第20話 キス
「クリスマスケーキを予約したいんですが」
「佐々木さん、いつもありがとうございます」
「ここのケーキは美味しいから癖になっちゃって」
「そう言って頂けて嬉しいですが、食べ過ぎて体調を崩さない様にしてくださいね」
「僕の体の心配までしてもらえるなんて光栄だなぁ」
「そんな、大袈裟ですよ。はい、これが予約票になりますので、当日はこちらを持ってきてくださいね」
「わかった。でも近いうちにまた来るよ」
「ありがとうございます。お待ちしております」
12月にはいるとクリスマスケーキの予約もぼちぼちと入り始めた。新規のお客さんもゆっくりではあるが増加しているし、チーズケーキのネット販売も完売になる日も出ている。
「順調、順調」
時計を見ながら凜はつぶやいた。順調なのはお店のことだけではない。明後日は田丸との4回目のデートで映画を観るのだ。野外シアターとでもいうのだろうか。屋外に設置された巨大スクリーン映された映画を車の中から観るのだ。車という狭い密室に二人きり、4回目のデート。そろそろ進展があってもいいのではないかと思っていた。
クリスメスケーキ用のマジパンサンタクロースを作るために毎日一時間の残業になっているものの、19時過ぎには仕事は終わり、のんびりとお酒を飲むことが出来る。フランスのちょっと名の知れた洋菓子店で修業してた頃を思えば、夢のような生活だ。
「そういえば今日が二日目だったよね」
先月にハルトが撮影していたドラマが昨日から3夜連続で放送中なのだ。19時半から二時間だなんてまるで凜の仕事終わりを待っていたかのような放送時間についつい観ている。
「昨日、良いところで終わったんだよな~」
おひとり様の簡単飯。豆腐にトマトにイカの塩辛、お味噌汁は今朝の残りだ。
ドラマが始まる。河合直人主演の成り上がり恋愛ドラマだ。どん底にいた主人公が社長令嬢のヒロインに出会い、這い上がろうとするが昔に引き戻されつつも振り切って成功を収める、という流れになるのではないかと思う。ハルトの役どころは主人公の幼馴染であり元カノである今日子(結城リカ)を想う大学生だ。
「あぁっ、もうそんな言い方しちゃだめじゃん」
一人暮らしあるある、TVに向かって話しかけながら観ているとハルトが出てきた。本日何度目の登場だろう。自分の家によく来る人物がTVに出ているというのは不思議な気分だ。
「こういう顔、よくするよねー」
物語も中盤に差し掛かった時、そのシーンは始まった。小雨の降る中、傘も差さずに歩いている今日子と陵。電話が鳴る。今日子の腕を掴む陵。抱きしめてからの強引なキス。彼女の望まないキスを強引にしておきながら、「ごめん」と謝る。その後、陵は今日子の目を見ることが出来ないまま、大切なものに触れるような、ひどく優しいキスをした。
凜は思わず口をあんぐりと開けてそのシーンを見ていた。
女性なら皆、一度はあんな風に触れて欲しいと思うのではないか・・・。思わず赤くなった顔を手で扇いで冷ましていたものだから、携帯電話の着信が鳴った時には飛び上がって声を上げてしまった。
ハルトか・・・。なんてタイミングだよ。
「はい」
「凜?」
「うん、どうしたの?」
「今からそっち行っていい?」
「いいけど、大した食べ物ないよ」
「ご飯はもう食べたから大丈夫」
「あぁ、そう」
何しに来るんだろ・・・、と凜が思ったのもつかの間。
「凜の顔見たいと思って」
「んあっ?あぁ、どうぞ」
凜は思いっきり動揺した。
「お茶飲む?あ、お酒がいい?」
画面から這い出てきたハルトがリビングに座ると凜は思い出したかのようにTVのチャンネルを変えた。
「お茶がいい。明日、朝から撮影なんだ」
「そうだ、ハーブティがあるんだよ。ちょっといいジャスミンティ。それにする?」
「それってもしかしてシーナの為?」
「んー、それだけってわけじゃないけど。お茶で癒せるものがあるなら助かるじゃない?」
お茶をカップに注ぐと、ジャスミンのスッキリとした香りが広がった。ハルトはお茶を受け取るとふぅふぅと息を吹きかけている。
あの唇が・・・。
さっきのキスシーンを思い出し、なんとなくハルトの唇に目が行く。
「俺の口になにかついてる?」
「いや、なんでも、なんでもないっ!」
「凜、変。動揺してる」
ハルトがするっと席を移動して凜の隣に来た。急に近づいた距離。
「実はさっき、ハルトが出てるドラマ観てて。ハルトってあんなキスするんだなーっと思って、それでなんとなく」
迫った距離にハルトの方を見ることが出来ないまま一気に言葉を吐き出す。
「俺が、じゃなくてあれは陵のキスでしょ」
「あぁ、そ、そうか。俳優さんからしてみれば、そうなるのか」
不意にハルトの手が凜の頬に触れ、凜は思わずハルトを見た。
「俺がどんなふうにキスをするのか、試してみる?」
想定外の事態に凜の頭の中が真っ白になる。少し目を伏せたハルトの顔がゆっくり凜に近づき、唇にハルトの唇が掠めた瞬間、ようやく声が出た。
「ダメだろう!」
緊張のあまり一気に喉が渇き、その乾いた喉から発せられたせいか、凛の声は凜さえ聞いたことがないほど低く太く、響いた。まるで、おっさんみたいに。
「ぷっ!」
瞬間、ハルトが顔を反らして噴き出す。
「くくくくくく、今の声、初めてきいた」
お腹を抱えて笑い出したハルトに凜はムムッとむくれるしかなかった。
「お茶淹れてくる」
凜はハルトの笑い声を聞きながらリビングを後にした。
絶対今のキス、私をからかったんだ。
二杯分のお湯を沸かしながら凜は大きく音を立てる心臓を落ち着けていた。
からかったにしては・・・。
凜が自分の唇に触れる。ほんの僅か、微かにハルトの唇が触れた部分。
「ねぇ、凛、田丸さんとはよく会ってるの?」
「そうだねー。再開してからはちょくちょく会ってるかな」
「そう。また会うの?」
「明後日、映画を見に行くよー」
「やっぱ学生時代と変わってないわけ?」
「んーあの頃よりも大人になったなって思う。って10年も経ってるから当たり前か」
凜はハルトにお茶を渡すと、またハルトと向き合うように座った。
「実はさ、高校の卒業式の時に告白しようと思って田丸君を呼び出したんだよね。ドキドキしながら式が終わるのを待ってたんだけどさ、田丸君何事もなかったかのように帰っちゃって」
「それって振られたってこと?」
「たぶん。なんかずっと宙ぶらりんのままって感じ。だからかな、今こうして二人でご飯食べに行ったりしてるってことが結構嬉しかったりするんだよね」
凜は少し俯いてからハルトを見て、照れたように笑った。
「そう・・・。あ、俺、そろそろ帰るわ。お茶ご馳走様」
「あぁ。うん。ハルトさー、明日には大ブレイクしちゃったりしてね」
「?」
「まだ途中までしか観てないけど、ドラマ、すごく良かった。観ていて切なくなるくらい」
「ありがとう。凜にそう言われると嬉しい。・・・また来るね」
「うん、またね」
そしてその日の夜、凜が話していた通り【深谷ハル】はネットの検索ワード1位に輝き、ワイドショーでも話題に上るなど、大ブレイクへの大きな一歩を踏み出した。
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