第29話 22歳という年齢
翌日。左腕が動かせないということは思っていたよりもずっと不便だということを思い知った。寝起きの体を起こすときですら意外にも左腕の筋肉を使っていたらしい。いっ、と小さな声をあげただけだったのにすっかりハルトを起こしてしまった。
「もう起きたの?今何時?」
「9時。ネットは年末年始休業にしてあってもお店は2日までは営業するからね」
「休めないの?」
「予約分のケーキがあるから休まない。私のケーキを楽しみにしてくれる人がいるんだもん。とにかく、やってみる。で、無理な時は違う方法を考える」
「手伝おうか?」
「本当?いいの?」
「うん、もちろん」
実際にケーキを作り始めて、ハルトに手伝ってもらって本当に良かったと思った。生クリームを泡立てるのは機械がやってくれるから平気だとしても、物を持ち上げようとすると結構な痛みが走る。
「このボウルの中身をこっちの容器に入れてもらえる?」
「わかった」
「ん・・・ふふふふふふ」
「なんだよ」
ハルトはマスクの下で不満そうに口のへの字に曲げた。
「いや、ごめんね。私のエプロンで。ふふふ、可愛いよ」
ハルトが身に着けているのは凜が母親から贈られたフリフリのエプロンだ。洋服のまま厨房に立たせるわけにはいかないと出してきたのだが、普段クールなハルトがフリフリのエプロンを付けていると思うとどうしても笑いが込みあげてきてしまう。
「そりゃどうも」
厨房に自分以外の人がいるというのは新鮮で、これもまた楽しいなと凜は思った。
予定していたプチケーキは手の負担を減らすために全て四角い形のスポンジになってしまったがなんとか予約分を作り終えることが出来た。
カラン カラン
来客を知らせるベルが鳴る。
「はーい」
「ちょっと聞いたわよ、大丈夫?犯人は佐々木さんだったんでしょ。怖いわねぇ。あ、怪我したって聞いて、これドレミパン屋のパン。良かったら食べて」
近所に住む佐藤さん。50代の主婦だ。
「すみません。助かります」
「いいの、いいの。あ、袋に入れるのも自分でできるから無理しないで」
「ありがとうございます」
こうして、ハルトやお客さんに助けられ、一日を終えることが出来た。
「凜、俺少し出かけてくるよ。昨日のこと一応事務所に報告しておいた方が良いと思うからさ」
「そうだよね。ごめんね、巻き込んじゃって」
「気にしないで。俺にとって凜が無事なことが一番だから」
ハルトは凜の頬にやさしく触れると「行ってきます」と言ってキスをした。
!!
「う、うん。いってらっしゃい。気を付けてね」
「うん」
画面に吸い込まれていったハルトを見ながら、凜は心の中で叫んでいた。
そうだったー!!!この問題を忘れていた!!
ちょっと待てよ、整理しよう。
凜は頭の中でつぶやき始めた。
事の始まりはクリスマスだ。その前からちょこちょこあったけど、クリスマスからだということにしよう。
お酒に任せてキスをした。しかもたくさん・・・。いい歳こいて私はなんてことを・・・。
凜は恥ずかしさのあまり悶絶して両手で顔を覆った。
凜にとってあの行為は完全に「流された行為」だ。ハルトだってそうすることもできたのに、凜を混乱させているのは翌朝のキス。というか、何かとハルトがキスをしてくることだ。
しかも昨日、事件の前にハルトは何て言った!?
「俺、好きでもない人にこんなことしない」
もしかして私のこと本当に好きなんじゃ・・・。
「噓でしょ・・・」
自ら導き出した結論に凜は真っ赤になった。
あれは告白だったのだろうか。
「どうしよう・・・」
「で、相談に乗ってくれと」
「はい」
PC回線の向こうでミサキが仕方ないなぁと呟いた。言葉の割には楽しそうだ。
「えぇ~、凜ちゃんとハルトの仲の相談でしょーぅ。他の男との相談なんてやだなーぁ」
「たーさん、腹痛により今日のデートがなくなったからってイヤイヤ言わないの!」
ミサキがたーさんに喝を入れる。
今年も終わりという今日、ボイスチャットには誰もログインしていないと思いきや意外にもミサキとたーさんがいた。ミサキ曰く、経営者の旦那はお付き合いのパーティーらしい。「旦那には今日が年末かなんて関係ないのよ。でもいいの。後日にちゃんと埋め合わせをしてくれるから」とはミサキの言葉だ。
「キスもしたし、好きな人以外にこんなことしないと言われたんでしょ。立派な告白じゃない」
「僕もそう思う。で、凜ちゃんはハルトのことをどう思ってるの?」
「どう思ってるのって言われても・・・。嫌いではないことは確かなんだけど、なんというか、穏やかな感じというか・・・。田丸君の時みたいな、キャーっていうドキドキはない」
「そりゃあ、相手が違うんだもの。同じように好きになるとは限らないじゃない。ドキドキがない好きもある」
「そうそう。俺もそういう好きはよくあるよ」
「たーさんが言うとなんか、恋愛の好きとは違うような気がしてくるわ・・・」
凜の言葉にたーさんが大きく笑った。
「ハルトって22歳なんだよね。万が一付き合ったとしても、若い子に乗り換えられそう・・・。ほら、男って若い子の方が好きだっていうじゃん」
「凜のいう事も分かるけど、年上好きの男って増えたと思うよ。若い子なんかは特に。ねぇ、たーさん?」
「僕は若い子の方が好きだけどね」
「チッ」
「ちょっとミサキさん、舌打ちはやめて。でも、まぁ、年上の女性と付き合う男も確かに増えたよねー。でもさー、年齢差がどうかってことよりも、22歳っていう年齢の方が僕は怖いかな」
「それってどういうこと?」
「経験ってどうにもならないものじゃん。なんていうのかな。ある程度歳をとるとさ、それがどんな好きなのか、それは寂しさなのか、欲しいのは相手なのか、ステータスなのか、判断がつくでしょ。若い時ってそういうのが良く分かってなくて、だからこそ真っすぐだったりして」
「つまりどういうことなのよ?」
焦れたようにミサキが急かす。
「だからさ、知らないからこそ間違える時も真っすぐだってこと」
「それってたーさんの経験談?」
凜の言葉にたーさんが、ふぅっとため息をついた。
「若者チームには内緒にしといてよー」
「「するする」」
「昔、結構好きだった子がいたんだよね。猛アピールしてきたんだけど、丁度親元を離れて一人暮らしを始めた頃でさ。だから僕、その気持ちは寂しさなんじゃないかって聞いたんだよ。そしたら酷いって泣いて泣いて、それこそ過呼吸になるくらいだったからさ、信じた。そしてその一か月後、他に好きな人ができたって振られた。出会ってしまったら仕方がないってさ」
たーさんは深刻にならないようにか、わざと明るい声で言った。
「確かに出会ってしまったら仕方ないし、彼女が悪いとは思わないけど。きっと僕に対する気持ちは寂しさだったんだと思うんだよね。彼女は嘘を付いていたんじゃなくて、本気で寂しさと好きを勘違いしてたんだ」
「なるほどね・・・。確かにそういう怖さはあるかも」
ミサキの言葉に同意して凜も「うん」と頷いていると「どーもー」と声が聞こえた。
「クジョー?お酒飲んでるの?」
「少しねー。そういうミサキさんだって飲んでるでしょ」
「確かに少し飲んでるけど。クジョーがお酒って珍しいじゃん。トレードは?」
「年末は相場が荒れるから手を出さないのが吉なの」
「「へぇー」」
凜とミサキの
声に重なって、たーさんの「そういうものなのねー」という声が聴こえた。
「クジョーはさ22歳の恋心ってどう思う?」
「何、それ」
「22歳の男が29歳の女に告白したとして、その男の気持ちの本気度のこと」
「そんなん本人にしか分からないでしょ。いや、過ぎてみないと分からない、かなぁ」
「その通り過ぎて何も言えないわね」
ミサキがフッと笑った。
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