第4話 殺し屋×勉強
「誕生日に師匠がアイスを作ってくれたなぁ」
「ほう」
小鳩はアイスバーをほうばりながら、しみじみとそう言った。
進藤歩は内心驚いた。彼女の師匠、夜鷹は最悪の殺し屋だった。そんな彼にでも人の情が残っていたらしい。
「冷凍室に人間を吊るして」
前言撤回。
「そんなことだろうと思ったよ」
「ハンバーグを作った話の方がいい?」
「頼むからやめてくれ。あと、お前」
彼女の手元には白紙のノート。隅っこには犬にも猫にも見える下手な落書きがある。学校から渡された数学の問題集は一ページ目で止まっている。
「時間稼ぎしてるだろ」
舌打ち。「バレたか」
「今日は大人しく勉強しろ。鴉もそう言ってただろ?」
最悪の殺し屋、夜鷹を殺したのは彼女だった。こうして彼女は最強の殺し屋となった。ただし、彼女は十五歳。どんなに強くても定期テストは殺せない。
店長はやりたくないとごねる彼女を歩に押し付けた。
「最低でも赤点は回避させろ。補習とか面談になればこちらのスケジュールが狂う。今日はあいつの部屋で勉強会だ。あいつには言っておいた。理由がない限り外出するな、と。ちゃんと勉強させろよ。赤点が出るたびお前の指一本を赤く塗る」
「マニキュアですか?」
「赤いインクはどこから出ると思う?」
そんなわけで、彼女にとってはどうでもいい勉強会なのだが、彼にとっては切実な思いがこもっている。問題は、その気持ちが伝わる前に彼女がギブアップを宣言していることだ。
「勉強なんて社会で役に立たないもん」
思わず口元が緩む。勉強をしたくない言い訳はどの子でも同じらしい。あの子もかってはそう言っていた。中三の冬には言わなくなっていたが。
「役に立つさ。成長して見方が変われば役立て方がわかる。わかるまでは大人しく勉強しておくんだな」
「本当に?百パーセント?」
「もちろん。百二十パーセント役に立つ」
「殺し屋だとしても?」
「……あ」
そのことをすっかり忘れていた。しまった、という彼の顔を見た瞬間、彼女の表情が輝く。新しい遊びを思いついたのだ。
「ねぇ、具体的にどう役立つか言ってみてよ」
危険なゲームが始まろうとしていた。
「えっと、それは、ですね」
「あれ、もしかして……嘘ついた?」
彼の背筋に寒気が走った。クーラーが聞いた部屋は涼しいのに額には汗の粒が浮かんでいる。冷凍室に閉じ込められ、アイスになった彼らも同じ気持ちだったのだろう。
彼女にとってこれは遊びだ。
だが、猫は戯れにネズミを殺す。
死なないためには、この遊びをクリアしなければならない。
学校の勉強を殺し屋に役立てる。
考えるだけでめまいがするような無理難題を解決する。
とりあえず簡単なところから始めることにした。
「英語は当然大切だ」
「うん。それはいいよ」
「数学はターゲットの距離を測るために役立つし、理科の知識があれば毒や火薬を作れる。社会は、ええと、地図を読めるようになる。あとその場所の歴史を知ることで周りに合わせた行動ができる。暗殺前に怪しまれずに済むわけだ」
「国語は?」
「国語は相手の気持ちを理解する教科だよな?」
焼ききれそうなほど頭を回転させる。これが火事場の馬鹿力、危機に面したときの人間の本気らしい。
「相手の気持ちがわかれば、相手にとって嫌な行動がわかる。暗殺にふさわしい場所がわかるってわけだ!ほら、勉強は殺し屋の役に立つ!だから、がんばって勉強を」
彼女は首を横に振った。
「まだ、何か?」
「実技教科を忘れてる」
体育、美術、技術、家庭科、そして音楽。
「体育は当然役に立つ。インターネットは皆使ってるから、技術について詳しく知って損はないだろう。家庭科で手先が器用になれば殺し屋家業にだって便利だ。美術も同じ理由で必要と言える」
「音楽は?」
言葉に詰まった。音を出す殺し屋など三流以下である。殺し屋ほど音楽に遠い存在もない。脳が焼き切れるほどフル回転しても答えは思いつかない。
白紙のノートの上に銃が置かれた。彼女は引き金に指をかけ、彼の解答に×をつける準備をしている。
「あの、ストレスに対して、音楽は大事で」
「今までありがとう。さよなら」
「例えば、今みたいにとてもストレスがあるときにはカラオケとか行くといいんじゃないか、と」
「……確かに」
彼の結論はこうだった。
殺し屋に音楽は役に立たない。
しかし、今の彼女に音楽は役に立つ。
彼女は勉強から逃げる口実を探しているのだから。
小鳩は肩の力を抜き、銃を床に置いた。
「確かに、勉強ばかりだと体に悪いよね。カラオケで息抜きをしてから勉強に集中する。うん、すごく役に立つ。鴉もきっと納得してくれるよね」
「あぁ。何か言われたら俺が説得する」
納得してくれるかは微妙なところだが、恐らく死ぬことはないだろう。
……痛い目にはあうかもしれないが。
こうして、彼はギリギリ赤点を免れたのだ。
「一時間休みをやるから好きに」
「何言ってるの?歩も来て」
「……え?」
「一人じゃつまんないから」
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