第9話 お邪魔します
「これ、行きたい!!!」
凜はハガキを手にするなり声をあげた。
「差出人がアレンっていうのに気が引けるけど、もう過去のことだしね」
凛の持つハガキには【ピエスモンテ展示会】の文字が大きく書かれていた。ピエスモンテとは店舗の装飾やイベントなどの為に制作される観賞用の造形作品のことで、全てを菓子材料で作ったものである。芸術的なセンスと高度な技術を必要とするもので、見るだけでも刺激になるし勉強にもなる。
「なるほど、先日行われたコンテストの入選作品を中心に展示してあるのか。これは萌えるっ。問題はどうやって時間を作るか、よね」
展示期間は11月3、4、5日の3日間。
「って来週じゃん!!」
予約を確認すると展示期間も通常通りにしっかりとチーズケーキの予約が入っていた。凛のポリシーは前日に作った物を急速冷凍し翌日冷凍便で発送するというものだ。いくつか方法を試してみたが、この期間が一番おいしさを損なわずに発送できる。
展示会の会場は幕張メッセ。家から行くとバスと電車を使って3時間半はかかる。移動だけで往復7時間。
「う~・・・」
凜は頭を抱えた。午前中にケーキを作り、集荷の時間を午前中に変更して貰ったとして移動して会場に着くのは早くて15時半。会場が閉まるのが17時。
「1時間半じゃ見たりない・・・」
凜は頭を抱えたが、待てよ?と考えを巡らせた。
「ハルトって三軒茶屋に住んでるんじゃなかったっけ?」
直ぐに携帯で調べると三茶からなら1時間半で幕張メッセに行けるらしい。これは!!凜は正座をしてメールを打つと、祈る様な気持ちでハルトに送信した。
当日。本当なら着ていくはずだったお気に入りのワンピースとカーディガンをベッドの上に置くと、黒のパンツに長T、ロングカーディガンに着替えた。そこにキャップを被れば、パッと見、少年のようにも見える。(顔が見えなければ、ではあるが。)帽子は深めに被り、髪の毛はまとめて帽子の中に入れた。黒縁の伊達眼鏡もかけた。
「よし、これで良いだろう」
「準備できたよ」
PCからハルトの声が聞こえた。以前はリックに連れられて画面をくぐったが、今回は一人だ。恐る恐る画面に手を触れると凜が触れた先から水面のように波紋が広がり、画面はそのまま手のひらを飲み込んだ。手に生温かい感触。ぐいっと手を握られる。
「そのままこっちに来て。大丈夫」
画面を抜けると整理されたハルトの部屋に立っていた。当たり前だけれど、あの日孫娘が壊した形跡はもう無い。握られたままの手をどうしたものかと凜は思ったが、振りほどくのもおかしいと思いそのままにした。
「本当にハルトも行くの?」
「はい、せっかく午後休み取れたんで。それに今まで関わったことのない世界を覗くことは、俳優の幅を広げることにもなるし・・・。迷惑だった?」
「迷惑じゃないけど、大丈夫なの?」
「何が?」
「ハルトって芸能人じゃん。人気急上昇中でしょ。私なんかと一緒にいて周りにバレたら大変じゃない?」
「あぁ、それでこの恰好ね」
ハルトが凜の全身を見る。
「芸能記者さんだって俺に構うよりもスクープしたい芸能人はたくさんいるよ。だから・・・」
ハルトの手が凛の顔に触れ少し上を向かせると、黒縁の眼鏡をそっと外した。
「これはい要らない。それと」
今度は帽子を取ると、クルクルとまとまって帽子の中に隠れていた髪の毛を解いた。
「パーマかけてるんだ。かわいい」
へ?
目を見開いて固まる凛のことはお構いなしにハルトは帽子を戻した。
「長い髪の毛も隠さなくて大丈夫」
「あ、はい」
「じゃ、行こう」
一応念のためハルトとは別々に家を出て駅で待ち合わせ、電車に乗ること1時間20分。京浜幕張駅で降りて歩くこと7分。その間、意外にも誰にも声をかけられることはなかった。
「ほら、大丈夫だったでしょ」
凛と同じようにキャップを被り、凜がしていた黒縁の眼鏡をかけたハルトが凛の帽子の鍔を少し上げながら言った。凛の顔を少しだけ覗き込むような仕草だ。
「だね、案外平気なんだ・・・」
凜は自分に言うように呟いた。会場は幕張メッセの9~11ホールになっており、それほどぎゅうぎゅうに人が混み合うこともなくしっかりと展示物に目を通すことができそうだ。凜が家から持ってきたハガキを受付で出すと、そのハガキが入場チケットとなっており、会場案内図を渡されて会場内へと通される。因みに、このハガキ1枚で2名までの入場が可能だ。
「作品が展示してあるのは9、10ホールで、11ホールではイベントが行われているのね」
「イベントってどんなやつ?」
ハルトが凛の持っている会場案内図を覗くと、帽子の鍔がコンと当たった。二人の距離の近さにハッとしてハルトが少し離れる。
「ん~、制作ショーだね。賞をとったパティシエが日替わりで何か作るらしい。これ、絶対に見に行きたい!」
「うん、行こう」
展示場にはチョコレートで作った花を飴細工の紙でまとめた花束や、お砂糖で作った小人たちの音楽ステージ、シックなものからメルヘンなものまで、たくさんの見事なピエスモンテが展示されていた。
「すごい。これ、どうやって作っているんだろう」
作品はどれもガラスのケースに入っており、勿論の事触れることは出来ない。それでも、どの色で着色されているのか、どこで接着し固定しているのかが気になって前のめりになる。作品に感心したり、微笑んだり、悔しそうな視線を送ってみたり、挑むような眼差しだったり。ハルトはそんな凛の表情の方が気になって、作品と凜を交互に見ていた。
「あ、これ・・・」
凜が呟いて、ほうっと息を吐いたのはバタークリームで作った大きなウエディングケーキだ。
「凜もこういうのに憧れるの?」
「うん、いつか作ってみたい」
「そっちか」
「え?」
「自分の結婚式にこういうのを置きたいとか思わないの?」
「そりゃあ・・・。ってか、結婚するかも分からないしなぁ。でも、そうだね、こういうケーキがあったらきっと・・・嬉しいな」
凜が結婚式を妄想したかのようにもう一度うっとりと目を細めると、ハルトは思わずその頭をポンポン、と撫でた。
「わお、ボンジュール 凜!!」
急に背後から抱きしめられた凜が思わず背後の敵に肘鉄を食らわすと、うぐっという鈍い声が聞こえた。
あれ?フランス語?
そう思いながら振り返ると明るいブラウン色の髪の毛が凜に頭のてっぺんを晒していた。
「うう、酷い。3年ぶりの再会だというのに」
「アレン!?」
「そうだよ、ハニー。会いたかった!!」
両手を広げてハグするアレンを肘鉄の件もあり甘んじて受け入れる。
う・・・絶妙な良い抱き心地。
凜がうっとりしそうになった瞬間、アレンが凛の耳元で囁いた。
「また太っちゃったんだよ。付き合っていた頃を思い出すだろう?」
我に返った凜はグイッとアレンを押し戻すと凜はハルトの方を向き直った。
「ハルト、こちらはアレン。フランスで修業していた時の同僚なの」
アレンには友達のハルトだと紹介すると、アレンから手を差出しハルトがその手を握って握手をした。
「僕の作品を見に来てくれたんだよね?」
「え?アレンの作品があるの?」
「そうだよ。そうハガキにも書いたじゃないか」
「ん?」
「もう、酷いなぁ」
アレンは凛の手を握ってどんどんと歩いて行く。190センチの身長でポチャッと体系のアレンが歩く姿はなかなか迫力があり、アレンを避けた人が驚いてパンフレットを落とした程だ。掴まれた手を解くことも出来ずに、ペコペコと頭を下げながら歩く凛の手を、逸れないようにとハルトが掴んだので3人で手を繋いで歩くという幼稚園児のような図になった。
「ホラ、コレガ僕ノ作品ダヨ」
ハルトにも見て欲しかったようでアレンが日本語で言う。アレンの作品はマジパンやチョコレートで作った仕掛け絵本の1ページだ。皆が良く知っているシンデレラを題材にしているらしい。魔女に魔法をかけられて変身したシンデレラの様子が生き生きと表現されていた。
「相変わらず見事な芸術的センスね。技術は努力でどうにでもなるけど、感性やセンスは持って生まれた力が大きいから・・・。ほんと、嫌になっちゃうわ」
「なんだって?」
日本語がうまく聞き取れなかったアレンが聞き返す。
「パティシエやめて芸術家にでもなったらいいのに」
少しむくれたように口を尖らせて言うと、アレンがぱぁっと笑顔になった。
「メルシー凛。最高の褒め言葉だよ」
頬にキスをしてきたアレンを押しのけていると、凛の視界に50代前半の白髪交じりのブラウンの髪の毛が目に入った。昔より幾分、表情が柔らかくなった気がする。
「料理長!!料理長も来ているの!?」
「あぁ、僕の入賞記念にね。店をマイクに任せて一緒に・・・って凛!」
アレンの説明も聞かずに凜は料理長の元へと駆けだしていた。
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