第3話 来訪

冷蔵ケースにケーキを並べ終えるとお客さん側からケーキの並びをチェックする。凜はいつも「人は無意識にZのラインで見る」という法則を利用し冷蔵ケースの上段、左上に一番のおススメケーキを配置、その後は色のバランスを見ながら配置している。

「うん、これでよし!ちょっと早いけどお昼にするかな」

厨房の片隅に椅子を置いて昼ご飯を並べていると携帯電話がチカチカ光っているのが目に入った。


【今からそっちに行ってもいいですか?無理ならいいです】


「ハルト!?」

連絡先を交換してから2週間、ボイスチャットでいつも通りみんなと話していることはあっても連絡が来ることはなく、ほぼ忘れていた。

「二時間前、か。取りあえず返信しとこ」


【ごめん、今気づいた。今からで良ければいいけど】

【仕事中ですよね。すみません、直ぐ行きます。準備お願いします】


「返信、早っ!」

二口かじったおにぎりを厨房のテーブルに置き二階へ行くとPCの電源を入れ、床に置いた。

「リンさん、聞こえますか?」

「聞こえるよ」

「じゃあ、行きますね」

「うん」

最初に現れたのは手だ。画面からゆっくりと手が出てくる様子はどう見てもホラー映画だ。先に出した手を床について頭が出る。

「あ、床だ」

ハルトは床を目で確認するとそのまま画面から這い出してきた。

・・・ホラーにも程がある。夜に来るのは勘弁してもらおう。

画面がようやくハルトを生み出すと、ハルトは立ち上がって私を見た。

「あ、お邪魔します。これ、どうぞ。急に思いついたんでこんなものですみません」

身長は175センチくらいだろうか。白いTシャツの上に紺色のシャツを羽織り、黒いタイトなパンツ姿のハルトは手ぶらじゃ何だと思ったのかバナナを差し出した。

バナナとイケメンて・・・。

「気を遣わなくてもいいのに。でも、ありがとう」

「リンさんてこういう部屋で暮らしてるんですね。意外ときれい」

「それどういう意味よ」

「仕事をバリバリしているから部屋を掃除する時間があんまりないのかなって思ってて」

「私、プライベートの時間はちゃんと取れるように仕事してるからそんなに急がしいって程じゃないんだ。むしろ、プライベートの時間もちゃんと欲しいから自分でお店やってるんだよね」

「ちゃんと考えてるんですね。あ、今仕事中でした?」

「ちょっと早めのお昼休憩中。でもお店は開けっ放しだからもう戻らないと」

「そうですよね。忙しいのにすみません。俺、適当に外歩いてるんで大丈夫です」

「うん。この階段降りて突当りが玄関だから、そっちから出て。私に用がある時は携帯だと気が付かないから直接店に来てくれていいから」

「わかりました」


夕方。

いつものように接客をし、チーズケーキを梱包し、明日の分のチーズケーキとスポンジの制作を終えると時計は17時半を回っていた。

そういえばハルト、どうしているんだろう?

用事があったら声かけてとは言ってあるが何の音さたもなくこの時間だ。昼前に会ってから6時間くらい外にいることになる。

「外、結構寒くなってきてると思うんだけどなぁ」

何気なく窓の外を覗くと、店の外にあるイートスペースにハルトが座っているのが見えた。イートスペースと言っても4人掛けのテーブルが二つ置いてあるだけの場所だ。小さな場所ではあるが森になじんだ木のテーブルや椅子は座っていると絵本の中にいるような気持になる。凛のこだわりの場所であり、お気に入りの場所だ。


「どうぞ」

あったかいコーヒーをテーブルに置くとハルトが驚いたようにこちらを向いた。

「どうも」

そう言ってカップを持つと小さな声で「あったけぇ」と呟いた。ハルトの向かいの椅子に座って凜もコーヒーを飲む。

「仕事は終わったんですか?」

「掃除だけだからあとちょっとで終わるよ。窓からハルトが見えたから、寒くないのかなと思って」

「あぁ、ちょっと寒かったから助かりました。ここって星も良く見えそうですね」

「うん、良く見えるよ。ここは山だから少し標高も高いし、灯りがあんまりないからさ。星の光が近くまで来れるんだよね」

「来れるって面白い言い方しますね。普通、星の光がよく届くっていうじゃないですか」

「あ・・・。なんだろうね、星の光を引き寄せたいからかな」


なんとなく笑うとハルトと目が合った。相変わらず何を考えているのか分からない無表情だ。

「寒いから中に入りなよ。お店閉店したから誰も来ないよ」

「ありがとうございます。じゃあ、これ飲み終わったらお邪魔します」

ハルトはそう言うと空を見上げた。空がどんどん赤みを帯び、その赤が灰色を引き連れてもうじき夜が来ることを告げている。空の赤みが昔を思い出させた。


「こういう空の色見てると、修業時代を思い出すなぁ。太陽ってさ、水平線にかかってからどれくらいの時間で沈むか知ってる?」

「んー・・・どれくらいだろ。10分くらいですか?」

「正解は2分。案外短いよね」

海外での修行時代、慣れない言葉となじみのない文化、何もかもが初めてで戸惑い、失敗するたびに落ち込んだ。全部が上手くいかなくてまるで暗闇の中にいるようでボロボロになった時、沈む夕日を見て料理長が言ってくれた言葉がある。


「暗闇が恐いか?それでも太陽の様に昇ることを知っていれば怖さなんて半減だ。楽しむことだってできる」「昇るかどうかなんて分からないじゃないですか」「分からなくはないさ。昇るんだよ。そうだろ?凛」

その言葉があったからここまで来られたようなものだ。


「昇ることを知っていれば暗闇は恐くない」

「・・・夜が恐いんですか?」

「!!声に出てた?」

「はい。だいぶはっきり」

「ははははは。夜は恐くないよ、ちょっと昔を思い出しただけ。じゃあ、私、先に戻ってるね」

うっかり黄昏モードに入るなんて恥ずかしい。

凜は両手で軽く顔を叩きながら店へと戻った。ドアを閉める瞬間ハルトを見るとまた空を見上げていた。その姿はまるで星でも待っているかのようで、少しだけどこか寂しそうな気がした。

「なんかあったんかな」

結局、ハルトが家に戻ってきたのはそれから1時間半後のことだった。


「シチューあるけどご飯食べてく?」

「いや、さすがにそこまで迷惑は・・・」

「全然迷惑じゃないよ。シチューなんていつも多めに作ってるし。あ、シチュー苦手だった?」

「いや、苦手じゃないです」

「じゃあ食べていきなよ。もうすぐ出来上がるし、あったまるよ」

「なんかすみません」

ハルトがペコッと頭を下げる。

「くす、ハルトって思っていたよりずっと礼儀正しいんだね」

「普通ですよ。俺って一体どんなイメージなんですか」

「んー、内緒」


とろみがついてグツグツと煮立ったシチューにチーズを入れ、最後に隠し味である味噌を入れた。チーズと味噌が加わって香りさえも深みを増す。

「よし、完成」

「運ぶの、手伝います」

「おぉー、感心、感心」

二人分のシチューをダイニングテーブルに置いたハルトがこちらを振り返った。

「・・・リンさんって結構、イメージとギャップありますよね?」

「そう?」

「バリバリのキャリアウーマン的な外見だと思ってました」

「あー・・・それ結構言われる。外見と中身のギャップが大きいって」

「背が低くて童顔ですよね。それに」

「「大人しそう」」


ハルトの声に自分の声を重ねた。ここ最近は言われないものの20年以上言われ続けてきた言葉だ。150センチに満たない身長に丸みのある目、人より少し厚みのある唇。凜の憧れとは真逆の容姿だ。凛の理想は背が高く、切れ長な奥二重瞼で、蹴りが似合うようなカッコいい女性だというのに。


「でしょ。全く、嫌になっちゃうわ。せめて背がもう20センチくらい高ければ便利なのに」

「便利って」

「踏み台をいちいち用意する手間がなくなるじゃない」

「ぷっ、俺は今のままでいいと思いますけどね」

ハルトが視線をテーブルへと移し「凄い、ちゃんとしたご飯だ」と呟いた。テーブルの上にはシチュー、キャベツやレタス、ニンジンにスプラウトなど数種類の混ぜたサラダ、野菜のコンソメスープが並んでいる。

「もうひとつ、デザートもあるよ。甘いの大丈夫?」

「大丈夫です」


試作用に焼いていたパイ生地にお店で余ったスポンジとカスタードクリーム、少しの生クリームを乗せてキャラメリゼしたバナナを置いたバナナのパイだ。


「ハルトから貰ったバナナで作ってみた」

「・・・お店みたい」

「お店だからね。ケーキ屋だけど」

ハルトの驚きの声に冷静にツッコんだとき、嫌な予感がした。


「宜しい、ですかの?」

部屋に響いた声に、やはり、と頭に手を置く。

「いや、今日は」ダメ!と言おうとした瞬間にはその嫌な予感は形を持ち、鏡の中から姿を現していた。

「おや、来客中でございましたか」

リックは呑気にそう答えると、ハルトに「こんばんは」と頭を下げた。


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