異世界のトビラ

SAI

第1話 リック

「ふぅ。よし、終わった。今日もありがとうございました!!」

誰もいない厨房と店内に向かって凛は頭を下げた。厨房のスペースを合わせても僅か8坪しかないこのお店【green pocket】は凛の宝物だ。小さな頃、ケーキ屋さんになりたいという女の子にはありがちな夢を抱きそのまま邁進。21歳になると海外でパティシエになる為の修業をし、一昨年、27歳でようやく手に入れたのがこのお店なのだ。


「18時半か。うん、優秀、優秀」


凛は時計を見て微笑むとそのまま二階の居住スペースへと向かった。そして冷蔵庫を開け、いつもの一本を取り出す。プシュッと小気味のいい音をさせた缶ビールをグラスに注ぐと、ゴクゴクっと二口だけ飲んだ。


「くぅーっ、うまっ!この瞬間が最高」


グラスをキッチンに置いてそのまま夕ご飯を作る。今日のメニューはペペロンチーノだ。パスタを茹でている間に適当に野菜を刻んでサラダを作り、冷凍庫から南瓜ペーストを取り出すと鍋に牛乳と共に放り込む。コンソメと塩、コショウで味を調え、仕上げにバターをひとかけ入れ、パセリを真ん中にちょこんと乗せれば濃厚南瓜スープの出来上がりだ。一人暮らしのわりにはどの料理も少し多めに作ってある。その理由はこれから来るであろう人物、いや、人物とは言いがたい生き物の為だ。


「宜しい、ですかの?」

やはり来たか。背後から聞こえた声に振り向きもせずに火を止めた。

「ダメって言っても来るんでしょ。しかも毎回、食事時。出来上がる時間ぴったりなんて盗聴でもしてるんじゃないの?」

「人聞きの悪いこと言わないでくださいな。匂いがするんですよ。私の鼻はよく効くのです」

「異世界の匂いも感じるってこと?」

「いくら私が優秀でもそんな鼻をもっていたら気が狂ってしまいますよ。凛様は時々、馬鹿なことを言いますね」

「そんな馬鹿な人材を相談係に選んだのはリックでしょ!」

「そうでございますが、私は自分の目は正しかったと思っておりますよ。なんだかんだ言っても、凛様はこうして美味しいご飯をご馳走してくださる」


リックは小さな鼻をヒクヒクと動かすと匂いを楽しむかのように目を細めた。

「・・・相談係としてではなく、そこなのね」

なんだか餌付けしているみたいだわ、凜は心の中で呟きながらリックの分の食事も用意した。

「で、今日はどんな相談事なの?」

リックは長い耳をピクッと動かすと、少々お待ちをというように凜に向けて手のひらを見せた。ちょっと待て、のサインだ。口の中にある南瓜スープの余韻を楽しんでいるのだろう。リックはウサギを大きくしたかのような生き物だ。物心ついた時には凜の家に出入りしていたので、初めてウサギを見た時はリックの子供かと思ったほどだ。外見的にウサギと違うところは二足歩行するというところと身長が120センチ程あるというところだろう。


「いつもながらこのカボチャのスープは体に染み入る美味しさですなぁ」

「そりゃあ、どうも。で?」

「今回のご依頼はスキャット族の長老です。孫娘に婚姻の話が数件来ており、どの相手にすればいいかご助言をいただきたいとのことです」

「えー、そういうのってお孫さんと相手のことをちゃんと知っている人に聞いた方がいいんじゃないの?何も知らない私に助言って言ってもねぇ。そっちの世界のしきたりとか文化も知らないし、見当違いなことを言うかもよ?」

「それで結構。私たちの世界とか違った価値観を持った助言が必要なのです」

「リックがそう言うならいいけど・・・。ってか、スキャット族ってこの間みたいに興奮すると火を吐いたりしないよね?あの時はあやうく家が燃えちゃうところだったんだから」

「その節は失礼しました。私も体がヘソになる思いでした。スキャット族は火を吹いたりしませんからその辺は安心してください」


体がヘソになる、とは向うの世界の言葉で【肝が冷える】と同じ意味合いを持つ言葉らしいが、この言葉を聞くたびに凜の頭の中では120センチの臍が出てきてなんとも言えない気持ちになる。

「ならいいけど。じゃあ、明日の21時に」

「承知いたしました。ご飯、ご馳走様でした。とても美味しくいただきました」

リックはぺこりと頭を下げると部屋にある鏡の中へ消えていった。そのリックの後姿を見ながらこの生活にも随分慣れたものだよな、と凛は思った。


 リックについての一番古い記憶は凛が3歳の時だ。祖母に会いにきたリックの、もふもふしたしっぽが可愛くて追いかけてついて回ったのを覚えている。リックは凜が住んでいるこの世界とは異なった世界に住んでおり、リックの一家だけがこの世界と異世界をつなぐことが出来た。この世界とは言ってもどこでもと言うわけではない。異世界と凛の一家、杉山家とだけを繋ぐことが出来る。リックの一家は代々、杉山家の中から一人だけを相談役に選び異世界の迷える人々をその相談役の前に連れてきた。そして相談役に選ばれた人物は異世界の住人の相談に乗る。回答に満足すれば相談役に謝礼が支払われるというシステムだ。3年前、突然凜にその役が回ってきて以来、凜は自分が相談役に選ばれることに疑問を感じながらも務めを果たしてきたのだ。因みに祖母はまだ健在である。

「ほんと、なんでお母さんでもなく、弟でもなく私だったんだか・・・」


食事を終えると残り半分になったビールをトマトジュースで割りグラスを持ってPCを起動する。クリックするのは【tetote】というボイスチャットルームだ。ミサキとたーさん、クジョ―とサワちゃんがオンライン中になっていた。

「リン、おつかれー」

「おつかれー。何の話してたの?」

最初に声をかけてくれたのはミサキだ。ミサキは私の一歳年上で都内在住。3歳の娘さんがいて旦那さんが経営者というセレブだ。

「昨日のドラマの話。今、話題になってる【きいろの日】だよ。康太まで主人公を好きだって言い出してさー、これで主人公に片思いしている男が5人。だが主人公は別の男に片思い中って。」

「モテる女だからこそ追いかけたくなるんだよなー」

「くすくす、たーさんも追いかけそう」

「追いかけるね、間違いなく。俺、結構惚れっぽいところあるし」


たーさんは27歳の独身男性。会話のあちこちにプレイボーイ臭がする自他ともに認める遊び人だ。結婚願望は無いとはっきり言うし、遊ぶ女の子たちにもちゃんと言うらしい。でも寄ってくる女は数知れず、とか。


「モテモテかぁ。いいなー。私もまたモテたい。これでも独身時代は結構凄かったんだから」

「ミサキは人妻なんだからもうモテなくてもいいでしょ」

「それはそれ。これはこれ、よ。人妻でもモテるのは大歓迎」

「そうかなぁ。モテても好きな人にモテなきゃ意味ないじゃん」

「あ、わかります、それ!」

私に同意してくれたのはオーストラリア在住のサワちゃん、19歳、サーファーだ。

「ちょっとあんた達、そんなこと言えるのは天然でモテてきた人間よ。さては二人とも天然美人ね!」

「いやいや、そんなことないって」

「美人ではないですよー」

「私は高校デビューで血の滲むような努力をしてなんとかここまで持ってきたのよーっ。だから今でもモテたい!!」

くぅーっとミサキがワザとらしく泣いたのでみんなが笑った。

「そういえばサワちゃんの恋バナは聞いたことあるけど、リンさんの恋バナって聞いたことないなぁ。美人なら男が寄ってくるでしょ。最近、恋愛してないんじゃないの?」

たーさんの言葉にウッとなる。最後に彼氏がいたのは5年前だ。


「確かに。私たちこうして話すようになって2年くらいになるけど、リンの恋愛話聞いたことないわ」

「・・・私だってそろそろ恋人くらい欲しいとは思ってるよ。でも好きになっても振り向いてもらえないんだもん。なぜか逃げていくというか・・・」

「えー!逃げられるってどういうことですか?」

「そんなのこっちが知りたいよー」

「理想が高いんじゃないの?リンはどんな男がタイプなのよ?」

「こんばんわーっす」

「おー、ハルト久し振りじゃん。仕事忙しいの?」

「あぁ、まぁ。最近ちょっと忙しくなってきたかな」

ハルトは22歳。飲料系の会社に勤める会社員だ。あまり感情の浮き沈みがなく、テンションも高くもなく、クール系と言えば聞こえがいいが凜は密かにLOW系男子と呼んでいる。低速で低い、だからこその安定感、そんなものを感じるのだ。


「今ね、リンの好みの男性像を聞いてたとこなのよ。ハルトも興味あるでしょ」

「・・・いや、あんまり」

そうだろうよ。

「私は興味ありますよ!!」

「・・・俺もちょっと興味ある」

サワちゃんのフォローにホロリとしていると珍しく話す声があった。26歳のクジョ―だ。彼はFXトレーダーらしい。PCでチャートをチェックしているからわりとログイン率は高いが、ロムっていることの方が多い。ちょっと神経質そうな印象だ。

「へぇー意外」

「あぁ、気があるとかじゃないから」

たーさんの言葉をバッサリとクジョ―が切る。

「なにこの何もしてないのに振られた感は!私にも好みがあるからね」

「で、その好みはどんなですか?」

「んとねー、色白で、手がモチモチしてるの。ご飯とか美味しそうに食べる人で、抱き心地が良い人!!」

「それって・・・デブ専ってこと!?」

ミサキが驚いたように声を上げる。

「デブ専ではないよ。しいていうなら、ポチャっとしてるのがいいの。かわいいじゃんー、んふふ」

その後、ワインをグラスで半分ほど飲んだ凛は高校生の頃に大好きだった田丸君の話をたっぷりと聞かせ、気付いた時にはベッドの上で朝日を浴びていた。





 朝・・・。

ベッドで仰向けのまま目を開ける。

「さむっ!!」

昨晩酔っ払ったまま布団の上に倒れて寝ていたらしい。指先から香る歯磨き粉の香りで、なんとか歯は磨いたのだと察した。東京都奥多摩。山の中にある我が家は10月ともなれば朝晩はしっかり冷える。昨晩のカボチャのスープにパンにサラダ、簡単な食事を終えるとさっそく仕事にとりかかった。

「ネット販売用のチーズケーキが40本か。あとは、桃のタルトに誕生日用のケーキが3つ。苺が余るから店頭販売用にロールケーキも作るか。」

green pocketは予約販売が主流だ。ネット販売のチーズケーキを主力に、お客様から予約いただいたケーキを販売する。店頭売りも行うが基本的には予約のお客様の用に作って余った物を販売するので、店頭に並ぶケーキの量は少ない。それでもロスを最小限にするために選んだのがこのやり方だ。


午前中は予約ケーキと翌日分のスポンジの制作。午後からはネット販売用のチーズケーキの梱包と翌日分のチーズケーキを制作して冷凍する。その合間に店頭に来てくれたお客様の接客もする。

カラン、カラン、カラン

「いらっしゃいませー」

「集荷に参りましたー」

「あ、もうそんな時間?」

厨房から顔を出すと集荷担当の青井さんが冷蔵ケースをじっと見つめているところだった。

「16時半ですよ。今日はむしろ遅いくらいです」

青井さんはそう言いつつも冷蔵ケースを見つめたままだ。

「桃のタルト、気になりますか?生の桃を使用しているので凄くジューシーで美味しいですよ。優しい甘さですし」

青井さんは色白の頬をほんのり染めて(凜にはそう見えただけ)桃のタルトを見つめていたが、フルフルと首を振った。

「仕事中なんで我慢します!!あ、荷物はこれですね?お預かりします」

「よろしくお願いします」

あーあ、残念。青井さん色白だしもっとぽっちゃりしたら素敵なんだけどなぁ。声にならない呟きを抱えたまま青井さんに頭を下げた。


 その日の夜。

帰宅と同時にPCを起動しボイスチャットを開いていた。

「とにかく謝ろう。田丸君のことをあれだけ語っていたら鬱陶しかったよね・・・」

うふふ、うふふと笑いながら田丸君のもち肌がどんなに美味しいそうかを力説する私は気持ち悪かったに違いない。

飲み過ぎてやってしまったとばかりに頭を抱えつつ、誰か来たら昨日のことを謝るつもりで帰宅直後からこうしてチャットルームに陣取っているのに今日に限って誰も来やしない。

「来ないか・・・」

食事を済ませ、来客用に茶菓子を用意しているといつものように声が聞こえた。


「宜しいですかの?」

「どうぞ」

「こちらがお話しておりましたスキャット族の長老です」

「私は長老のウニャンガ、そしてこちらが孫娘のギャンコと申します」

小さ・・・いや、大きな毛玉みたい。スキャット族はネズミに近い大きさの白いもふもふで、顔がどこにあるか分からないような生き物だった。白い毛玉に両手両足をつけたらちょうどこんな感じだ。

「う~っ、ハナゲーっ!!」

「う~っ、ハナゲーっ!!」

二匹はガッツポーズをするように拳を振り上げ叫んだ。

え?鼻毛?

突然叫ばれた言葉に思わず凜は手で鼻を隠す。

「凛様、これはスキャット族の挨拶でございます。感謝や感動などを示しているのです」

「あ、あぁ、どうも。ハナゲ―・・・」

羞恥心を捨てきれず弱弱しくスキャット族に倣った挨拶を返すと、長老は感動したようにキャッと鳴いた。


「早速本題に入りましょう。お孫さんの花婿候補はこの3匹です」

リックが写真を広げ、長老が頷く。

「これが村一番のイケメンで頭も良い、こっちが我が村の医者一家の長男、最後が筆頭狩人です」

写真を見てもどれも白い毛玉で凛には違いがさっぱり分からなかった。

「はは・・・は、お孫さんは誰が好きなのですか?」

「あたしは・・・どなたでもっ。・・・どの殿方も素敵で、決められないのでちゅ!!キャッ」

キャ?と思った瞬間、孫娘の体がほんのりとピンクに染まった。

「いかん!」

長老が叫んだときには孫娘は弾丸のように部屋の中を飛び回った。

ガシャン、ガシャン

孫娘がぶつかったグラス、お皿が次々と割れていく。

「え、えぇっ?、やめて!!ちょっと、止まってってば!」

「リンさん!?大丈夫ですか?なんか凄い音がしてますけど」

しまった!ボイスチャット、ログインしっぱなしだ。こっちの音が筒抜けになってる!

とにかくこの状況はヤバい。聞こえてくる声に答える間もなくオフラインにしようとした瞬間、信じられないことが起こった。孫娘が部屋を破壊しまくったスピードのまま画面の中に消えたのだ。

「え?」

手をPCに伸ばしたまま固まる凜。

「うわっ!え、何これ!!」

ボイスチャットの中からハルトの混乱している声と何かが割れる音が聞こえている。

うそ・・・。

「しまった!凛様、我々も参りますよ!」




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