第13話 襲ってないよね?

ダイニングキッチンからリビングへと場所を移して、二人飲み会の始まりだ。リビングもウッド調の家具で揃えられており、一枚板で作られたテーブルの下には柔らかなラグマットが敷いてある。床で自由に体を伸ばしたいという理由でソファは無い。その代り、クッションのようにも見える座布団が4枚置いてあった。

「つまみ持ってきた」

ジャージ姿でも俳優になる人というのはやっぱりどこか違う。一つ一つの動作がなんとなく絵になるのだ。ずるいなぁ、と思いつつ凜がお土産を受け取ると、ワインにはぴったりのつまみだった。

「おぉーっ、チーズコレクションじゃん!」


凜は嬉しそうにワインとクラッカー、蜂蜜を持ってくると、グラスにワインを注いだ。注ぎ口からワインの複雑な香りが漂い、グラスの赤が二人を誘う。

「じゃあ、お疲れさまー」

生温かな口の中にワインの冷た過ぎない冷たさが心地よく沁みる。

「クラッカーにこうしてブルーチーズを乗せて、ちょっと蜂蜜を垂らす。これ食べたことある?」

「ない」

「びっくりするくらい美味しいから食べてみてよ。ブルーチーズの臭みが蜂蜜でいい感じに薄まるのよね。消えたわけじゃなくてちゃんと奥に深みとしては存在してて、本当に美味しいんだから」

凜に猛烈におすすめされてハルトがクラッカーを口に運ぶと本当に凛のいう通りだった。

「これ、合う」

「でしょー、大好きなんだよね、この味」

凜は一口でクラッカーを食べると、ん~これこれ、と幸せそうな表情をした。


「そういえば、これ。いつもご飯をごちそうになってるから」

ハルトは手のひらサイズの紙袋を凜に渡した。

「開けていい?」

凛の言葉に頷く。凜が紙袋を開けると赤い木の実をつけたヘアピンが2本入っていた。赤い実だけじゃなくシルバーの枝もついており、赤なのに若すぎない。凜にだけじゃなく、山の中にある凛の店にもよく似合いそうなヘアピンだった。

「うわぁ、かわいい。これ、この家にも似合うみたい」

「俺もそう思った。つけてみて?」

ハルトは凜がヘアピンを耳の上あたりに2本並べてつける様子をじっと見ていた。自分が選んだものを凜が身に着ける。それは何とも言えない昂揚感をハルトに与えた。

「どう?」

「少し曲がってる。ちょっといい?」

ハルトが凛の髪の毛に手を伸ばす。ハルトの手が凛の頬に触れるか触れないかの位置にあり、その手からぬくもりが伝わってくると、凜は落ち着かなくて体を少し離した。

「ちょっとくらい曲がってても大丈夫。ありがとう、すごく嬉しい」

「良かった、喜んでもらえて」

元の位置にもどり、ワインを口に含むと「猫から人間に・・・か」とハルトは心の中で呟いた。



「そうだ、あれ飲もうよ」

飲み始めて1時間半。顔色はちっとも変わってないのに凜は結構な酔っぱらいだ。

確か、ワインをグラスで2杯しか飲んでいなかったような・・・。

「凛って本当にお酒弱い」

「経済的で素敵でしょ。でも、もう少し飲めるといいんだけどなー。ねー」

首を傾けて、ねー、という仕草は酔っ払った時の凛の癖なのだろう。いつもはしっかりしているのに、酔っ払うと少し子供っぽくなる。そんな姿が微笑ましい。

「じゃーんっ」

凜が効果音と共に持ってきたのはスキャット族から報酬として貰ったお酒だ。

「こっちのワインはどうするの?」

「それはー、ハルトにあげる。ねー」

ハルトは酒豪という程ではないがお酒は強い方だ。ワイン1本で多少酔っぱらいはするが、あくまで多少だ。

「いいけど、ほどほどに」

「大丈夫。自分の限界は知ってるもんー。いい歳ですから」

ふふん、と凜は笑うとガラスのお猪口のようなグラスにお酒を注いだ。

「ハルトも飲む?」

「じゃ、一口だけ」

軽く乾杯して口に含むと、何とも言えない酸味がハルトの口の中を支配した。その奥には果物の様な甘みを感じる。ハルトにはその美味しさは理解できなかったが凜はとても気に入った様子だった。

「これ美味しいっ。甘くって酸っぱくって。ん~」

凛の目がトロンとしている。ペロペロと舐めるようにお酒を飲み干すともう一杯お酒を注ごうとした。

「もうやめておいたら?」

凛の手を掴むと凛が夢心地のような眼差しでハルトを見た。


「もうちょっとだけ」

「結構酔ってるよね?」

「ん~、気持ちいい」

会話になっているのかなっていないのか微妙な返しにハルトは凛の手からお酒を奪った。

「もうおしまい。楽しいうちにやめるのがいいよ」

「うう~」

ハルトがお酒を冷蔵庫に入れて戻ってくると、四つん這いで歩いてくる凜がいた。そのままハルトの足元に来るとハルトの足に寄り添う。

「どっちが猫なんだか・・・」

ハルトがそう呟いた瞬間、凜が仰向けに寝転がった。にゃん、とでも鳴きそうな姿にハルトは思わず自身のこめかみに手を当てた。


猫化した凜を隣に置いて、ハルトはどうしたものかと残りのワインを飲んでいる。凜がこんな風に酔っ払っているのはきっとスキャット族から貰ったというあのお酒のせいだろう。猫にまたたび、正しくそんな感じだ。

ハルトが今困っていることは、凜がハルトにすり寄ってくることだ。お風呂上がりのシャンプーの香り、下はジャージだが上に着ているのは長Tなので、触れた所から凛の体温を感じる。

どんな拷問だよ・・・。

「はぁ」

ハルトがため息をついていると目の前を凛の手が横切り、ハルトのワイングラスを掴んだ。

「ちょーらい」

「ちょ、待って!」


ハルトの手が凛の手を追いかけてグラスを奪い取った。

「あっ・・・う~」

密着する体と体。

「もう、ったく。・・・そろそろ寝る?」

「寝ない。だって、寝たら帰っちゃう、れしょ?」

「まぁ、そりゃ、帰るけど・・・」

「じゃあ、やだ」

「やだって言われても」

ハルト自身も凛と一緒にいたいと思うからこそ、ハルトは困っていた。ハルトの一緒にいたいという気持ちと凛の一緒にいたいと思う気持ちは気持ちこそ同じであれ、根っこが違う。凛の一緒にいたいという気持ちは人恋しさから来たもので、ハルトじゃなくてもいいのだ。


「わかった。ちゃんと寝るところがあればいいんれしょ」

凜はおぼつかない足取りでハルトを引っ張る。戸惑いつつもついて行くと凜は一つのドアを開けた。

寝室・・・。木のベッドに白いシーツに枕。ベージュの布団。シンプルに整えられた空間は、いつもの凛、そのものだ。

「一緒に寝よー」

ハルトをグイグイ引っ張ったかと思うと凜はそのままベッドに倒れた。

「ったく、仕方ないな」

ハルトは凜をベッドに寝かせるとベッドの脇にしゃがんで凛の頭を撫でた。

「こんな気持ち抱えて一緒に寝られるわけないのに」

凛の髪の毛についているヘアピンをそっと外していると、凛の唇が微かに動いた。

「ん・・・田丸くん・・・」


瞬間的にハルトの体中の血が沸き立つような感覚を覚えた。

「俺は猫じゃないよ、凛」







朝の光が差し込む。いつもと同じ爽やかな朝だ。背中の温もりを除けば・・・。

凜は背中をハルトに抱きかかえられたまま昨晩の記憶を漁っていた。


一緒にお酒を飲んだ。スキャット族のお酒を飲んだあたりから妙に心地よくなって・・・ハルトにくっついた。一緒に寝ようと誘ったような気もする。その後の記憶がない。凜は、自分のしでかしたことに頭を抑えた。服は着ているからって何もしていないとは限らない。だいたい、11月の半ばだというのにいたしたからと言って裸では寝ないだろう。


背中にハルトの息遣いが聞こえる。お腹に回された手が意外と大きい。凜はハルトの温もりにどうしようもない罪悪感を覚えた。若者にこんなことをさせるとは私・・・。

まさか、襲ったりしてないよね?していないと言い切れないところがヤバい。


私、そんなに欲求不満だった!?と、凜は心の中で叫んでいた。




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