第5話 殺し屋×カラオケ
殺し屋とカラオケに行ったことはあるだろうか。ある人、ない人色々いるだろうが、したい人に進藤歩は声を大にして言いたい。
やめておけ。
特に少女の殺し屋の場合は最悪だ。何を歌えばいいかわからない。
彼が最後にカラオケに行ったのは、先輩の送迎会だった。やかましい場所、へたくそな歌、それなのにニコニコして上司の歌をほめる作業がついてくる。彼はトイレに行くふりをして一時間近所のパチンコで時間を潰した。そんな苦い記憶からカラオケに行くのは久しぶりだった。
「先、曲入れて」
入れる曲のセンスは大事である。昔の彼は上司のためにわざと一世代前の曲を勉強していた。あいてが知っている曲を歌うのが盛り上がるカラオケの鉄則である。
歩は自分が知っている中で一番新しい曲を入れた。
歌っている最中にちらちら小鳩の反応をうかがう。無表情でスマホをいじっている。別に盛り上げてくれとは言わないが、そっけない態度に少し歩は傷ついた。
一曲終わり、曲と曲の合間の時間が訪れる。
曲が終わってから小鳩は顔を上げ、一言。
「その曲、五年前の歌なんだって」
星街小鳩は十五歳である。彼女の感覚からすれば、五年前など遠い昔の話だ。「むかしむかし」から始まってもおかしくない。
「……そうか、そうなのか」
ちなみに、進藤歩は三十代である。先週のことの感覚で、十年前の話をする。まるで玉手箱を開いてしまったようだ。こんなところで自らの加齢を痛感していらないダメージを受けてしまった。
「よし、じゃあ次行こうか」
「……え?」
「次の曲入れて」
彼女がアンコールを宣言する。
こうして四十五分彼はワンマンライブを開催することとなった。観客は彼女一人。拍手もなく、反応すらない。
彼は歌いながら自分の前世の罪を考えていた。
殺し屋の前でカラオケを続ける。一体、前世の自分は何をやらかしてしまったのだろう。ロクでなしであることは確かだ。
ようやく彼女のアンコールが止まった。歩は氷がとけて薄くなったオレンジジュースを飲み干した。喉が痛み、心はもっと痛んでいる。
ここまで来たら彼は小鳩の曲を聞きたくなった。
「一曲位歌ったらどうだ?」
スマホをずっと見続けている彼女にそう言った。
「嫌」
「カラオケに来たいと言ったのはお前だろ」
「私、カラオケ嫌い。サボれるから来たけど」
「でも、音楽は殺し屋に必要なんだろ?」
眉をひそめ、露骨に嫌な顔をした。一時間前の話で彼女は殺し屋に音楽が必要であることを一応認めている。その理屈で言えば、小鳩は一曲歌う必要があるはずだ。。
とはいえ、彼女には最強の反論手段である銃を手にしている。歩を脅すなり、殺すなりすれば歌わずにすむだろう。暴力は全ての問題の万能鍵である。もちろん、二度と扉を開けられなくなる危険性はあるが。
意外にも彼女は銃を選ばなかった。代わりにマイクを手に取る。
「……笑わない?」
「あぁ、笑わない。笑ったら殺してくれてもかまわん」
彼女はタッチパネルを操作して曲を入れた。
意外にもバラード調の曲だった。歩が歌っていた曲よりも数年昔の歌。内容はありきたりのラブソング。「君」に自分の思いをつたえる歌だ。
お世辞にも上手とは言えない。音程は不安定で、歌詞の色が変わるのを目で追いながら歌っている。途中で音を外し、慌てて歌詞を追いかける。音痴と言うほどではないが、笑わないで、と言った理由もわかる。
ただ、点数や通信簿には見えない魅力があった。思いという表現は陳腐だが、一つ一つの言葉に彼女は思いをはせていた。そこにあるのは戸惑いと、照れと、憧れ。恋というにはひねくれていて、愛というには幼すぎる。雲をつかむように曖昧で、言葉にできない気持ちを音の一つ一つに重ねている。
彼女の唇が形作る。
普段の彼女なら決して言わない言葉。
あ、い、し、て、る。
曲が終わる。
「……どう?」
マイクの電源を切らずに言った彼女の言葉が、狭い個室に響く。
歩は火照った彼女の顔を見つめることすら気恥ずかしくなって顔を背けた。「いいと思う。……すごく」
小さな呼吸の音をマイクが拾う。
「これ、お母さんが好きだった曲なんだ」
過去形の母親に何があったかなんて訊く必要もない。どんなに愛しても敵わない敵はいる。ラブソングのように愛が万能ならどれだけよかっただろう。
でも、きっと、その欠片は殺し屋になっても残っている。
小さじスプーン一杯くらいのわずかなものだとしても
小鳩は、手を扇にして仰いだ。「暑いね、ここ」
「小鳩」
「ん?」
「歌う殺し屋が世界に一人くらいいても、俺はいいと思うぞ」
終わりを告げる電話が鳴った。先に取ったのは彼女だった。
思えばこれが一番の失敗だった。
彼女は言った。「延長、お願いします」
結局、この日はロクに勉強できなかったものの、この後の彼女は比較的まじめに勉強に励み、なんとか赤点を回避したのだ。
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