第30話 ハルトのいない夜

結局答えは見つけ出せないまま、21時になるとハルトが帰ってきた。

「大丈夫だった?」

「あぁ、うん。その場にいたのが俺だってわかっているのが警察だけだし。それに悪いことをしたわけでもないから、大丈夫だよ。凜は心配しないで」

「うん」

「お茶もらっていい?」

「いいよ。というか、勝手に飲んでいいよ」

「どうも、凜もいる?」

「うん。ハルトと同じやつで良い」

ハルトはハーブティをリビングのテーブルに置くと、どうぞ、と言って凜の隣に座った。


凜はふぅふぅとお茶に息を吹きかけたのち、そっと口に運ぶ。口の中に広がる香りと温かいお茶が体に流れていく感覚にホッと体の力が抜けた。

そうか、ハルトってこんな感じだ。一緒にいてドキドキはしないけどこのお茶みたいに温かくなる。ほっとする。

「ふーぅ」

ハルトが大きく息を吐いた。

「疲れた?」

「疲れもあるけど、ようやく一息付けた感じ」

「ほんとだね」

ハルトは視線を遠くにやり、ぼーっと壁を見つめていた。特に何を話すわけでもない時間が5分ほど流れた後、おもむろにハルトが口を開いた。


「催涙スプレー、良く持ってたね。あれがなかったらやばかった」

「あぁ。あれね、お店と厨房と寝室とここ、リビングにもあるよ。あとは私のカバンの中とか」

「そんなに?」

「うん。無いと落ち着かなくって」

凜が何か話そうとしているような気がして、ハルトは次に言葉を待ちながらお茶を飲んだ。


「昔、夜道を歩いていて痴漢にあったことがあるの。夜道って言っても時間は20時くらいだったし、人通りは確かに少なかったけど一本向こうの大通りは車も沢山通ってた。歩いていたら急に背後から口を塞がれて、パニックで頭は真っ白になるし、口を塞がれて声は出せないし。たまたま持っていた大きなバッグで殴ろうと必死に抵抗したら犯人は逃げてって、私は無事だったんだ」

ハルトが凜との距離を詰め、ハルトの肩と凜の肩が触れる。その温かさに、少し強張っていた凜の体が解ける気がした。大丈夫だよ、という意味を込めて凜がハルトを見てほほ笑む。


「その時に思ったの。悪い意味ではなくてさ、女性であることの弱さっていうのかな。筋肉的なものだったり、体の大きさ的なものだったり、そういうのはちゃんと認めて対策をしないといけないんだって。私のバッグにはキーホルダー式の防犯ベルもついてるんだよ。ふふふ」

少し沈んだ空気を押し上げるように凜が笑う。

「その経験が昨日の私たちを救ったんだと思うと、大事な経験だったってことだね」

「・・・凜が無事でよかった」

「それはこっちのセリフだよ。ハルトが怪我しなくて・・・良かっ・・た」

「眠いの?」

「ん~・・・」

眠い、という言葉はそのまま夢の中に吸い込まれていった。








 

 3か月後。

「今日は撮影が長引きそうで何時に帰られるかわからないから」

ハルトは凜のベッドに手を付くと未だ布団の中にいる凜にキスをした。

「分かった。仕事頑張ってー」

凜がいってらっしゃい、と手を振るとハルトはほほ笑んで、行ってきますと部屋を出ていった。


ハルトとの生活は凜が思っていた以上に心地よく、何の答えも導き出せないまま相変わらずの日々が続いていた。定休日の今日はやることをやれば後はダラダラして過ごすつもりだ。

のんびり歩いて買い物に行って夜ご飯はカレーにするのもいいな。そうだ、そうしよう。

凜はそう決めるとゆるゆると目を閉じた。


寝起きに決めたことをのんびりとこなした夕方。

「うん、これは旨い。スパイスのバランスが絶妙だわ」

凜がカレーの出来上がりに太鼓判を押しているとハルトからメールが届いた。

【今日、撮影終わりに飲みに行くことになったから帰るのは朝になると思うけど、大丈夫?】

例の事件以来、ハルトが凜の眠る時間にいないということがない。凜のことを気にしてそうしてくれているのだろうという事には気が付いていた。

「いい加減、開放してあげないと!」

凜は声に出して呟くとメールを打った。

【全然平気。楽しんできてね!】


そうして夜も更けて、眠るための準備をポツポツと整える。この時間、こうして一人でいるのは久しぶりだ。

「あれ?寝るまでの時間っていつも何をしてたっけ?」

最近はいつもハルトと一緒にお酒を飲んだり、TVを観たり、新作ケーキの相談をしたり、そんな過ごし方ばかりをしていた。

「とりあえずお酒でも飲むかな」

お酒を用意してバラエティー番組を観る。

「ぷっ、くくくくく、あはあっは。ウケる」

1時間番組の半分を観終わらないうちに二杯目のワインを飲み終え、酔っぱらったままベッドに入った。

「一人って結構広い・・・」

一人で過ごす夜も好きだし楽しい。でも何か物足りないような、カランとした感覚を覚える。寝返りを打つときに聞こえる布団の擦れた音も、テレビを観ながら笑う声も全部、凛自身のものだ。凜自身が発したものだ。

「こういう感覚、なんていうんだろう・・・」



翌朝、まだ空が明るくなっていない時間帯、凜が何となく目覚めると隣でハルトの規則正しい寝息が聞こえた。ハルトに少し近づく。

お酒の匂い・・・。

そう思ったのに隣にある温もりが嬉しくてそのまま眠りについた。





 「宜しい、ですかの?」

「どうぞー。久しぶりじゃない?」

「2週間ぶり、くらいですかの?」

「前回はダグザット村の長老選びだったわよね」

「はい。凜様のいう通り、3人を長老としました。皆それぞれ得意分野が違うので、得意な分野に限って長老という名を名乗る様にしております。案外、うまくやっていますよ」

「上手くいってると言ってもまだ2週間だものね。このままずっと続くことを祈ってるわ。で、今日は何?」


「今回はちょっと厄介な相談でして・・・。しかも、凜様にはこちらの世界に来ていただかなくてはなりません」

「えぇっ!?」

「ご依頼主が私の国の国王なのです。国を離れるわけにはいきません」

「それって数時間で終わるようなやつ?私、仕事があるから泊りは無理よ」

リックは私の言葉に、すっと膝をついた。土下座である。

「凜様、そこをなんとか!!一週間、いや、3日でも構いません!凜様が来て下さらねば、私たちはどうなるか・・・」

「そんなにヤバいの?」

凜の頭の中に昔映画で見た王様が現れた。王様が叫ぶ。


凜を連れて来られなかっただと?役立たずめ。牢に入れてしまえ!!


「ご無理は承知でお願いしております。凜様」

リックを牢になんて入れさせるわけにはいかない。

「わかったわよ。分かったから土下座はやめて。行くけど2、3日時間を頂戴。ネットでケーキを注文してくれている人に日にちをずらしてくれるようお願いするから。それと、仕事が休めるのは3日。それ以上は問題が解決しなくても帰るからね!!」

「凜様、感謝いたします」

リックはニコリと笑うとゆっくりと立ち上がった。


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