第2話 条件
リックに手を掴まれるまま画面の中に吸い込まれていく。
凛のPCはノート型PCだ。どう見てもすんなり凛の体が入るはずなどないのに、うにょんっと綺麗に画面の向うに排出された。
「え?」
ハルトの目がこちらを見た瞬間、ガチャンと何かが割れる音が聞こえる。
「長老!はやく捕まえて!!」
「私の力では無理ですじゃ。一度あぁなると手がつけられませんで」
「なんだとー!!」
怒りを滲ませた声を上げ、辺りを見回すと布団をつかんだ。
「ハルト、そっち持って。こっちに飛んできたら布団で包んで捕まえるよ!」
「あ、あぁ」
呆然としているハルトに布団の端を掴ませると、風呂敷のように広げた。
「来た!いくよ!せーのっ」
こっちに向かってきた孫娘を虫でも捕まえるかのように見事に空中キャッチ。そのまま布団を袋の様にして口を閉じると、暫くガサガサと動いていた布団の中から控えめな声が聞こえた。
「ちゅみまちぇん、ちょっと興奮してちまいました。あたし、興奮すると突っ走ってしまう癖があって」
「もう暴れたりしない?」
「もう大丈夫でちゅ」
信用して良いものかと長老の顔を見た。表情は全く読めないが、というか顔は見えないが両手で大きく丸を書いたので頷いて布団の口を緩めると、すっかり白くなった孫娘が顔を出した。
「あの、どういうことか説明して欲しいんすけど」
「ひっ」
背後から聞こえた声に、恐る恐る振り返ると無表情の整った顔が凜を見つめていた。
割れた物を避けて、被害のないところにテーブルを置きこの家の主人がお茶を用意してくれている間。
「リック、記憶を消すとかそういうことは出来ないわけ?」
「出来ません。魔法を使えるわけではないので」
自分の世界からこっちの世界に来るのって魔法みたいなもんじゃん!と思ったが今はそんな議論をしている場合ではない。
「じゃあさ、眠らせることは出来る?眠っている間に部屋を元通りにすれば夢だったと思うかも」
「眠らせることも出来ませんし、壊れたものを元に戻すことも出来ません」
「どうぞ。さっきから全部聞こえてますが俺としてはちゃんと説明して欲しいですね」
リックと凛にはグラスに、スキャット族の二匹にはお皿に入れたお茶を出しながらハルトが言った。
「お茶、ありがとうございます。それとこの度は本当に申し訳ございません!!ちゃんと説明させていただきます!」
どう考えても言い逃れは出来ないし、誤魔化すことも出来ない。ここはもう腹をくくるしかない。ラグマットに頭をつけるようにして頭を下げる。
「なんていうか、そんなにビビらなくても大丈夫ですよ。俺、あんまり怒ってないし」
そう言われたところで、良かったぁ、などと気を抜けるはずがない。何を壊したかは分からないが、いくつか物を壊してしまっているのだ。
「そうですか。それは有り難いですなぁ」
「本当にホッとしたでちゅ」
秒の速さで気を抜いたスキャット族に一瞬の殺意を覚えつつ呆れ、目を細めた。言葉にするとするならば、ちーん、だ。
「一応確認しますけどリンさんですよね?」
「あ、はい」
「・・・・・・説明をどうぞ」
ハルトは黙って少しの間凜を見るとそのまま視線を逸らした。
今の間は何だ、今の間は。
そんなことをこの状況で聞けるはずもなく、少しの沈黙を遮るようにリックが話し始めた。
「私から説明しましょう。私の名はリック。この世界と異世界とを繋ぐ者でございます」
リックは自分の簡単な紹介をしてから凜が異世界の相談役になっていること、そして本日の出来事を簡潔に分かり易く話した。
「スキャット族の長老の一家は壁抜けの力を持つと言われております。きっとその力のせいで、PCという機械をドアとしてあなた様のところへ抜けてしまったのでしょう」
「・・・信じられない話ですけど、信じるしかないような話ですね」
「信じる、信じないはあなた様次第でございます。正直申しますと、あなた様が信じようが信じまいが私たちにはなんの影響もありませんから」
「もし誰かに言いふらしたらどうなるんですかね?」
「言いふらしても結構でございます。私の経験上、私どもを見たこともない人はこのような話を信じることはありません」
「・・・それもそうか」
ハルトは自分自身に言うように呟いた。
「まぁ、言いふらしたりしないけど」
「あの、壊したものは弁償できるものに関してはちゃんと弁償するから。一気に全部は無理かもしれないけど、ちゃんとします」
「んー・・・、そのPCの扉って俺もくぐれますか?」
「一度開いた扉は我々が閉めなければ開いたままですじゃ。つまり、誰でも通ることができる。ただし、先ほどと同じ条件でなければならない」
「つまり、俺とリンさんがネットで繋がってる状態ってこと?」
「ワシにはよく分からんが、先ほどがそうだというのなら、そうなのじゃろう」
「じゃあさ、弁償はいいからこの扉、このままにして貰えませんか」
「は?え、どういうこと?」
ハルトの思いがけない言葉に思わず凜が聞き返す。
「リンさんの家って山の中でしたよね?近所にあまり人が住んでいないような静かなところ」
「そうだけど・・・もしかして、この画面を通って私の家に来ようとしてる?」
「・・・最近仕事が増えてきて、それは有り難いことなんですけど外歩いていても人目が気になってゆっくりできなくて」
「仕事って清涼飲料水の販売だよね?」
「俺の顔に見覚え無いっすか?あ、でも、リンさんってあんまりテレビ観ないんでしたっけ?」
「いや、そんなことは・・・」
そう言いつつハルトの顔をまじまじと見る。少し切れ長の目、染めていない艶のある黒髪、ほんのりと赤い唇。
なんかちょっと・・・ん?あれ?この顔、どこかで・・・。
「あぁっ!!もしかして康太!?」
「それ、役名ですけど」
「あぁ、そうだ。名前・・・なんだったっけ、あの俳優さん」
「深谷ハルです」
「あーっ!!」
「・・・そういうわけなんでよろしくお願いします」
「いや、ちょっと待って、どういうわけよ。それとこれとは違う話でしょ」
ハルトは粉々になったガラスを指差した。
「あそこにあったやつ、実家で買っていた犬の形見なんです。だから弁償とかそういうのは無理なんですよね」
「あ・・・」
そうだ、この世にはお金で買えないものがある。同じ物を用意することは出来てもそこに付随する想いまでは再現できないのだ。
「ワシは全然かまいませんですぞ」
「私にも責任はありますし凛様にお任せ致します」
長老とリックの隣ですっかり大人しくなった孫娘がコクコクと頷いている。
凜がハルトを見ると相変わらずの無表情で、何の感情も読み取れないのが更に怖さを増していた。
「・・・わかった」
「ありがとうございます」
ハルトの口角が少しだけ上がった。もしかして笑顔なのだろうか、と思う程度の小さな変化だった。
その後ハルトの家の片づけを行い、皆とのボイスチャットが扉では問題だということで凛とハルトだけのチャットルームを作り、そちらを扉にした。
「じゃあ。今日は本当にごめんね」
「いえ。あ、帰る前に連絡先交換して貰ってもいいっすか?」
「あ、うん」
連絡先を交換し終えると微妙な空気から逃れるように家に帰った。ハルトは本当に家に来るつもりだろうか?チャットルームで話をしたことはあるけれど正直、LOW男子ハルトは何を考えているのかイマイチ分からない。勿論、仲が悪いわけではないけど、仲が良いわけでもない。そのハルトが家に来たいと思っていることが意外過ぎて、実感が沸かないのだ。
でもあの感じだと私に会いたいわけではなく、ただ人目を気にせずに過ごせる空間が欲しいってことだよね。
凜は心の中で呟いた。
確かに家は山の中にあるから、それは可能だろう。どこでもドアみたいな感覚なんだろうな、と凜は思った。俳優ともなれば、記者なんかに張られることもあるのかもしれない。家から一歩も出ることもなくここまで来ることが出来るのは確かにありがたいことなのだろうと想像した。つまり、相手をしたりする必要はないのだ。そう結論付けるとなんだかほっとした。
「凛様、相談の回答を」
リックが厳かに私に回答を求める。
「もう、狩人よ。狩人!!しっかり捕まえて貰いなさい!!」
厳かなる口調を吹き飛ばす勢いで凜は叫んだ。
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