。

 彼は殺し屋について一つの知見を得た。

 殺し屋はコミュ障である。

 映画では寡黙な一匹狼と描かれがちな殺し屋だが、その実情は全く違う。単に人と話すのが苦手なだけだ。

 彼らには会話の選択肢に「殺す」コマンドがある。少しでもめんどくさいと感じたら、そのコマンドを押して目の前の人間の命ごと会話を終わらせればいい。

 一般人はそうもいかない。

 頭のおかしいクレーマー。

 嫌味な上司。

 空気の読めない同僚。

 学校だって同じだ。話の通じない連中が山ほどいる。

 胸の内に殺意を秘めながら、ストレスフルな彼らとの対処法を学ぶ。それが現代社会におけるコミュニケーションである。スキップボタンを押し続けた殺し屋にコミュニケーション能力が身に着くはずもない。

 そう頭の中で文句を言っても、事態が好転するはずもない。彼は胸に手を当ててこれまでの経緯を思い出す。

 

 事の発端は自分の一か月生存祝いだった。

 店長いわく歴代で一位だそうだ。

「でしょうね」

 すでに十数回の死線を乗り越えた歩も納得の記録だ。

「私としても非常に嬉しい。このまま落ち着いてくれることを祈っているよ。核爆弾を雇うのはひやひやする」

「その核爆弾を俺は抱えて歩いてるんですがね」

 抗議は全く意味がなかった。

「苦労を労ってやろうと思ってな。特別な場所を用意した」

 手渡された食事券は、彼ですら知っている有名なホテルのレストランだった。かなりの人気店らしいが、何らかの方法で食事券を手に入れたようだ。

「ありがたくいただきますけど、なんで二枚あるんですか?」

「核爆弾の分だ。お前を殺さないよう努力した小鳩も労わないとな」

 歩はわざと大きなため息をついた。

 店長は無視して話を続ける。店長も界隈では有名な殺し屋らしい。話が通じないのも納得だった。

「がんばれよ」

 というわけで今日のランチをこちらで食べに来たというわけだ。

 ドレスコード規定がある店のため、久々にスーツを着て彼女と待ち合わせをする。

制服でもいい、と話しておいたのだが、意外にも彼女はドレスを着ていた。ネイビードレス、というのだろうか。上品な色合いと花模様のレースが彼女の大人びた雰囲気とよく似合っていた。ドレスの上にはベージュのジャケットを羽織っている。ヒールに慣れていないのかやや歩き方がぎこちない。

 葬式に行くみたいだな、と歩は思ったが口には出さなかった。言えば帰りの乗り物が霊柩車になるだろう。

「よう」

 思えばその時から少し機嫌が悪かった。

「スニーカーでくればよかった」

 文句を言う彼女をなだめつつ、歩はレストランに入った。ビュッフェ形式のランチは、常時金欠な彼にとって絶好の機会だった。いくつもの大皿に料理を山ほど盛り、それをぺろりと平らげては次の料理を取りに向かう。特に味のしみ込んだローストビーフは絶品で、店が用意した三分の二を彼一人で平らげてしまった。

 一方で、小鳩はほとんど料理に手をつけなかった。サラダとオレンジジュースを少しとって、それすらもほとんど口をつけていない。

「体調でも悪いのか?」

 歩ほどではないが小鳩もそれなりにご飯は食べる方だ。華奢な体をしているが、育ち盛りなのだろう。

「別に。ちょっとトイレ」

 お手洗いに行くのは本日三度目だった。思えば顔色もいつもと比べてよくない気もする。

 まぁ、そんなことは歩には関係ない話だった。彼は周りの目を盗んで持ってきたタッパーを取り出すと食べきれなかった料理を入れていく。嬉しいことにまだまだタッパーには余裕があった。

 明日のご飯も困らないだろう。

 心の中でほくそ笑む彼は、次の瞬間に思い知らされることとなる。

 世の中そう上手い話ばかりではないことを。

 銃声と共にガラスが割れた。ここまではヘルトーキョーでよくあることなのだが、ここから怒涛の展開が始まった。

「大人しくしろ!このホテルは我々『曙光の天輪』が占拠した!」

最悪なことは続く。

 隣にいた団体客は日本屈指のヤクザ連合東郷会の連中だった。

「おんどりゃ誰に許可とってテロしとるんじゃい!」

 歩の側にいた老人が立ち上がる。

「あらあら、騒々しいですね。……この『鷺』が、黙らせてやろう」

 ここまで来て、店長がこの店の食事券を手に入れることができた理由に気がついた。ここは裏世界の住人御用達のレストランなのであった。

彼らは叫び、殺し合い、物言わぬ死体になって倒れていく。

 殺し合いの連鎖の中、命からがら逃げだした歩はやっとのことで小鳩と再会を果たした。出会ってすぐに彼女が言った。

「ねぇ、なんで私が怒ってるかわかる?」

「わかんねぇ……」

 ここまで思い出しても彼女が不機嫌な理由がわからない。最初から不機嫌だったし、時間が経つにつれてさらに機嫌が悪くなっていった。少なくとも自分が何かをやらかしたという記憶はない。

 ちらりと彼女の様子をうかがう。ふてくされた彼女は携帯をいじっていた。彼女にとってこの程度は危機ですらないのだろう。

 万策尽きた。彼は空を仰ぎ、天に思いをはせた。

 全てはあの店長のせいだ。

「頑張れよ」と言い残したあの憎たらしい姿を思い出す。

 そこで、歩はようやく気が付いた。

 レストランに行くのに頑張れ、とはどういう意味だろうか。彼女に殺されないようにしろ、という意味ではないだろう。そんなのは常日頃からやっていることである。

 彼女の不機嫌の理由は自分が何かをやらかしたからではない。

 何かをしなかったからだ。

 思えば今日の彼女は謎に満ちていた。

 普段よりも白い肌。

 ご飯をほとんど口にしない。

 頻繁にトイレに行く理由。

 そこから彼は、一つの結論を導き出した。

「小鳩、もしかして。……化粧をしているのか」

 彼女は歩を睨みつけた。

「気づくのが遅い」

 白い肌はフェイスパウダー。

 ご飯を口にしなかったのは口紅が落ちるのが嫌だったから。

 それでも化粧に慣れていない彼女は心配で、化粧が落ちていないか確認をしていた。トイレの鏡を使って。

「それで、何か感想は?」

「化粧上手いな。店長にやってもらったのか?」

 彼女は歩の襟元を掴むと、ポーチから口紅を取り出した。いかにも高級そうなそれを乱暴に歩の顔に押し付ける。

「綺麗、綺麗です!」

「よく今まで人間やってこれたね。お猿さんからやり直したら?」

 彼女は歩の頬に大きなバツ印を描いた。

 その夜、歩はグーグルで検索した。

 化粧 褒め方


「散々だったな」

「ほんと最悪。足痛いし」

「ところで、服も化粧品も結構な値段したんだが」

「あいつの給料から引いといて」

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