第11話 上手な別れ方

ハルトの部屋に帰るもなんとなく気まずい空気が流れていて、このまま自分の家に帰ってもいいのだろうかとさえ凜は思った。それでもこのまま居座るわけにもいかず・・・。

「今日はありがとね。凄く助かった」

「もう帰るの?」

PCへ向かおうとする凛の腕をハルトが掴もうとして、掴まずに手を下した。さっき手を振り払われたことを気にしているのだろう。ハルトの頭にしゅんと落ち込んだ猫耳が見える、ような気がする。

「うん、帰ろうと思ったんだけど、ハルトも来る?」

「え、いいの?」

「うん、今日一日振り回しちゃったし、お腹空いてるでしょ?」

ハルトはお腹に手を当てると「あ、空いてるかも」と少し笑った。



「あー、やっぱり自分の家が落ち着くっ」

家に帰るなり部屋着に着替えて髪の毛を軽くまとめるとハルトのいるリビングへと戻った。

「いつもの服」

「そ、なんだかんだ言ってこういう恰好が一番落ち着くんだよねー、あ、ご飯、簡単なものにするからね!」

「作ってもらえるならどんなものでも。お茶、何にする?」

「んー、煎茶がいいな」

「了解」

料理を始めた凛の視界の先でハルトがお茶の用意をする。お茶の場所、湯呑みの場所もちゃんと把握していてその動きに迷いがない。

ハルト、家に馴染んできてる。

ずっと一人でいた空間に他人が馴染んでいくというのは妙にくすぐったいような気がした。結婚ってこういう感じなのかもしれない。ぽっちゃりとした熊さんみたいな旦那さんが、こうしてお茶を淹れてくれてその姿を見ながら美味しい料理を作る。いいなぁ、そういう日々も。凜が幸せな妄想に微笑んでいると、目の前にハルトの顔が現れた。


「何考えてんの?顔がにやけてる」

「え、あぁ。ハルトが随分、家になじんできたなぁと思って。結婚ってこういう感じなのかもね」

「妄想してたの?」

「ちょっとね」

凜はそう言って肩をすくめた。

「その妄想の相手って俺?」

「そんなわけないじゃん。いくら私でもその辺は弁えております」

「ふぅん、そう・・・」

弁えるってなんだよ、とハルトが小さくつぶやいた声は凛には届かなかった。



食事を終え、明日朝が早いというハルトを見送ると凜はホットワインを片手にPCを起動した。いつものボイスチャットだ。ログインすると直ぐにサワちゃんのうえぇぇええん、という泣き声が聞こえた。

「こ、今度はなに!?」

ガチな鳴き声に若干引き気味になりつつ聞くとクジョ―が答えた。

「付き合っていた男に振られたんだと」

「振られたの?振ったんじゃなく?」

「振ろうかどうか悩んでいる間に振られたらしい」

うぐ、うう、うえええーん

サワちゃんの鳴き声が一段と大きくなると、ガサガサっと音がしてミサキの声が聞こえた。

「こっちから別れる手間が省けて良かったじゃない。ねぇ、リンもそう思うでしょ?」

スプーンがカップにカチカチっと当たる音が聞こえたので、飲み物を取りに行っていたのだろう。

「そうねぇ。結局、合わなかったってことだよ」

「でも、でもっ、彼、別れる時に私のことを嫌いになったわけじゃないって言ったの。私だって彼のこと好きだもん。だったら別れる必要なんてなくない?」

サワちゃんはそう言ってまた、うええええん、と泣いた。

「でた。自分が大事な男の常套句」

「どういうこと?」

「別れたいけど自分はいい人のままでいたいっていう奴が、大抵こういう言い方するのよ」

「でも、それが本心かもしれないじゃないですか・・・うぅ」

「本心は「別れたい」って言う部分よ。別れる時に「君のことを嫌いになったわけじゃないけど」なんて言われたら気持ちが残ってる方は諦められないじゃない」

「確かに・・・そうかも」

サワちゃんは何も言わずに、うぅっと声を漏らした。

「だから、別れる時は嘘でも、もう好きじゃないってはっきり言った方が相手の為なのよ。もう望みはないです、復縁することはないですってはっきりした方が、次に進めるじゃない」


確かにそうだ。凛はホットワインを口に含んで夕方のハルトのことを思い出していた。有紀さんに対するハルトの態度は冷たいのではなくて、あれはハルトの優しさだったのかもしれない。少なくとも、私が二年間話してきたハルトは冷たい人間ではなかった。実際に会うようになってからもそれは変わらない。意外と真面目で礼儀正しい。

そうか、そうだったんだ。あの態度をハルトの優しさと考えた時、胸にひっかかっていたものがスッと落ちたような気がした。






 「今日、何時に終われそうですかね?」

「撮れるだけ撮るって監督が言ってたからねぇ。今日中に帰られたらラッキーじゃないかなぁ。なんか用事あるの?」「いえ、特に用事はないんですけど」

「日付が変わってからの帰宅がこう続くと、流石にゆっくり休みたいよねぇ。主演の河合君の予定が詰まっててどうしても河合君のスケジュールに合わせての撮影になっちゃうから仕方ないところもあるんだけど、ハル君大丈夫?」

「大丈夫です。むしろ、こうしてドラマに出させて貰えることが有り難いんで」

「良かった。でも、本当にヤバい時には言ってね」

「はい」


今日も無理か・・・。

窓の外を流れる景色を見ながらハルトは榊に気付かれないようにため息をついた。


凛と展示会を見に行ってから10日。撮影が忙しくなり凛の家に行けていない。展示会の日の微妙な空気が凜とハルトの距離を遠ざけてしまったような気がして、ハルトは落ち着かない日々を送っていた。

メールでも送ろうか・・・。でも何て送ればいいんだろう。

同じような質疑応答を自身の中で繰り返して、結局何も出来ずに今日に至る。

「着いたよ。今日は海での撮影になるから、まず向うにあるワンボックスカーに行って衣装に着替えて。僕は先に監督に挨拶してくるから」

「わかりました」



「深谷さんの衣装はこれです。着替えたら髪の毛、セットしますね」

ハルトがスタイリストから服を受け取りワンボックスカーに乗り込むと、座席に置かれていたヘアピンが目に入った。パステル調のリボンのついた可愛らしいもの、小さな花をデザインした大人っぽいもの等、数種類のヘアピンが無造作に置いてある。

「ハル、俺も入っていい?」

「河合さん?いいですよ」

開けるぞ、の声と同時に車のドアが開き河合が入ってくる。役の為に染めたアッシュ色の髪の毛が陽の光に透け、目の鋭さを引き立てる。その鋭い目がハルトを見てニコッと細められた。


「お疲れ様です」

「おう、お疲れ」

河合は挨拶をすると、そのままハルトに顔を近づけた。

「ん~、相変わらず無表情だな。この間はちょっと機嫌良さそうだったのに、今日はいつもの無表情だ」

「人の表情を分析するの、やめてもらえませんか?」

「観察だよ、観察。いつか無表情な役をやるかもしれないだろ?」

河合はククッと笑うと「で、最近どうよ?」と聞いた。


「どうよって・・・。何も変わらないですよ。いつも通り」

ハルトが服を脱ぎはじめると、河合がまたじっとハルトを見た。

「着替えづらいんですけど」

「お前、もう少し筋肉ついてもいいなぁ。もう少し筋肉つけたら、抱かれたい男ランキングにも入れるかもよ?」

河合はそう言いながらクククと笑った。

「・・・どうやったら太れますかね?」

口にした瞬間、自分の言葉に驚いて口元を押さえたが、河合が動きを止めて面白そうな顔でハルトを見た。

「なんでもないです・・・なんでもないですってば」

「そんなわけないだろ?」

河合が履きかけのパンツもそのままにハルトの肩に手をかけた。

「後で先輩が相談に乗ってやる。ふふん」

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