第22話 あいつの代わりになってもいいよ
「今日が定休日で良かった」
凜は鏡に映った自分の顔を見て心の底からそう思った。
昨晩泣きながら眠ったから酷いことになるだろうとは思っていたがここまでとは・・・。
少し腫れを引かせようと保冷剤を手にしたが、昨日着ていたワンピースが視界に入りまた泣いた。
「こんなんじゃ腫れが収まる暇がないよね・・・」
腫れを引かせるのを諦め、パンパンに腫れた目のまま今日出荷分のチーズケーキを用意した。青井さんの車の音が聞こえた瞬間に冷蔵ケースの上に品物を置いて、忙しくて手が離せないからそこにあるものを持って行って欲しいと厨房から叫んだ。
食事をとる気にもなれず、リビングに座ってTVをつけ何をしたいかも分からず、時折田丸を思い出しては泣いて時間が過ぎた。
「宜しい、ですかの?」
「内容による」
「ほう」
「あらっ」
リックとシーナの声が被ったが、その先を発したのはシーナが先だった。
「どうしたんですか?その目」
「うううう~、シーナぁ~」
同士を見つけたとばかりにシーナに抱き着くと、「ふふ、今日はいつもと反対ね」とシーナがほほ笑んだ。
一通りシーナに話を聞いてもらい、何度も泣き、もらい泣きしてシーナも泣き、リックはおどおどしながら私にもふもふのしっぽを捧げ1時間半が過ぎたころ、ようやく凜は少し落ち着いた。
「お茶淹れるね。ジャスミンティーを買ったの」
3人でお茶を飲みながら、凜はようやく息ができた気がした。冷たいプールの中に潜った時のような冷たさが体の中にあり、ずっと呼吸をしている気がしなかったのだ。
「シーナ、リック、ありがとう。それとごめんね。シーナの話を聞くためにいるのに、反対になっちゃった」
「気にしないで。今まで凜様にはたくさんお話を聞いてもらったもん」
「時間が解決してくれるっていうならもっと早く時間が過ぎればいいのにね」
「ほんとに」
「おや、凜様、携帯電話が光っておりますよ」
リックが凜の携帯電話を持ってきたので着信を確認するとハルトからのメールだった。
「パンがいっぱいあるから持ってきた」
画面から伸びてきた手から袋を受け取るとリックが嬉しそうな声を上げ、その後で凜を見てそっと自分の口を押えた。
「気にしないでリック」
「その目・・・」
「あぁ、ちょっとね。気にしないで。このパン、みんなで食べていい?」
「あぁ、うん。これもあるよ」
ハルトがもう一つの袋を凜に渡した。
「カップスープ?」
「そう、パンには合うでしょ」
「さすがハルト。気が利く。今日はなんか料理する気になれなくて、助かるよ」
お湯を沸かしにキッチンに向かう凜の頭をハルトがポンポンと軽く撫でた。
失恋しても美味しいパンはやはり美味しい。
「このパンというもの、美味しいっ。しかもこれ可愛い」
シーナが嬉しそうに笑って、その傍らでリックがお惣菜パンとデザートパンとを分けていた。きっとシーナの為だろう。分け終わるとリックはカレーパンを手に取り、うほうっという謎の声をあげた。
「リック、その声何?美味しいってこと?」
「もちろん、美味しいという声でございますよ」
ハルトが小さな声で「変な声」と呟いた。美味しいと食欲というものは必ずしもイコールとはいかないらしい。皆が2つパンを食べ終える間に凜は1つのパンを食べ終え、皆がお腹いっぱいになる頃にようやくスープを飲み終えた。
「失恋って食欲もなくなっちゃいますよね」
シーナはそう言った後、口を「あ」の形に開いて手で押さえた。似たもの親子というのはこういう感じかもと思い凜は少し笑った。
「いいよ。ハルトに隠し通せる気もしないしね」
「じゃあこの後はハルト様にお任せしますね」
「え?」
と、答えたのは凜の方で、ハルトは「うん」と頷いただけだった。
二人が帰った後、凜にとっては何杯目かになるジャスミンティーを淹れリビングに座った。正面に座るハルトが凜の様子を伺い見ているのを感じる。
「弱ってんの?」
「・・・ハルト、まさか弱っている人に毎回そう話し掛けているわけじゃないよね?」
「毎回では・・・ない」
同じように話し掛けたことがあるんかい!と凜は心の中で突っ込んだ。
「で、その時の相手の反応は?」
「見たら分かるでしょって」
「ほんと、その通りだわ」
ハルトは何か考えるように頭を搔くと凜の隣に寄った。
「どうしたらいい?俺こういう時どうしたらいいか分からなくて」
そう言いながら凜をやさしく抱きしめた。ハルトの体温が柔らかく凜を包む。
「俺、あいつの代わりになってもいいよ」
「それはダメだよ」
「俺じゃ代わりにもなれないか・・・。」
ハルトの声が自傷気味に凜の耳に届いた瞬間、凜は体を離してハルトを見た。
「そういう意味じゃなくてさ。ハルトはハルトだよ。誰かの代わりになんてならなくていい」
驚いたような顔をしてからハルトがほほ笑んだ。
「じゃあ、今は俺の腕の中にいなさい」
二度目のハグは先ほどよりも少し力強く、凜はそのまま体を預けた。
「私さ、馬鹿みたいだよね。一人で浮かれて」
「学生の時みたいに、告白もしてないのに二度も振られるって。なんか、もうやだ」
「だいだいさ、彼女いるのに他の女性と何度も二人で食事ってどうなのよ?」
「結婚だって。もうほんと、諦めるしかないんだな・・・うぅ」
泣いたり怒ったりする凜の話をハルトは「うん」とか「あぁ」とか言いながらひたすら聞いてくれ、時には鼻をかむようにとテッシュを差し出した。
テレン タラン タララララ~
軽快な音楽に目を開けると凜は枕もとの携帯電話を取った。
「ふぁい」
「凜?」
「ハルト!?」
「そろそろ起きなきゃいけない時間かと思って」
「はっ、今何時?」
「8時半」
「本当だ。起きなきゃ」
「昨日、凜があのまま寝ちゃって。勝手に寝室に運ぶのもどうかと思ったけど寝室に運んだ。一番疲れが取れる場所だろうし。あ、俺もう仕事だから。じゃ」
ハルトは一気に話すと凜がお礼を言う間もなく電話が切れた。忙しい時間の合間を縫って電話をかけてくれたのだろう。凜は思わず携帯電話に向かって手を合わせた。
「ありがとうございます!」
田丸のことを思い出せばまだ痛い。恥ずかしさと情けなさであの日々を消し去ってしまいたい気持ちになるし、思い出す場面によっては涙が込みあがってきそうにもなる。それでもシーナやリック、ハルトのおかげで水の中に居るような感覚はなくなったようだ。
「うん、大丈夫」
仕事を始めれば日常が帰ってくる。胸に空いた穴には、やらなければいけないことがあるという事がありがたいとうことを知った。
カラン カラン
店の入り口のドアを開けると冷たい空気が店内に流れ込み、足元に花が一枝置いてあるのが目に入った。
「今日は寒椿か。ふふふ、律儀な猫さんね」
数か月前、子供を抱えた母猫がうろついていたので果物の欠片をあげたことがあった。その翌日、母猫がネズミをくわえて店の入り口に置こうとしていた時には驚いて声をあげてしまったが、どこで何を勉強したのか最近では時々こうして花を置いていくようになったのだ。凜は厨房に戻るとよく洗ったリンゴの皮を器に入れいつものところに置いた。凜がお昼ご飯を食べる頃には器は空になっているはずだ。
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