第26話 二人クリスマス
「凜?」
ビクッと肩を震わせ振り返ると厨房の入り口にハルトが立っていた。
「あ、ハルト」
隠す余裕もなく露骨にホッとするとハルトが寄ってきた。
「驚かせた?」
「いや、そういうんじゃなくて」
「なんかあった?」
「・・・電話が。ジングルベルの音だけ聞こえる電話だった。怖くなって切っちゃった」
ハルトの手が伸びてきてそっと凜を包んだ。
「大丈夫。俺が一緒にいるから」
ハルトの腕の圧迫感に、包まれていると安心して凜は目を細めた。
「あ、ごめん。ありがとう。もう、大丈夫!」
今の状況にハッとしてハルトから体を離すとハルトが慰めるように凜の頭を撫でた。
「夜ご飯どうしようか」
「どこかに食べに行く?」
ハルトの提案に凜は「ん~」と首を傾けた。ハルトと外食は目立ちすぎる。
「今日ご飯作りたくないし、お惣菜を買いにいこうよ。お手軽にクリスマスっぽい食事になるし、家でくつろげるっ」
「じゃ、それで」
凜の運転でスーパーに向かい、パンとオードブル、チキン、それから白ワインを購入した。
「30%割引でこの料理が手に入るとはっ」
オードブルとチキンをテーブルに並べワインを置けば、それはもう立派なクリスマスの食事になった。
「ケーキは後のお楽しみね。あ、ちゃんとお腹あけといてよ!」
鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌な凜にハルトの表情も自然にほころぶ。
「凜こそ、そんなにはしゃいで飲み過ぎないでよ?」
「えぇ~、どうしよっかなー」
一滴もお酒を飲んでいないというのに凜はすでに酔っ払いのようだ。オーブンからバターのいい香りが漂ってくると、おぉっという声を上げ凜がキッチンへとパンを取りに行く。間もなくして登場したのはバターが良くしみ込んだ熱々のフランスパンだ。
「おいしそう・・・」
「ほら、ね。ハルトもテンション上がってきたでしょ!」
そして1時間後、凜は見事に酔っぱらっていた。酔っぱらっていると言っても泥酔ではなくほろ酔い。少しふわふわするとても気持ちが良い酔っ払いだ。その証拠に凜は先ほどからとてもよく笑う。
「そうだ、ケーキにしようよ!厨房の冷蔵庫に入れてあるんだ。持ってくるから待ってて」
「俺が持ってくるよ。凜は酔っぱらってるし、階段で落としたら大変だろ」
「うん、落としたら泣くーっ」
凜は天井を見上げて、くぅーッと悔しそうな顔をして見せた。
「はいはい。で、冷蔵庫のどこ?」
「開ければわかるよ~。ん~、私も一緒に行く」
「いいから凜は待ってて」
グイッと凜を押しのけてケーキを取りに行くと、冷蔵庫の中に二人で食べるには遥かに大きなケーキがそのまま入っていた。
「すごい・・・」
ケーキは二段重ねになっており、白い生クリームと苺が混ざってあるピンク色の生クリームがバラの形に絞ってある。ケーキの側面には白い砂糖で書いたと思われるレースのような模様。輝くフルーツが宝石のように散りばめられ、サンタクロースさえ乗っていなければまるで小さなウエディングケーキのようだ。
「凜が取りに来なくて正解だったな」
ハルトはフッと笑うと慎重にケーキを運んだ。
「そうそう、これこれーっ」
ハルトが二階に運ぶと凜が寄ってきてキャッキャした。
「ちょっと待って。置くまで落ち着いて」
「はぁーい。あ、リビングのテーブルにして。眺めながらゆっくり食べたいのー」
凜はケーキの隣を静かに歩き、ハルトがケーキをテーブルに置くと拍手をした。
「みてー、これ、ウエディングケーキみたいじゃないー?」
ナイフを持って歩く凜の体を支えると凜がハルトの顔を見た。
「ケーキ入刀?」
首を傾けて聞いてくる凜にハルトの胸が沸き立つ。
「そ、ケーキ入刀」
凜の手にハルトは自分の手を重ねた。
「押しつぶさない様にそっと引いて。そうそう、上手」
酔っぱらっていてもこういうところにはちゃんと頭が働くらしい。ハルトはただ凜の手に手を置いているだけなので切っているのはほとんど凜ではあるが、上手、上手と何度も褒める。それが可笑しくて笑うと、凜が不服そうに唇を少しとがらせた。
それを見た瞬間、理性がトんだ。
ハルトの顔が凜に近づいてくる。凜はその光景をスローモーションのように見ていた。少し伏せられた目が凜の唇を捉えている。ハルトの前髪がサラっと動いた。唇まで2センチ、その距離でハルトの動きが止まった。
その止まった唇に引き寄せられるように凜が動く。
気が付いた時には唇が重なっていた。
凜が引けば追いかけるかのようにハルトとのキスは深くなる。
凜を溶かすような甘い香りが何からのものなのか分からないまま唇を離す。
「ケーキ食べよ」
凜はハルトの分と自分の分とをお皿に取り分けるとワインを一口飲んだ。
「このバラの葉っぱの部分さ、これね、絞り袋をこう山みたいにカットして、それでうにょんて絞るんだよ。それから、こっちのレースはね」
制作の過程をあれこれ話すのをハルトはうん、とか、へーと言いながら聞いてくれた。
「こっちのはどうやって作ったの?」
ハルトに聞かれたのが嬉しくて「これはねー」とハルトを見る。するとハルトの手が凜の頬に添えられた。
下まつ毛の本数まで数えられそう・・・
ハルトの唇が凜の唇を捉える。
「あ、苺の味」
「どれ?」
また自然に唇が寄る。
こうして目が合うたびにキスをした。
ピピピピピピピピピピピピ
凜は細くあいた目で枕もとをまさぐり携帯電話を掴んだ。
あれ?私の携帯じゃない!?
「ん、起きた?」
凜が目を開けると同時に頭上から声が聞こえた。
「ハルト!?」
まだ寝ぼけているのかハルトの手が凜を抱き寄せる。なすがまま抱きしめられながら凜は昨日の記憶を辿っていた。
「凜が先に寝たから、俺のアラームで8時にセットしといた」
「ありがとう、すごく助かる」
そうだ、仕事だ。
記憶を辿りきる前にハルトの腕から抜け出して体を起こそうとするとハルトの手が伸びて今度は凜の後頭部に回された。
ん?
ハルトは上体を少し起こすとそのまま凜にキスをした。
「仕事頑張って」
「わ、わかった!!」
記憶を辿るどころか昨晩の記憶が一気に戻り、凜は逃げるようにリビングを後にした。
「やばい。絶対にやばい・・・」
凜は早めに厨房へ降りると頭を抱えていた。昨晩、一体何度キスをしたのだろう。思い返すたびに脳内で再生されるハルトのドアップに凜の顔は真っ赤だ。
「どうしよう・・・それにさっきのアレ」
昨晩だけならお酒の勢いという事もある。でも今朝のは完全にお酒の抜けた朝だ。ハルトは一体どういうつもりなのだろう。考え事をしていると卵が凜の手の中から滑り落ちた。
「あっ・・・、もう、今は仕事に集中っ」
頭の中のハルトを追い出し、今日やる工程を頭の中で整理していく。
「チーズケーキの梱包、チーズケーキの制作、デコレーションケーキが2個、店内用にクッキーを陳列、プチケーキの飾り制作・・・」
12月31日~1月5日まで、ネット販売の方は休みにしてある。お店は1月3日~1月8日まで休みなのであと数日頑張るだけだ。
ブツブツと唱えると完全に仕事モードに入った。そんな凜を一気に恐怖に落としたのは店の扉を開けた時だった。
【あばずれ】と書かれたカードと使用済みテッシュが幾つも店の前にばらまかれていたのだ。
「なに・・・これ」
その景色から犯人の怒りのようなものが見える。
そしてそれは翌日も、その次の日もカードの文字の内容だけ変えて続いた。
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