第5話 アミちゃん、前を向く

「イシュタルか┅┅」

 城門の手前の所で、アミちゃんは懐かしい魔導波を感じて空を見上げた。遥かな上空に浮かんでいた黒い影が消え、一瞬のうちに地上に移動していた。

「わが主┅┅でございますか?」

「ああ、見た目はウサギだがな┅┅中身はわたしだ」

「おお、やはり間違いではなかったか。よくぞご無事でご帰還なされました」

「いや、無事ではないだろう、これ┅┅」

 と、主人にツッコミを入れられたにもかかわらず、忠実な下僕イシュタルは今にも頬ずりしそうな嬉しげな顔で主人を抱き上げ、自分の服の中にしまい込むと空へ舞い上がっていった。


「これからどうなさいますか、わが主?」

「うーん、そうだな┅┅」

 イシュタルの服の下から顔だけ出して、ウサギのアミちゃんは考え込んだ。

「今、この国はターハッカ帝国の支配下にあるんだよな?」

「はい。勇者ヤン・テオモが主を次元転移した後、帝国の軍が異様な早さで国境を越え、わが軍が体勢を整える前に、首都を占領し、住民たちを人質に取りました。我らはなすすべも無く、ある者は捕らえられ、あるものは処刑され、何とか逃れた者たちも多くは他の国の軍隊に捕らえられたり、行方知れずになっております」


「やはり、ヤンと帝国が裏取引をしていたのは間違いないな。よし、まずはこの国を取り返すぞ。そのために、生き残っている魔族をできるだけ集めるんだ」

「承知しました。実は、主がご帰還されたときのためにと、仮の根城をご用意いたしております」

「おお、さすがだなイシュタル」

「はっ、こ、これしき、しもべとして当然のことでございます」

 アミちゃんのウサギの耳は、イシュタルの心臓の音が急激に高鳴るのをしっかりとらえていた。

 

「┅┅て、これか?根城って┅┅」


 そこはソアマノヤからさほど遠くないマッサ王国領内の辺境地。背後を大森林地帯と険しい山脈に閉ざされ、目の前には果てしない海が広がっている。海岸沿いにわずかな平地があり、そこに祖国を追われた人間たちや強い魔物から逃げてきた弱い魔物たちが、種族の垣根を越え、細々と共同生活をしている小さな村があった。村の名前をウサコという。


 イシュタルが用意した根城は、この村の外れに建てた家、というか小屋だった。

「はい、い、今はまだ小さな城ですが、主のお力をもってすればあっという間に周辺の国々を征服して、莫大な税収が見込まれ、尚且つ王族や悪徳商人どもが蓄えた富を┅┅」

「うん┅┅なかなかいいな」

「あ┅┅そ、そうでございましょう?このイシュタル、我が主のためにありとあらゆる国々をめぐり、まさにこの要害の地を探し当て┅┅て、あ、あの、主┅┅」


 アミちゃんは、遠巻きにおびえたようにこちらを眺めている村人たちの方へ歩いて行った。幸い小さなウサギの姿なので逃げ出す者はいなかったが、どうやら彼らがおびえているのは後ろにいるイシュタルが原因のようだった。

「やあ、こんにちは」

「いっ┅┅ウ、ウサギがしゃべったあ」

「頭が金色、目が青い┅┅や、やっぱり新種のミラージか」

(ああ、やっぱりそういう反応になるか┅┅しかたない、変身するか)


 アミちゃんは次元収納ポケットから、しまっておいたジーパンとトレーナーを取り出して体の位置にセットした。そして体内にある八歳の女の子のDNA記録をウサギのDNAに上書きする魔法を使った。すると、いったんウサギの体は原子の状態に戻り、そして、人間の女の子の姿に再構成される。その間、わずか一秒足らずだったので、見ていた村人たちは、ウサギが一瞬のうちに女の子に変身したように見えた。

「うわああっ、ば、化け物だああぁ┅┅」

(えっ?お、おい、こんな可愛い女の子に化け物って┅┅)

 パニックになった村人たちは、一斉に逃げ出し始めた。


「皆の者、静まれ┅┅」

「そ、村長┅┅」

 村人たちが騒ぐのをやめて道を開いた。その奧から三人の人物が歩いてきた。イシュタルが横に来て、そっとアミちゃんにささやいた。

「あれが、この村の村長とその息子、そして護衛役の男です」

「ほお┅┅リザードマンの親子にオーガの護衛か┅┅こんな村に珍しいな┅┅」

 アミちゃんがそんなことをつぶやいていると、村長たちが目の前までやって来て、じっとアミちゃんを見つめた。

「失礼します。わたしはこの村の村長をしております、ガーリックです。こっちは息子のオニオン、そして警備隊長のオレガノです。あなたは、こちらのイシュタル様のご同輩でしょうか?」

(ぷっ┅┅うまそうなスープができそうだな)


 アミちゃんは思わず吹き出しそうになるのを何とか我慢して答えようとした。

「違う、このお方こそわが主、ソアマノヤ国王アミルゲウス様なるぞ。一同、控えよ」

 イシュタルがここぞとばかりに声を張り上げた。

「な、何と┅┅しかし、風の噂にアミルゲウス様は先日の戦で勇者に討たれ、お亡くなりになったと聞きましたが┅┅」

「それはだな┅┅」

「イシュタル、後ろに下がっておれ」

「あ、は、はい┅┅」

 上位悪魔が慌てて後ろに下がってひざまづくのを見て、村長たちは驚くとともに、この幼い少女が本当にアミルゲウスなのだと確信した。


「確かにわたしは勇者に負けて、異世界に飛ばされた。だが、こうして戻ってきた。しばらくこの村に厄介になろうと思うが、いいか?」

「あ、はい、それは構いませんが┅┅ただ┅┅」

 村長たちは浮かない顔で言いにくそうに下を向いた。

「心配せんでよかぞ┅┅」

「へっ?」

「あ、いや、おほん┅┅なにも心配はいらぬぞ。村の者に迷惑はかけぬのでな」

 思わず熊本弁が出てしまい、アミちゃんはちょっと焦った。


「あんたたちがいることが┅┅迷惑なんだ┅┅」

「ん?どういうことだ?」

「オ、オニオン、待て┅┅」

「父さん、はっきり言わないと、この村は帝国に滅ぼされてしまうんだよ」

「帝国に、滅ぼされる?」

「は、はい┅┅実は┅┅」

「俺が答えよう┅┅」

 護衛隊長のオレガノが前に進み出た。そして、ソアマノヤが滅んだ後の出来事について簡単に説明した。


 それによると、帝国は周辺諸国に通達を出して、ソアマノヤの生き残りの魔族の者を見つけたら、即刻捕まえて帝国に差し出すこと。それが出来なければ情報を帝国にしらせること。もしかくまったり、わざと逃がしたりしたら、帝国に敵対する意志があるとみなし、即刻軍隊を差し向ける、ということだった。


「┅┅ここはマッサ王国の領土だ。マッサ王国は弱小国だから、帝国に逆らえばすぐに滅ぼされてしまう。だから、必死なんだろう。この前、ここにも王からの使いが来て、ソアマノヤの生き残りがいないか調べていったんだ。そして、今後もしソアマノヤの魔族が現れたら、必ず知らせるようにと念を押して帰って行った。たぶん、また見回りに来るだろうな┅┅」


「なるほど、そうだったのか┅┅で、もうイシュタルのことは知らせたのか?」

 村長は首を振った。

「この村は┅┅もともと戦争で住む国を失ったり、いろいろな理由で故郷にいられなくなった者たちが、どこからともなく集まってきてできた村です。国を失った悲しみ、辛さは皆分かっております。いや、だからこそ、貧しくても、こうして仲良く平和に暮らしているこの村を、もう失いたくないのです。冷たい仕打ちだとは分かっております。ですが、どうか、この村から出て行ってくださらんか┅┅」

「よし、分かった┅┅」

「あ、主、お待ち下さい、せっかくこのイシュタルが┅┅」

「一つ聞いていいか?」

 アミちゃんはイシュタルを手で制して、村長に尋ねた。

「はあ、何でございますか?」

「お前たちは、このわたしより帝国の方が恐ろしいのか?」

「は、あ、あの、それは┅┅」

「わたしなら帝国を一日で滅ぼせるぞ。ただし、住民を皆殺しにしてしまうから、そんなことはせんが┅┅軍隊なんぞ、目をつぶっていても全滅させられるぞ」

 村長たちは呆気にとられて言葉を失っていたが、やがてオレガノが腹を抱えて笑い始めた。

「がははは┅┅いくらなんでも、冗談が過ぎるだろう┅┅」

「うん、まあ信じられないのはしかたないな┅┅今まで帝国や他の国にも、こちらに直接害が無ければ好きにさせていたわたしの責任でもあるわけで┅┅ということで、これから、ちょっと帝国にお灸を据えに行ってくるか┅┅イシュタル、行くよ」

「はっ、わが主、どこまでもお供いたします」


 アミちゃんとイシュタルは、ただただ茫然と見送るウサコ村の村人たちを尻目に、大きな翼を広げて飛び発っていった。

 飛び立った直後、アミちゃんの姿は再びウサギに戻った。魔法の効力が切れたのである。

「あーあ┅┅変身魔法は魔力を使う割に長持ちしないからなあ┅┅めんどくさ、もうしばらくこの姿でいいや」

「わ、わたくしは、そのお姿も、その、大変お可愛いと思う次第でありまして┅┅」

「ああ、ありがとね┅┅まあ魔力量には関係ないみたいだし、このままでもいいんだけどね」

 アミちゃんは、いつか爺ちゃん婆ちゃんたちに会いに行くときは、人間の姿に戻ろうと考えながら、一気に雲と同じ高さまで上昇していった。


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