第19話 陵の中のハルト

「どうする?一旦楽屋に戻る?」

楽屋に戻るには短い時間ではあるが、静かなところで誰にも邪魔されずに頭の中を整理したいと思い、ハルトは楽屋に戻ることにした。

「榊さん、少しの間ひとりにしてもらってもいいですか?5分前には楽屋を出るようにします」

「わかった。5分前には声を掛けに来るよ」

「すみません」

榊が楽屋を出ていくとハルトは部屋の中をゆっくりと歩き始めた。これは考えを整理したい時のハルトのクセだ。じっと座って考えるよりも歩いている方が考えに程よく集中できるのだ。


陵の性格ならきっとさっきの演技のように陵は振舞うのではないかと思う。そこにもう少しハルトの感情を乗せる。

俺だったら・・・俺だったらどうするだろうか。行ってほしくない、でも傷つけたいわけじゃない。

ハルトの中に1つの答えが浮かび上がった。


 「じゃ、本番いくよーっ」

ADの合図で演技が始まった。


パラパラと降る雨。

「あいつのとこに行くの?」

「・・・ごめん」

手を振りほどこうとする今日子を陵が抱きしめた。

「離して!」

声を上げる今日子の両腕を掴み壁に押し付け、今日子が言葉を発する隙間もないほど強引に口づけた。

「やっ」

今日子が顔を背ける。そんな今日子の仕草に陵は俯いた。

「頼む」

掠れて辛うじて聞こえた言葉に今日子が陵を見る。陵はまだうつむいたまま今日子の目を見ることが出来ずにいた。

「陵・・・」

今日子が、リカが思わずハルトを呼ぶ。

「ごめん」

陵は押さえつけていた手を離すと、今日子の顔に触れた。そしてそのまま優しくキスをした。最後まで陵が今日子の目を見ることはなかった。雨が髪の毛から陵の頬を伝う。泣いているのかさえも雨が隠した。



「はい、カーット!!!」

大きな声が現場に響き、ようやくそのスタジオ自体が呼吸を始めたかのようだ。

「いやー、よかったよ。二人ともお疲れさん!」

リカと監督、その場いた人に頭を下げてスタジオから出ようとすると監督が駆け寄ってきた。

「ハル君、今の、すごく良かったよ。君はね、きっと素晴らしい役者になれるから、このまま真っすぐ進みなさい」

「あ、ありがとうございます!!」

ハルトの心臓がまだ大きく脈打ち、掌が熱い。陵とハルトが感情の部分だけシンクロした気がした。感情には根っこがある。その感情を持ってどう表現するか、そこが人それぞれになるのかもしれない。まだはっきりとは見えない何かに触れた気がした。

「いやー、今日の本当に良かったよ。僕も思わず息をのんじゃった。監督も大絶賛だったし、今日の演技はきっと次の仕事に繋がっていくよ!」

やや興奮気味の榊と一緒に楽屋を出る。

「あ、ごめん。電話だ。ちょっと待ってて」

榊が通路を曲がってハルトから遠ざかると、それを見計らったかのようにリカが寄ってきた。


「今日は本当にありがとうございました。あの、もしよかったらこの後食事でもどうですか?演技のこと教えて欲しいし、私、誰にも見つからないお店知ってるんで」

「いや、それはちょっと」

「何か用事でもあるんですか?私本当に演技のことで悩んでて・・・。深谷さん、なかなかメールの返信もくれないし・・・」

リカの上目遣いにイライラしていると背後からぐっと肩に重さがかかった。ハルトの鼻を爽やかな夏の朝のような香りが掠める。

「悪いけどハルは今日、俺にご飯を驕る予定があるんだ。だからリカちゃんはまた今度ね」

「河合さん。そうなんですね。じゃあ、また今度」

「リカちゃん、ハルもリカちゃんも今、売り出し中でしょ。二人でご飯はやめた方がいいよ。お互いにとってプラスにはならないから」

「あ、はい。・・・お疲れ様でした」

おずおずと下がる様にしてリカが去るのを見届けた後、河合は豪快に笑った。

「狙われてるねぇ、ハル」

「笑い事じゃないですよ」

「もちろん、今日の夜ごはんは驕ってくれるんだろ?」

「…驕らせていただきます」





 その日河合が連れて行ってくれたお店は40代のバーテンダーがいるBARだった。店内は薄暗く、騒ぐ人はいない落ち着いたBARだ。

「会員制のバーだから一般人は来ないよ」

河合はカウンターの端に座るとハルトに隣に座る様に言った。

「何になさいますか?」

「ソルティドッグを。ハルトは?」

「あ、俺、あまりカクテルとか詳しくなくて、甘めでさっぱりしたものがいいです」

「かしこまりました」

しばらくしてバーテンがソルティドックとピンクから白へのグラデーションが奇麗なカクテルを持ってきた。

「こちらは当店のオリジナルカクテルです。カンパリリキュールにジン、柑橘系の果物をいくつか入れて仕上げにハーブを入れてあります。見た目でも楽しめるカクテルになっております。どうぞ」

ざっと説明してくれたがそれだけではない。ハルトのカクテルに使われている氷の中にはキレイな青い花が入っており、なんとも幻想的なカクテルだ。

一口、口に含めば、甘さと少し苦み、それらをフルーツが包み込み喉を過ぎる時にハーブの余韻だけが残る。口に入れた時にはあんなに華やかだったものが喉を過ぎればスッと消えてしまう。口に含んでいた時間が夢のようで、また飲みたくなる見事なカクテルだ。


「河合さん、カクテル、3杯までにしてくださいね。それ以上は払える気がしません」

「ぷっ、くくくく。いいよ、お金なんて。そんなことよりさ、あれからどうなった?」

「どうもこうも、特に何も。あ、でも、状況はだいぶ良くないです」

河合は眉毛をピクッと動かして、何?という表情をした。

「河合さんが言ったとおりになりました。デートの相手、昔好きだった人でした」

そして今も、凛が田丸に惹かれていることを言おうとしたが、言葉にすると揺ぎ無く本当のことになってしまうような気がしてハルトは口をつぐんだ。

「どんな人?」

「彼女いわく、外見はばっちり理想のタイプらしいです。外見ってそんなに大事ですかね?」

「そりゃあ大事だろうよ。外見じゃなくて中身だっていうのはさ、自分が妥協できる外見っていうのを最低ラインにしてるわけよ。ちゃんとみんな外見も見てるよ」

「妥協できるレベルどころか、理想の人なんて、俺、めちゃめちゃ不利じゃないですか」

「そうだなぁー。いっそのこと諦めて他の人にしたら?」

「河合さんなら諦めますか?諦められますか?」

河合はカクテルを一口飲むと、んーと言いながら目を閉じた。

「諦められる位置にいるかどうかじゃない?俺はずるいから、諦められる位置にいる間にグイグイ押して相手の気持ち測っちゃうんだよね。それでダメなら引く。ハルトは今どうなの?引ける位置にいるの?」

「・・・いないと思います」

「あーぁ」

河合はやっちゃったね、というような声を上げた。

「ねー、山崎さん、山崎さんなら自分の好きな相手に理想の相手が現れたらどうする?」

河合に話を振られてバーテンダーがこちらを向いた。


「そうですね、私なら自分が相手より優れているところをさり気なくアピールしますね。だって相手より良いと思ってもらえなければ、好きになって貰えないですから。あとは、できるだけその人の近くにいることです」

「近くにいるっていっても俺らみたいな仕事じゃあなぁ」

バーテンは河合に二杯目のソルティドッグを差し出すと微笑んだ。

「そばにいるって何も身体だけの話ではないんですよ」

「だってよハルト。さすが山崎さん、深いねぇ」

「そばにいる・・・か。やってみる。でも相手より優れてるところってどうやって比べれば・・・」

「相手の名前は知ってる?」

「はい、まぁ」

「出身校は?」

同級生だって言っていたから凛と同じ学校のはず。

「知ってます」

「年齢も、出身も、名前も知ってると。それだけ知ってれば十分だよ。今の次代、ネットをググれば情報は出てくるもんさ」

「・・・そうですね。なんか、こわいけど」

「どうしても欲しいものがあるなら、なりふり構わず行けよ。犯罪と迷惑行為はだめだけどな」

河合はハルトの背中をバンバン叩いて、若いって素敵だなと呟いた。



 河合と別れて帰宅した後、酔いが覚めないままハルトはPCを起動した。

【愛媛県 三洋高校出身 田丸 29歳 野球部】

知っている情報を並べて検索キーを押す。検索のトップには高校のホームページ、愛媛県野球部の試合結果、愛媛県の作家 田丸権蔵の情報。4ページ目をめくったところで、馬鹿馬鹿しくなった。

「何やってんだろ・・・」

こみ上げる虚しさにPCの電源を切ろうとしたとき、SNSページのHITが目に入った。

【愛媛県出身 田丸潤一郎 29歳】

反射的にクリックすると表示される写真。間違いない、あの田丸のSNSページだった。


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