キリング×ジョーク
@Hitumabusi
第1話 殺し屋×面接
深淵が男を見つめていた。
「面白いこと言ってよ」
囁き声が男の鼓膜を震わせる。額から垂れた汗が座っている彼の膝を濡らし、彼はうめき声を漏らした。
それがベッドの上であれば甘い誘惑に聞こえたかもしれない。いたずらな少女の愛情表現にも聞こえる。
男は顔を上げ、少女の方を見た。栗色のショートヘア、切れ長の目、気だるげな表情。細く華奢な体にサイズの合わないパーカーをまとっている。太陽のような輝く魅力はないが、月光のように惹きつけられる妖しさがある。
その少女が殺し屋でなければ、の話だが。
「何かないの?とっても面白くて笑い死にしちゃう位の冗談」
男は自身の状況を把握できなかった。
殺し屋に狙われることはよくあることだ。殺し屋デリバリーサービスが宅配ピザより安いヘルトーキョーでは日常である。彼自身何人も殺してきた。
命を失うこともよくあることだ。この街で人の命は、路上に吐き捨てられたガムくらい安い。殺すのだ。殺されることだってあるだろう。何人もの護衛を用意したが、彼女の前では風に吹かれたティッシュも同然だった。
まさか芸人の真似事をさせる殺し屋がいるとは思わなかった。
ただ、これはチャンスでもある。彼女の機嫌をとれば生き残れるのかもしれない。
熟考の末、彼は一番のジョークを話した。パーティでの定番、愛娘が笑いすぎて入院した一番の笑い話。
「ふ、ふふふっ」
少女の唇が歪む。小さな笑い声が段々大きくなっていく。やがて彼女は腹を抱えて笑い出した。朗らかに、あどけなく。
恐ろしかった。まるでエイリアンが笑顔の練習をしているようだ。意味も知らずただ人間の真似事をしているだけ。昆虫のように感情の無い瞳は少しも笑っていなかった。
茶色の瞳は一時も彼から目を外すことは無かった。
「うん、つまんないや」
銃弾が男の恐怖を終わらせた。
「それで、君はここに売られてきたわけだ」
「そんな感じです」
遠藤歩は首筋をぼりぼりと掻いた。借金取りに殴られた右目が今になってひどく痛む。
借金に次ぐ借金にとうとうブチ切れた裏社会の人々にボコられ、最後に叩き込まれたのがこの喫茶店だった。最初はタコ部屋やマグロ漁船で働くのかと身構えていたが、喫茶店で働くのであれば気分は大分軽い。
「ちなみに借金の理由は?」
「ギャンブルとかで……」
「合格。君みたいなクズこそこの仕事にふさわしい」
店長、と自らを呼称する女性がそう言い放った。進は反論しようとしたが、悲しいかな反論の言葉が思いつかない。唯一の取り柄だった学歴も、この悲惨な状況においては一ミリも役に立ちはしない。
「皿洗いとかするんですか?」
店長は首を横に振った。後ろに束ねた髪がふるふると揺れる。
「ちょっと話をしよう。……君は夜鷹を知ってるかな?」
「人並みには」
夜鷹は二十一世紀をもっとも揺るがした男だった。進が授業で現代史を教える際にも必ずその男の名前が出てきて、その度にげんなりしたものだ。
夜鷹は天才である。世界を揺るがし、多くの凡人を絶望させ、後世に多大な影響を与える。音楽であればビートルズのように、美術におけるミケランジェロのように、世界は彼を天才と呼んだ。
殺人の天才として。
奪った命はヘルトーキョードーム五杯分。ぬるいビールを出したという理由だけで三十人あまりの命を奪ったのは有名な話である。あまりにも滅茶苦茶な振る舞いに当時のアメリカ合衆国大統領が介入を宣言。
二〇二九年、アメリカとヤクザ・殺し屋連合の戦争が始まった。
多くの被害が出た。十三人の大統領、三つの州、自由の女神像二つ。夜鷹と彼の弟子たちは世界最高峰の軍隊に対しても一切引けを取らなかった。
やがて誰も大統領になりたがらなくなった。就任した次の日に東京タワーに突き刺さっている。そんな仕事に就きたいと思う人がいるはずもない。
こうして二〇三一年、アメリカは介入宣言を撤回。東京はヘルトーキョーに生まれ変わり、学生と殺し屋とサラリーマンが同居する世界一奇妙な都市が生まれたのだ。
それが夜鷹のしたことだ。あまりにも荒唐無稽な話にウィキペディアですら正気を疑う内容になっている。「恐竜を絶滅させた」、「地球温暖化の原因」、「本能寺の変の首謀者」など滅茶苦茶な情報すら飛び交う始末。
「夜鷹を殺した奴がウチで働いてる。君にはそのマネージャーになって欲しい。いや、プロデューサーの方が語感いいかな。殺し屋界のシンデレラを育てるわけだし」
「ははっ、面白い冗談だ。……冗談ですよね?」
彼女はどこからか取り出した写真をカウンターに置いた。
「残念ながら事実だ。私の妹弟子でな。そのつてを頼って店にやってきた。……ボストンバッグに夜鷹の生首を詰めて」
歩はさめたコーヒーを機械的に口へと運んだ。苦い液体が喉奥を通り過ぎても喉の渇きが消えない。
写真には見知った生首が映っていた。あの目立ちたがり屋がここ二年ほど姿を見せないのも納得だ。誰よりも自由だった男は紺色のバッグに閉じ込められていた。
「確かに彼女は優秀だが、一つだけ問題がある」
「問題?」
「十五歳なんだ」
十五歳。年で言えば中学三年生くらい。
思春期×殺し屋×最強。
多感×ノー倫理観×全能感。
その掛け算で導き出される解答は、あまり喜ばしいものではない。
「ストッパーが必要だ。そこで君の出番というわけだ。年ごろの女子の対応は慣れているだろう、先生?」
彼は小さく手を挙げた。
「その子に嫌われたら?」
「死ぬだろうな」
「イライラしてたら?」
「死ぬ」
「寝起きで機嫌が」
「死」
秋の空のように変わりやすい子供の感情に自分の命を捧げる。それがどれだけ無謀なことか彼は痛いほどよく知っていた。
「……別の仕事ってありますかね?」
「家庭菜園の肥料、という仕事もあるぞ」
拒否権は無かった。
店長は彼に車の運転を任せた。勿論、不審な動きをしたら殺すという脅し文句付きで。深夜の空いた道路を車が快適に進んでいく。歩の死刑が近づいていると言い換えてもいい。
彼は色々考えをめぐらした。運転席のドアを開けるとか、わざと誰かを跳ねて警察に捕まるとか。しかし、彼にわずかでも勇気があればこんな状況に陥ってはいない。惰性×諦め×現実逃避の掛け算で生まれたのが彼だ。
世界一の殺し屋が住んでいるわりにこじんまりとしたマンションに到着したときにも、彼は一切抵抗をしなかった。店長に促されるままエレベーターに乗り、とうとう部屋の前に来た。
ドアにカギはかかっていなかった。殺し屋の家に泥棒は来ないのだろうか、そんな意味のない妄想をしている彼に店長が言った。
「お先にどうぞ」
殺風景な部屋だった。刑務所の一室だと言われても疑わない。中央に机と椅子、隅っこにあるのはベッド。テレビやその他一切の娯楽が存在しない。
床にはビニールシートが引かれていた。部屋でピクニックでもするのだろうか。そんなはずがない。
嫌な予感に後ろのドアノブに手をかけるが、ドアノブはぴくりとも動かなかった。
扉越しに店長の声が聞こえた。
「面接があるのは当然だろう?」
「あの、もし、面接がダメだったら」
「来世での活躍をお祈りしてあげよう」
逃げ続けた彼の終着点だった。彼は部屋の中央に目を向けた。今までずっと目をそらしていた対象。
アンニュイな表情の彼女は暇つぶしに拳銃をいじっていた。スライドを引いて銃弾を一発取り出しては、それを机の上に並べていく。すべてを並べ終えると、今度は空になったマガジンに右端の弾から込めていく。その洗練された手つきは、彼女と銃の関わりを何よりも雄弁に語っていた。
「ジロジロ見ないで。人間見るの初めて?」
歩は返答にこまり、もごもご口を動かすだけだった。
「座って」
拳銃の先で彼を招く。彼は彼女の対面にある椅子にかけて、まっすぐ背中を伸ばした。
「よ、よろしくお願いします」
「心配しないで。すぐ終わるから」
すぐ終わるのは面接か、それとも彼の命か。
彼女は優しくそう言うが、歩の緊張はピークに達していた。昼に食べたラーメンが喉から出ていきそうだ。
ただ、彼は元教師。私立高校の面接対策も欠伸がでるほど繰り返してきた。想定される質問を脳みその奥から掘り起こし、そのすべてに面接における最適な回答を付け足していく。よほどの質問でなければ即死は免れるだろう。
「最初の質問。カバと喧嘩したことはある?」
よほどの質問だった。
彼女の言葉を舌で転がす。
カバと/喧嘩したこと/ある?
まるで高校生がドリンクバーで生み出した飲み物のようだ。方向の違う言葉同士が無理やりくっついて、意味不明な文を作り出している。
聞き間違いだろうか。そのわずかな可能性を歩は信じることにした。下手に訊き返せば即死の可能性もあるが、幸いなことに質問はある、ないの二択。最初の質問であれば、とりあえず、ある、と答えることが生存への最適解である。
「あの、あります」
「なんでカバと喧嘩したの?」
聞き間違いではなかった。この時点で彼の自信はあとかたもなく砕け散った。今の彼にできるのは、十秒でも命を長らえるためのその場しのぎだ。
「その、口、口が大きいってバカにしたら、気にしてたみたいで」
「そう」
「あ、あはは」
「次の質問。あなたは森の中で一匹のちょうちょに出会いました。そのちょうちょの翅は何色?」
「黄色とか……?」
「黄色?」
彼女は顔を伏せ、物思いにふける。
汗が彼の額に垂れた。彼女の真意がわからないだけにその沈黙は恐怖をより一層引き立てていた。鉛のような唾を飲み込む。
彼女はようやく口を開いた。
「エッチな人だ」
「……はい?」
「黄色はエッチな人。ちなみに紫色はウブな人で、白を選んだ人はムッツリ」
心理テストかよ!
そう彼は(もちろん心の中で)ツッコミを入れた。すでに面接としての意味すらなくなっている。同時に、歩が薄々感じていた推測が確信へと変わっていた。
遊びなのだ。この面談も、彼の生死も。
「犬派、猫派?」
「ね、猫」
彼女は小さく舌打ちをした。「運がいい」
犬派と答えてたらどうなっていたのだろう。
「次の質問」
彼はその一つ一つを真剣に考察していく。彼女にとってはお遊びだとしても、彼には命をかけた闘いの場である。彼女がこのお遊びに飽きてしまえば火曜日に生ごみとして捨てられるだろう。胃がきりきりと痛む。針を持った百人の小人につつかれているようだった。
「最後の質問」
それを聞いたときに彼は安堵のため息をついた。すでに自らの生死よりもいかにこの地獄の面接から逃れることの方が重要になっていた。
殺し屋は銃を構えた。その銃口は彼に向けられている。
そっと、死体の入った棺に花を添えるように。
彼女の唇が言葉を紡いだ。
「あなたの望みは?」
彼の頭の中でいくつもの願いが渦巻いた。逃げたい、死にたくない、三千億円欲しい。中年男性の退屈な欲望。
駄目だ。彼は頭を振って自らの欲望を追い出した。そんな言葉で彼女を満足させることはできない。つまらないおもちゃは捨てられるだけだ。
「はやく」
緊張、時間制限、疲労。そのどれもが彼の正常な思考能力を奪う。気が付けば、かっての教え子の言葉を思いつくまま、舌にのせていた。
「……平和」
「?」
「世界平和とか、目指してます」
殺し屋に世界平和を説く。これほど無意味なことがあるだろうか。ましてや銃を頭に突き付けられている状態で。
(終わりだ……)
彼は目を閉じ、最後の瞬間を待った。
しかし、いつまで待っても終わりは訪れない。
恐る恐る目を開けると、その少女の表情に一つの変化を見た。
「……ふふっ。あははははははははははっ!」
恐ろしかった。彼女がお腹を抱えて笑う姿が。
それはまるで、年ごろの普通の少女のようだった。
笑いが収まり、彼女は涙を拭う。「おじさん、名前は?」
「あ、歩、遠藤歩って言います」
「明日からよろしく」
「……名前を聞いても?」
彼女は名前を答える。
小鳩。
彼はその名前を心の中で繰り返した。
こばと。
殺し屋らしからぬ、何とも優しい名前だった。
「よく頑張った。褒めてやろう。今後も彼女の世話を頼む」
「どーも……」
歩は呆れ顔で店長の称賛に応えた。
店長は一切気にするそぶりもなく話を続ける。
「で、感想は?」
「案外かわいい子だと思いました。……何か可笑しいことでも?」
「同じことを言った奴を思い出してな」
「ちなみにそいつはどうなりました?」
「一週間もしないうちに床のシミになった。死ぬときは部屋から出てくれ。敷金が戻らなくなる」
彼は頭を抱えた。
どうやら、苦難はまだ始まったばかりのようだ。
「上機嫌だな」
「そう見える?」
「やはり私の見立てに間違いはなかった。お前、男の趣味は最悪だ」
「あんたにだけは言われたくない。……ねぇ、鴉」
「ん?」
「少しは退屈せずにすむかも」
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