第111話 温泉と嫉妬

一階にあるというお風呂に来た。男湯と女湯は隣同士にあって時間によって入れ替わるという。服を脱いでお風呂の扉を開けると、花畑にでもいるかのようなたくさんの花の香りに包まれた。木で作られた湯船の中にはピンク色と黄色の花が所狭しと浮かんでいる。すごい・・・。まるで本の中のお話のようなお風呂だ。早くつかりたい気持ちを抑え、体と髪の毛を洗う。雪が降るからガルシアは水が豊富なのだろう。オーヴェルとは違い水を贅沢に使うことが出来る。


気持ちいい・・・。

体を伝うお湯が心地よい。冷たくなっていた肌の表面を温めながら泡と共に落ちて流れてゆく。

こんなにゆっくりとした気持ちでお風呂に入るのが久しぶり過ぎて、自分をいたわる様にゆっくり丁寧に体を洗った。


「ベルもおいで。」


私の側でお湯遊びをしていたベルを呼ぶ。私の膝の上にのせてたっぷりの泡でマッサージをするように洗うと、気持ち良さそうに目を細めてキューっと鳴いた。ベルの体をお湯で流した後は、桶にお湯を張ってベル温泉を作ると湯船の脇においた。


「ここで遊んでいてね。」


湯船に近付き足の指先でちょんちょんと花を退かしながらそっとお湯に足を入れた。少し熱いお湯が足にまとわりつき馴らしながらゆっくりと体を沈めてゆく。お湯の熱さに慣れたところで湯船の奥に移動しようと立ち上がった。


「ライファさま!?」


突然かけられた声に驚いて、恥ずかしさのあまりにお湯に体を隠した。目の前の少女はタオルで軽く前を隠しながら微笑む。


「リタさん?」

「はいっ、ここのお風呂、従業員も入るんです。今日は花風呂、いい香りでしょう?」


リタはそういうと湯船の近くまで来て、タオルを外して湯につかった。色白の肌、私も色白の方だがリタの肌は雪のように白い。その肌が湯に触れほんのりと赤く色づいてきた。リタはすぅーっとお湯の中を移動して私の側まで来た。


「今日は本当にありがとうございました。お二人が声をかけて下さらなかったら今頃まだ雪の中だったかもしれません。」

「いや、リタさんを助けたのはレイだから、私は殆ど役に立ってない・・・。」


見つけたのも助けたのもレイだ。私はただ同意しただけで、お礼を言われるのは心苦しい。


「それでも助けてくれたことには変わりありませんから。」

リタはニコッと微笑んで、そして少し小さめの声で話し始めた。

「あの・・・、レイ様はどなたか決まった方がおられるのですか?」

「決まった方?」

「えぇ、その、好きな方とか、婚約者様とか・・・。」

「婚約者はいないと思うけど・・・。好きな人がいるかまでは分からないな。」

「そう・・・なんですね。」


リタは恥ずかしそうに視線を伏せてお湯を見つめた。その顔がほんのり赤いような気がする。

「ライファ様は愛人ってどう思いますか?やはり、はしたないと思いますか?」


その質問にふとヴァンスがしてくれた愛人提案を思い出した。身分差があるせいでこの形になってしまうと言っていたヴァンス。私の精一杯を君にと言ってくれたヴァンスの言葉を思い出していた。


「私は、はしたないとは思わないかな。それぞれ事情もあるだろうし、二人がその関係に納得しているのならそれでいいと思う。」

私がそう言うと、リタは嬉しそうに笑って、そうですよね、と答えた。




お風呂から出るとレイがいて、レイを見たリタが嬉しそうにレイに駆け寄った。

「レイ様、湯加減はいかがでしたか?」

「うん、とてもいいお湯だったよ。体の芯から温まるとはこういうことだな。」

ゆったりとしたシルエットの宿着を着たレイは緊張がほぐれたようなリラックスした表情をしていて、いつもより柔らかい印象だ。髪の毛から滴った雫がレイの頬を通り首筋へと下りていく。


「あ、レイ様お湯が。」

リタの手がレイに触れ、レイが肩にかけていたタオルでその雫を拭った。

「ありがとう。」

レイが微笑む。その笑顔を受けてリタが更に微笑んだ。


レイの横で微笑むリタが嬉しそうで可愛くて、身分ささえなかったらお似合いという言葉がぴったりだ。あぁ、そうか。さっきの質問はそういうことか。リタはレイに好意を持っている。私はレイの姉ということになっているから、だからこそ私が愛人に対してどんな印象を持っているのか知りたかったのだろう。隠していてもリタにはレイが貴族だと分かっているようだ。


レイに愛人ができたところでなんの不思議もない。こんなに魔力ランクの高い貴族の愛人になりたいと思う人ならそこら中にいるだろうし、その中にレイがいいなと思う人がいれば愛人にするのは当然のことと言えた。


レイに触れたリタの手が心の中でリピートする。

なんか、もやっとする・・・。


そんな気持ちを悟られないように私もレイに近付いた。ベルはふら~っと飛ぶとご機嫌にレイの肩に止まる。


「待っていてくれたの?」

「うん、食事もあるしきっと直ぐに上がってくるだろうと思っていたから。ライファ、髪の毛ちゃんと拭けてない。風邪ひくよ。」

レイはそういうと私が肩にかけているタオルで私の髪の毛を拭き始めた。まるで手のかかる子供にでもするような仕草だ。


「だ、大丈夫。自分でやるよ。」

「ふふふ、姉弟仲がいんですね。うちとは大違い。」

リタの笑顔が胸にチクっと刺さった。それは嘘をついている後ろめたさからなのか、もやっとしたあの感情からのものなのかよく分からなかった。




「ほら、ここに座って。」

部屋に戻ると髪乾かし機を持ったレイに鏡の前に座る様にと言われた。私の肩にはベルもちょこんと座り、乾かしてもらう気満々である。スーチに泊ったあの日以来、レイは私の髪の毛を乾かすことに決めたらしい。暖かい風と程よく絡むレイの指先に心地よくなって目を閉じていると、はい、出来上がりと声がした。私の髪の毛をさらさらっと触り、その出来に満足げである。


「次は私が乾かすよ。」

たまには、ね。と言いつつ髪乾かし機をレイから受け取った。ベルは乾いた体に満足したようで、布団に飛んでいくとコロコロしている、レイを鏡の前に座らせその背後に立ち髪の毛に触れた。髪乾かし機の風を当て、水気を飛ばすように丁寧に乾かしていく。


襟足の髪の毛を持つと手の甲がレイの首に触れ、サイドの髪の毛を持てば頬のあたりに手が触れ、その部分を妙に意識してもっと触れたくなってしまう。ふと鏡に目をやると鏡の中のレイと目が合い、その目に自分が思っていたことを見透かされたような気がして顔が熱くなった。


「ライファ?顔が赤い。」

「え?そう?」

曖昧に流しながら自分の顔を伺うように鏡を見れば、レイのいう通りに真っ赤な顔をした自分がいた。

まじか・・・。


「もう乾いたよ。」

逃げるように手を離してレイから遠ざかろうとすると、どうしたの?と手をつかまれた。

離してほしい・・・。レイを意識して真っ赤になった顔など見られたくはないのに。

「いや、その・・・。」


レイが私の顔を覗き込むようにしたことで自然と顔の距離が近くなり、レイの目を縁どるまつ毛の角度やレイの唇に触れている髪の毛、先ほどリタが触れた首筋までもがはっきりと見えた。その途端、顔にのぼっていた血がサワサワと下りていき、胸の中に閉じ込めていた嫉妬に小さな火を灯した。


「触ってもいい?」

「え?」

普段の私であればここでハッと我に返り何とか取り繕ったはずだった。でも私の中に灯った火はゆらゆらと揺れるばかりだ。


「レイに触りたい。」

「ど、どうぞ。」


状況をあまり飲み込めていない様子のレイが半ば反射のような返事をして、その言葉に導かれるかのようにレイの頬に触れた。唇の輪郭を少しだけ触り、レイのまつ毛が気になって目の付近に手を伸ばせばレイが目を閉じる。その表情に以前のキスを思い出し、煽られたような気持ちになりながらレイの首元に触れた。


どれだけ、どこまで触っていいのだろう。


ふっとレイの顔に視線を戻せば少し赤くなった表情のレイと目が合った。


「それ、どういうつもりで触ってんの?」

「え?」



コンコン

「夕食をお持ちしました。よろしいでしょうか?」

跳ねあがる様にドキッとした心臓は突然もたらされた夕食の知らせに、静かに定位置へと戻ったのだった。


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