遊生夢死

    ずっと死のうと思っていた


 死ぬことしか考えていなかったから、友だちと呼べるような人もいなかったし、家族とはほとんど絶縁状態だった。学校は出席より欠席のほうが多く、毎年留年寸前だと教授に脅され、渋々足を運んでいた。日常生活は涙が出るほど酷く、全くもって人に言えるようなものではない。起きた瞬間から希死念慮に襲われ、今日は負けてしまうのではないか……と他人事のように考えていた。1日に煙草を最低でも2箱、14ミリのセッタを吸い、気が向いたら42ミリのガラムを吸い、喉が乾いたら吐くまでアルコールを飲む、そんな生活を続けていた。

自炊なんてするはずもなく、歩いて5分のコンビニエンスストアの弁当や袋菓子を胃に詰め込んでいた。死のうと思って遺書を書いたり、手首を切ったり、薬をたくさん飲んでみたりもしていた。廃人のような日々だが、こんな私にも夢があって、ずっと叶うはずもないとわかってはいたのに馬鹿みたいに追い続けていた。毎日死のうとしながら夢を追いかける、そんな矛盾した毎日を過ごしていた。

希死念慮との戦いに敗れ死ぬか……と思って縄に首を通そうと思ったとき、滅多に鳴らない私の携帯電話が鳴った。無視しようかと思ったが、これはとらないといけない、となんとなくそう感じた。


「柊さんのお電話で間違いないでしょうか。私は―――編集社の―――です。先日送っていただいたお話、とても面白く、是非うちで出したいと思ったのですがいかがでしょうか。続き、書きますか……」


 そこからの彼の話は正直に言うとあまり頭に入ってこなかった。改めてメールをすると言っていた気がする……そんな気がする。立っていたのに腰が抜けて気がついたら床に座っていた。夢が叶うんだ……と泣きそうになりながら数年ぶりに母へ電話をかけた、正確にはかけようとした。発信ボタンを押そうとした時、視界が歪んだ。急に立ち上がろうとしたことによる立ち眩みかと思ったがそのまま私は床へと倒れていった。煙草の煙で汚れた天井と大量のごみを見て意識を手放した。

 目を覚ますと、見慣れない天井があった。シミのない綺麗な白い天井。ここはどこだ……私は確か家族に電話を……。


「目が覚めたようですね……良かった」


知らない男が私に話しかける。顔は知らないのになぜか声は聞いたことがある……


「担当編集者の——と申します。初めましてで言うのは非常に心苦しいのですが、余命3ヶ月です。長くても半年で貴方は死にます。3ヶ月というのはあくまで目安らしく、明日死んでしまうかもしれませんし、1年後死んでしまうかもしれないということです。後悔の無いように生きろと医師に言われました」


「え、私死ぬんですか……?やっと夢が叶うのに死ぬんですか。ずっと死ぬために色々やってきてやっと死ねるのに、今の私は死ぬことを恐れている……面白いですね、ははは……。笑ってくださいよ……一緒に笑いましょうよ……続き書きますから、死ぬまで書くので……ね?」


 やっと小説家になる夢が叶うと思ったら死にたいという夢も叶いそうになるなんて、生涯分の運を使っている、そんな気がする。私はどっちかしか求めていなかったのに神様……貴方はそれを許してはくれないのですね。小説が売れるのであれば死ななくても良い、そんな都合の良い願いは聴いてはくれないのですね。これまでの自暴自棄な己の生活を今ほど後悔する日はきっと一生こないだろう。私は小説を書いて死ぬ。

 禁酒禁煙をしようと思ったがストレスは溜まるし、どうせ死ぬのだから、といって少し減らす程度にした。前ほどではないにせよ、余命宣告をされた人間とは思えない生活をしながら毎日物語を綴った。この原稿用紙の中でだけはどんな嘘も願いも許される。私の人生において最も楽しく、自分らしくあれる瞬間だ。小説家であるという肩書が欲しいだけで読者の有無なんて私には関係ない。私は私のために文字を書く。

 小説に専念するために大学は中退した。せっかくここまでこれたのに……と教授は悲しそうにしていたが今の私にはそんなことどうでもよかった。出版する小説について担当編集者と打ち合わせを行い、それ以外の時間はひたすら新しい話を書いた。こんなちっぽけな話1つじゃ私は終われなかった。

 日を追うごとに体調が悪くなっていふな……と感じながらも書き続けた。朝も昼も夜も倒れて病院へ運ばれるまで書いた。しかし、どれも担当に面白くないと言われた。

「忌避されている人らの叫びを生々しく書くのが貴方だと思っていました。そこにおいて貴方に勝てる人はいません。でも、今の貴方は何も考えずに世間うけしそうな話を書き続けている。私は貴方の一般うけを狙った作品なんてこの世に出したくありません。読者にこびないのが貴方の魅力なんです」


正直に言うとあの人が何を言っているのか、私には分からなかった。一般うけを狙うなと言われても読者がいないと本は売れない。本が売れないと次が出せない。私を馬鹿にしている、私の何を知っているんだ、と腹を立て、こんなにも私のために動いてくれているのにお前なんか私の担当にふさわしくないと言ってしまった。


急に文字が書けなくなった。


 毎日吐くほど物語を書いていたのに、つまらないと言われてから一文字も書けなくなった。見放されるのが怖い、失っていたはずの感情をいつの間にか取り戻している自分も怖い。書けない私に生きている価値なんてない……死ぬしかない、そう思った。でも今死んだら今書いている話は世に出ず、自分から逃げて言い訳をするだけの人生になってしまう。それは嫌だ……最後くらいはまともに生きさせてください。


「先日は申し訳ありませんでした。具体的にどこが面白くないのか教えてもらえますか」

「どこが……ですか。難しい質問ですね。口では上手く伝えられないんですよね。こう、感覚的なものでして……。最近ご自分で書かれた文章って私に渡す前に読み返していますか」

「え、いや、直近の2つ3つは読んでいません」

「そうですか、そうですよね。読めばわかりますよ……私の言いたいことが、きっと」


自分の文章はできるだけ読みたくない。書いている時は万能感を感じているためなんでも書けるが、書き終えるとそれがどこかへ消え、突然羞恥心や劣等感が私を襲う。しかし、書くには読むしかない。

幸せな家族の話や夢の叶う話……とどれも平和で明るい内容だった。私にこんな話が書けたのかと驚かされるようなものばかりだった。大きな出来事があるとこうも人はこうも変わるんだなと実感することもできた。世の中で忌避されている者の話と言われても今の私は生きることしか頭にないから書けないじゃないか。


つまり、もう小説は書けないということ。


世に出していない短編を一つにして売り出すことはできても、もう一つの物語を紡ぐ力はない。


「――さん、柊さん。どうかされました?」

「ごめんなさい……ごめん……なさい。私……もう……書けないです。私には……できません。何者にもまれないただの……死にゆく社会不適合者です」

「いいじゃないですか社会不適合者でも馬鹿でもなんだっていいじゃないですか。貴方は貴方なんです。生きることしかきっと今頭にないんですよね。それだとだめなんですか? 貴方は死にたいと思っていないと小説を書けないんですか? 小説、人気ですね……良い意味で絶望させられると。おめでたいですね」

「でも……面白くないとおっしゃったじゃないですか……私の作品を……」

「そうですね。世間うけを狙っていることに対して言いました。幸せな家族のお話、無理矢理すぎるハッピーエンド……。貴方の都合を、願いを小説に持ってこないでください。確かに先生は人間です。しかし読者は、私たちは、一人間である貴方には興味がないのです。柊先生としての貴方を求めて本を読みます。それを忘れないでほしいのです。考え方が変わってもいいんですよ。生きたいと思うことの何がだめなんですか。生きたいと思う貴方も死にたいと思う貴方も、どちらも同じ一人の貴方なんですよ。あ……申し訳ありません……つい、あつく……」

「ありがとうございます。私はまだ書きます。たくさん書きますしまだまだ生きますよ」


 生きたいと思いながら世の中を憎むことはできないと思っていた。しかし、やってみないと分からないし私はこのタイミングで余命宣告をしてくるこの世界が嫌いだ。死にたいとずっと思っていた癖に小説が世に出たら今度は生きたいと言うようになるなんて都合が良すぎるじゃないか。私は自分に甘えていたんだな……。

 小説の方が上手くいかないから死にたいと言い、夢が叶ったら生きたいと言う、人間らしいと言えばそうだが、自分に甘く、調子に乗っているのがひしひしと感じられる。でも、そんなことどうだっていい……。私は死ぬまでずっと物語をうみだします。後悔の少ない生涯にするために書きます。










『昨晩小説家の柊真波さんが遺体で見つかりました。担当者が電話をしてもとらないことを不審に思って家に行ったところ倒れており、すでに息絶えていたとのことです。先生は余命宣告を受けており、いつ死んでもおかしくなかった状態であったそうです。二作目の発表が噂されていたため、非常に残念です』

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