第9話 新しいレシピを再現する
家に帰ると、テンがいそいそと玄関にやってきた。
「主人が弱っております。もうダメかもしれないと申してはよろよろとソファに倒れまして、恋愛物語を読んでおられます。一大事ですぞ!」
緊急事態だと言わんばかりの剣幕で言う。
「そうか、元気そうでよかった。すぐ、ご飯つくるよ。」
私がそういうと、テンは「なんて呑気な」と言いながら消えた。
リビングへ行くと師匠が顔をあげた。ムスッとした顔をしている。
「おそいっ!!腹が減ってもう、ぺったんこだ!!」
お腹と背中がくっついてぺったんこになるほどだと言いたいらしい。食べ物にかかると師匠は少し子供っぽくなる。
「遅くなってすみませんでした。実は町でちょっと」
「理由は後できく。それよりもご飯だ!ぺったんこだ!」
師匠に急かされ私はキッチンへと急いだ。
簡単ですぐ出来て美味しい料理。キッチンに立って思いついたのは「すいとん鍋」だった。夢の中に出てきたレシピで時間がないときによく作る料理だ。サワンヤの粉に卵と少しの塩を入れてぬるま湯を入れながら混ぜてゆく。耳たぶくらいの柔らかさになったらすいとんは出来上がりだ。あとは鍋に野菜を適当に入れて、出汁と醤油(こちらの世界ではトンビャという木の実を発酵させて塩漬けにしたものが醤油に近い)で味をつけて、すいとんをスプーンで掬って鍋に入れていけば出来上がりだ。これひとつでお腹も膨れて野菜もたくさん採れる楽ちん美味しいメニューだ。
テーブルに食器とすいとん鍋を用意すれば、師匠がソファから勢いよく起き上がりすいとんにがっついた。熱々のすいとんを火傷しない程度の温度に魔法で調整しているところが憎たらしい。ある程度空腹が満たされると「さて、今日はなんで遅くなったんだ?何か理由があったんだろう?」と師匠が切り出した。
「実は今日、無事に本を手に入れたまでは良かったのですが・・・」
その後に起こった出来事を話した。
「ドゥブ毒か・・・。それは珍しいな。あの毒の材料はこの辺では手に入らないものばかりだ。」
師匠は何か考えるような表情をして、テーブルをコツコツと指で叩いた。
「これだけじゃぁ何も分からないが、勝手に混入する毒ではないからな。誰かが何らかの目的で意図があって混入させたんだろう。王都の騎士団を狙ったとなると、混入させた者も大きなリスクを伴うことになる。これが大きな出来事の始まりにならなければよいが・・・。」
師匠が何か考えるような表情をして軽く目を閉じた。
しばらくの沈黙の後、私は今日疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「・・・そういえば師匠、私、もしかしてスキルを二つ持っていますか?」
「あぁ、持っているぞ。なんだ、知らなかったのか?」
いともあっさりと師匠が答える。
「普通、魔力をもつ薬剤や食材を調理するには魔力が必要だからな。魔力ランクの高い食材なら消費する魔力も大きくなるから当然高い魔力ランクが必要だ。それなのに、魔力ランク1のお前が平然と料理するんだ。これがスキルじゃなくて何なんだ?もちろん、お前の両親も知っていたぞ。」
私は口をあんぐり開けたまま固まってしまった。まさか自分だけが知らなかったとは・・・。私の表情を見て、師匠はため息をつきながら言った。
「いい機会だから言っておこう。お前はもっと自分の価値を知り、危機感を持て。いいか、魔力ランクは低く、平民で地位も低い。そんなお前が神様の贈り物とさえ言われ、世界の人口の1割にも満たない人しか持っていないと言われているスキルを2つも持っている。いわば赤ちゃんが大金を持って町中を歩いているようなものだ。貴族なんかに知られてみろ。下手すりゃ一生飼い殺しだぞ。今みたいにレシピだなんだと言ってなどいられないからな。」
私はハッとした。冷水を浴びたかのように体の芯から冷たくなってゆく。
「そうなることをお前の両親は恐れた。だから私の元へお前をよこしたんだ。魔女の弟子になれば、その肩書が娘を守ってくれるかもしれない、とな。ビクビク隠れてひっそりと生きるのなんて嫌だろう?」
師匠の言葉に私は深く頷いた。
「まぁ、そう固くなる必要はない。要は考えようだ。自分の知識も能力も、その容姿でさえも全て自身の利になるように使え。スキルは狙われるだけじゃない。お前の身を守る為のものにもなるんだからな。」
師匠の言葉に体に熱が吹き込まれるのを感じた。そうだ。今更怯えたって仕方がない。自身の魔力ランクが低いことも、スキルを2つ持っていることも、変えられない部分を嘆いても1ミリも前に進めやしない。
「自分の身は自分で守る。」
「いい表情になったじゃないか。」
師匠がニヤリと笑った。
「そういえば、なんで今更気づいたんだ?」
「それは、今日レイにドゥブ毒の解毒剤は魔力ランク1では作れないと言われて・・・。」
「レイ?あぁ、ジェンダーソン家の末っ子か。それで奴はなんと?」
師匠が少し険しい声を出した。
「スキルを2つ持っていることは隠しておいた方がいいと。レイも秘密にしてくれるそうです。」
「そうか。まぁ、言いふらされるよりはいいか。」
そう呟いたあと、いつの間に呼び捨てで呼ぶような仲になったんだ?と師匠がニヤリとしたので、「食べ物好きの会のメンバーになっただけです」と冷静にツッこんでおいた。
夕飯は要らないと師匠が出かけたあと、私はキッチンに立っていた。師匠に昼間言われたことがグルグル頭の中を巡って、進む方向はわかっているのに何をすることがそっちに進むことになるのかが分からず、結局またグルグルする。私の頭の中は右回転と左回転を交互に繰り返す洗濯機にでもなったかのようだった。
「こんなときは料理をするに限る。しかも、地味に面倒くさいやつがいい。」
私は気分を変えるようにわざと口に出して言ってみた。そういえば夢にみたレシピでハンバーグというやつがあったな。材料をみじん切りにして捏ねて丸めて焼く。こういう単純な作業は頭を整理する時に丁度良いのだ。普段なら魔法を使ってみじん切りにするところを、あえて魔法を使わずにみじん切りにすることにした。
最初にパン粉を用意し、羊乳にひたしておく。次に野菜のみじん切りだ。
人参の代わりは色も形も味も同じトーニャ、ピーマンの代わりは同じような苦みのあるザサン、玉ねぎの代わりは真っ黒い野菜のクロッカ。
トーニャを縦にスライスしてゆく。固くて転がりやすい食材なので注意が必要だ。左手で食材をしっかり押さえながら包丁を滑らせる。繰り返す。繰り返す。面を変え繰り返す。耳に残るトーニャを切る音。シャキリ、繰り返されるリズム。視界が狭まり、目はトーニャを捉えているのに意識は内部へ向かった。
私は何をしたいのだろう。
------美味しいものが食べたい。夢のレシピを食べたい。そしてそれを超える料理を作りたい。
私はどう生きていきたいのだろう。
------世界を旅してたくさんの料理に食材に出会いたい。
私にとって最悪の状況は何だろう。
------家族に危険が及ぶこと。私自身の自由が奪われること。
自分で自分の身を守る。
どうやって?
体術は多少できる。だが、魔力を使われれば無力同然だ。スキルをつかう?真眼と調合?武器になるのだろうか。何か武器になるようなものを作れるだろうか。
切り終えたトーニャとザサンをボウルに入れ、クロッカを手に取った。まな板の上に置き、トーニャ同様みじん切りにしてゆく。
・・・武器・・・か。作れるとしたら睡眠薬とか、しびれ薬か。食べ物に混ぜるというのは緊急時には役立ちそうもない。追いかけられているときに、口にポンッと投げ入れる・・・のは無理か。とすると、皮膚にぶつかればそこから浸透してゆくようなものがいいな。
今度は肉をみじん切りにしながら考える。ザクザクと大ざっぱに切ったあと、両手に包丁をもって叩くように切ることにした。
武器として考えるのならば、即効性のものがよい。ドゥブ毒のように即効性の強いものだ。即効性が強く、少量で効果を発揮し、死ぬほどのダメージは与えないが動けなくなるような毒が理想だ。固体で持ち歩け、相手にぶつかった時に液体になるのが良いだろう。1回ぶんずつ液体を凝縮させて膜で覆い固体にして持ち歩けばよい。
みじん切りにした材料を、あらかじめ羊乳にひたしておいたパン粉にまぜ、塩とハーブを入れて混ぜてゆく。粘りがでるまで、良く捏ねるのだ。
固体にした毒を投げるか?投げる?手で投げるには遅すぎやしないだろうか。威力がなさすぎて当たっても割れないとなったら困る。魔力を使って投げる方法もあるが、魔力はできるだけ温存しておきたい。魔力なしでも鋭く投げられないだろうか。そう、シューピンのように。ん?シューピンか。弓矢のように弦を使うのはどうだろう。持ちやすいように小さな弓にすればよい。
捏ねた材料を丸めてゆく。明日の朝食用にと厚みの少な
いハンバーグも作ることにする。
なんとなく自分の武器の形が見えてきた気がする。よし、早速、夕食後から作り始めてみよう。考えがまとまった頃にはハンバーグのタネはできあがり、もう焼くだけになっていた。
フライパンに油を敷いてハンバーグを置き、火をつける。低い温度から焼いた方がお肉が硬くならないのだと夢の中の青年が言っていた。フライパンの温度が上がると、チリチリと音が鳴り始めハンバーグの焼ける臭いが漂い出した。チリチリはだんだん跳ねるようなチリチリに変わり、フライパンの中で火が踊る。チョイっと魔法でハンバーグをひっくり返す。うん、焦げ目がなんとも美味しそうでいい感じだ。片面を焼いている間に今朝の残りの野菜を皿に盛り付けてゆく。焼きあがったハンバーグを野菜の脇に乗せれば立派な夕食の出来上がりだ。
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