第2話 殺し屋×日常

殺し屋にだって日常生活はある。進藤歩は彼女の世話をしながらぼんやり思う。彼女は朝起きて歯を磨き、嫌々学校に行き、バトミントン部の練習をサボって家に帰る。

 そんな彼女を見ていると彼は一つのことを忘れてしまう。

 彼女、星街小鳩は最強の殺し屋であることを。

 最強とはいえ、彼女は十五歳。学校には行きたくないようだ。

 彼の仕事は主に三つ。

 彼女のスケジュール管理。

 目的地への彼女の送迎。

 そして、彼女の機嫌が悪いときに殺されること。

「何か不満でも?」

「全然。こんな最高の職場で働けて幸せだなぁ」

 最低の職場でもクビになるわけにはいかない。辞めるときに飛ぶのはクビではなく頭になるだろうから。精一杯こびを売り、何とか生き延びようと日々努力を重ねている。

 バックミラー越しに見える男と視線が合った。陸に打ち上げられた魚の目。白く濁ったそこには意志などみじんも感じさせない。開きっぱなしの顎、口から飛び出した舌。

 数十分前まで男は生きていた。男を過去形にしたのは小鳩だ。

 あとは男の死体を山奥まで運べば今日の仕事が終わりになる。車に乗るのは個性豊かな三人パーティ。殺し屋、死体、おっさん。愉快な道中は片道一時間。

 つまり、殺し屋と二時間を共有するわけである。

 円滑な会話の基本は、共通の話題を探すことにある。趣味、出身地、好きな食べ物、嫌いな人。共通点が多ければ多いほど、会話として自然なものになる。

 だとすれば、殺し屋の少女と借金抱えたおっさんには何の共通点があるのだろう。共通するのは目が二つで鼻と口が一つだけある、というぐらいだ。髪の毛ですら同じではない。つむじから後頭部にかけて彼の頭部は日々薄くなっている。

ストレスのせいだ。誰のせいとは言えないが。

 ただ、彼も全くの無策というわけではない。こうした状況を想定した上でいくつかの会話パターンを毎日考えている。興味のないアイドル雑誌も定期購読している。

「そういえばマッキーが結婚するらしい」

「誰?」

「……」

「……」

 こっそり腕時計を確認した。残り一時間三十五分。

 先に沈黙を終わらせたのは彼女だった。

「どうだった?」

「何がだ?」

 彼女は後ろを指さした。

 死体を見たことは初めてではない。初めて見たのは肺がんで死んだ母方の祖父。死に出の薄化粧が子供ながらに気味が悪かった。

 最後に見たのは教え子だった。顔は見ていない。途中で抜け出して煙草を吸いに行った。アルコールで焼けた喉に煙が染みたことだけが記憶に残っている。

 今日死んだ男は記憶の中の死体とは違う。様々な体液の混じった酷いにおいを充満させ、何の感情もない顔はのっぺらぼうのようだ。そこに人間はいない。数十キロの肉塊だ。

 歩は言った。「……綺麗だったよ」

 彼女の殺しを形容するにはその言葉こそふさわしい。男の呆けた顔は自分が死んだことにも気付いていないようだ。歩のような素人にも分かる。心地よさすら感じる、洗練された殺人。

 それはまさしく死だった。伏線もなく、予兆もない。漠然と不安を抱えながらも、すぐそばにいることに気が付かない。

そして、狙われたら逃げられない。

 きっと死んだ男もこう考えていたはずだ。 

今日死ぬはずがない、と。

目の前の死は、くすっと笑った。

「ほめて伸ばすタイプなんだ。先生?」

「その呼び方は止めてくれ」

「思い出すから?」

 彼は肩をすくめた。

「思い出せないから」

 もうあの子の顔すら思い出せない。アルコールとニコチンにやられた頭は、過去の美しかった記憶すらも濁って見せる。

 忘却は死と似ている。昨日までの自分を殺して、亡霊として今日を生きている。生きているという実感を持てないまま。

 彼女は大きなため息をついた。

「歩ってマジメすぎ。もっと楽しみなよ」

「殺人を?」

「人生を」

 歩は思わずにやけてしまった。殺し屋に人生を説かれるのは世界でも彼一人だけだろう。

 彼は言い返す。恐らく自分の死の原因に。

「……多分、あんまり長くないからなぁ」

「馬鹿」彼女はきっぱり言い切った。

「長ければ何でもいいの?三時間ある退屈な映画を見たい?」

「十秒の映画よりはマシだと思うが」

古代ローマの誰かが言った。

 メメント・モリ。

 死を思え。

 それはすなわち、今日死ぬ自分を知ること。

 反転して、死ぬ直前の自分を生きること。

 彼は会話の基本を思い出した。

 会話で一番大切なこと。

 それは、会話を楽しむこと。

 彼は、もう少しこのドライブを楽しむことにした。

「話をしてくれ。何でもいい、君の話が聞きたい」

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