第23話 頑張っている最中
「こんにちは、凜さん」
凜が店の入り口の脇に置いた猫用の器を片付けていると、頭上から声がした。丸い銀縁の眼鏡にキレイに切り揃えられたショートカット、清潔感のある身だしなみ。40代前半で最近よくケーキを買いに来てくれる佐々木だ。
「佐々木さん、いらっしゃいませ」
「いつものある?」
「チーズケーキですね。勿論ありますよ。どうぞ」
カラン カラン
凜は佐々木を店内に案内すると売り場にある手洗い場で手を洗った。
「それと、このプリンを二つ」
「かしこまりました」
「今日はね、凜さんにプレゼントを持って来たんだ。これ、もしよかったらどうぞ」
佐々木が冷蔵ケースの上に置いたのは手のひらサイズの籠に入ったドライフラワーと同じく手のひらサイズの白熊のぬいぐるみだった。
「わー、可愛いい。でも頂くわけには・・・」
「これ僕が作ったんですよ。このお花にはセンサーが付ていてこうしてそのセンサーに触れると」
テン タラララララン~ トゥルトゥール
「こうして白熊から音楽が流れる。お客さんが来たことを知らせるのに便利じゃないかと思ったんです。白熊の方を二階の部屋に置いておけば、どこにいてもお店に人が来たことが分るでしょう?」
佐々木は人のよさそうな笑顔でほほ笑んだ。
確かにそうだ。用事があって部屋に行くとき、いつも来客を知らせるベルが聞こえないかと耳を澄ませている。これがあれば来客に気が付かないということはないだろう。
「でも・・・」
「遠慮しないで。このお店のファンとして凜さんには長くお店をして欲しいから」
ここまで言われてしまっては要らないとは言いづらい。ましてや佐々木はこのお店の常連さんだ。
「ありがとうござます」
凜が受け取ると佐々木は満足そうに微笑んだ。
その日の夜は数日ぶりのボイスチャットへ。
「失恋した―っ!!」
と叫ぶと、クジョーは何かを噴き出したような音を出し、ミサキは「ちょっといつの間に恋愛を!?」と驚き、たーさんは「男なんていっぱいいるよ」と慰め、サワちゃんは「辛いですよね~」と涙声を出した。
「こんな日はお酒を飲むに限るよ。飲も、飲もっ!」
「みさきぃ~」
「はいはい」
「俺も付き合うかな」
たーさんがグラスに何かを注ぐ音が聞こえ「じゃあ、あたしはジンジャエールで!」とサワちゃんも参加。
「俺は仕事があるんで」とは、クジョーらしい言葉だ。
「男って結婚しようと思う相手がいても、他の女とデートしたりするもなんですかね~?ねー、たーさぁん」
お酒を飲み始めて1時間半が過ぎ、凜はいい具合に酔っ払っていた。
「俺にそれを聞くのー?」
「それ、私も聞きたいです!」
「まぁ、男ってのは決まった相手がいても多くの女性と繋がっていたいんじゃん」
「そんなこと聞いたら男不振になりそうです」
「そんなの人によるわよ!全員がそんなんだったら人類の半分は結婚なんて制度を選ばないわ」
「ミサキぃ~、ミサキの言葉だけが希望だよぅ~」
「こんばんわーっす」
「おーハルト久しぶり。男の仲間が現れると嬉しいよ。クジョーは戦力にはならないからな」
たーさんの言葉にハルトが「なんすか?」と聞く。
「今日はリンの失恋慰め会なのよ。ハルトも一言どうぞ」
「あー、元気出してくださいね」
昨日さんざん甘えた相手にこのように会うのは気恥ずかしい。少しお酒が抜け、凜はスッと姿勢を正した。
「あ、ありがとうございます」
「ねーハルトさん、ハルトさんも男は決まった相手が居ても多くの女性と繋がっていたいっていう意見に賛成ですか?」
サワちゃんが鼻息荒くハルトに聞いた。
「どうかな。人によるんじゃない?俺は一人でいいけど。面倒くさいし」
「なっ、ハルト、裏切り者!」
「俺、いつもたーさんには感心してるんですよ。沢山の女の子と遊ぶってことはそれだけマメってことでしょ?凄いなって」
「ハルト、お前、それって褒め言葉か?」
「勿論、褒め言葉ですよ」
「田丸君はたくさんの人とつながっていたかったのかなぁ・・・うー」
「どうなんだろうね。結局、本当のところは本人にしか分からないし。ま、もう忘れなよ。ほら飲もう、飲もう!」
「そうだそうだ。私もジンジャエールで付き合いますよ!」
「凜ちゃんなら俺がいつでも慰めてあげるよ。身も心もね。個人チャットでもする?ふふふ」
「あーん、みんなありがとうー。ワインでも開けちゃおうかなっ」
たーさんの言葉には触れずに流し、ワインを取りに行こうと立ち上がった時、ハルトの少し明るい声が凜を呼んだ。
「凜さん、お酒はほどほどに、ですよ。あんまり飲むと人恋しくなっちゃうでしょ。この間みたいに」
「!!」
言葉を失って固まった凜の脳を再起動させたのは、ミサキの楽しそうな声だった。
「それってどういうことかなー。ハルトって確か22歳だったよね?あれ?二人ってそういう、あれ?凜がこの間言ってた相手って」
「えぇっ?どういうことですかー?」
「えぇっ!?ちょ、誤解よ!え、いや、誤解でもないけど、えぇっ!?」
「俺、今頑張ってる最中なんで。たーさんもクジョーさんも凜を口説くのはやめてくださいね」
「「「えぇっ!?」」」
皆が同時に声を上げ、その声の中にはもちろん凜の声も入っていた。それからクジョーの声も。
「じゃ、俺は明日早いんで。おやすみなさい」
「ちょっとハルト!!」
凜が叫ぶ声を無視してハルトはサッと姿を消したのだった。
「さて、どういうことか説明してもらおうか?」
「・・・説明して欲しいのは私も一緒なんですけど」
「えぇ~っ、凜ちゃんってハルトのお手付きってこと!?」
「たーさん、そういう言い方はやめてください。手はついていません」
付いてないと言いながら、心の中で「たぶん」と付け足した。
「二人は知り合いだってことですかぁ?」
「うん、とういうか、偶然知り合って。時々会ったりしてる」
「ハルト頑張ってるらしいじゃん。あのテンションでどう頑張ってるのか興味ある」
たーさんの言葉に「頑張ってるってどういう意味ですかね?」と聞いたら、たーさんとミサキが「あぁ」と悲しげな声をあげた。
「つまりハルトの片思いってことか」
ミサキが結論を出す。
「ハルトが私を好きって?それはないでしょ。だって若者だよ?ハルト男前だし、きっと女性には困ってないよ」
凜がそういうと、今度はサワちゃんも含めた3人の声で「あぁ」と聞こえた。
翌朝、豆腐とネギのみそ汁をすすりながらTVを観ているとハルトが画面に映り、凜は画面の中のハルトをしげしげと見つめた。【人気急上昇中の俳優 深谷ハルを特集せよ】というコーナーらしい。凜と会っているときよりも若干テンションが高く、表情もある。少なくとも無表情ではない。
「昨日のアレ、どういうつもりなんだろ。」
確かに最近ハルトとの距離が随分近くなったようには思う。だが、一緒に寝たのは凜が酔っぱらっていたからで、キスしそうになったのはハルトが凜をからかっただけだ。そして一昨日のは、失恋した凜をハルトが慰めてくれただけ・・・。
「仲の良い友達ってことよね」
「ハルさんの好きなものを3つ写真に撮ってきてもらいました。見ていきましょう。まず一枚目はこちら!」
アナウンサーが軽快にパネルをめくると電信柱が写った写真だった。
「これはどういう写真ですか?」
「これは散歩した時に良いなっと思った風景を撮った写真ですね。散歩するのが好きで、その中で見つけた良いなって思ったものを写真に撮るようにしてます。カメラはなんでもいいんですけど」
「で、この時は電信柱を撮ったと」
「そう。空の青さとそれを横切る電線と、無機質な電柱と。そのバランスがいいなと思って」
「確かに。素敵な写真ですよねー。こういう歓声が俳優というお仕事にも役立っているのでしょうか。では二枚目はこちら」
二枚目は腕時計の写真。
「これはバネとか木で作られない部分以外は全部木で作られてるんです」
「すごーい。高そうですね」
「結構しました。だからまだ身につけて歩けてなくて。腕時計に関わらず、時計って好きなんですよね。ゼンマイの回る感じとか、なんか、こう、うまく言えないんですけどね」
「へぇ~」
とTVに向かって凜は言った。
そういえば私、ハルトのことあまり知らないかも。
凜がなんとなく妙な寂しさを感じているとアナウンサーが3枚目のパネルをめくった。
三枚目は猫の写真だ。「俺に似てるらしいんで」とハルトが画面の中でほほ笑んでいた。
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